「バイト、僕が行きます」

 言ってから、自分で驚いた。
 こんなふうに誰かのために動くのは、初めてかもしれない。

 自分らしくないとわかっていた。
 それでも、言わずにはいられなかった。

 桜さんは、すぐには応じなかった。戸惑いながらも、いくつか言葉を交わし──ようやく、小さく頭を下げる。

「……ありがとうございます」

 お辞儀をしたその拍子に、彼女の瞳から涙がひと粒、音もなく床へと落ちた。

 それを俺が見たことに、彼女は気づいていないだろう。
 あるいは──気づかないでいてほしいと、願っているかもしれない。

 俺は、何も言わずにラウンジを後にした。

 ……これは、ただの感傷なのだろうか。
 それとも、何かもう少し違うものが、俺の中で動き出しているのか──
 咄嗟に体が動いたのも、あの涙に胸を掴まれたのも、ただの同情では説明がつかない気がした。
 だけど──自分でも、まだ答えは出せなかった。