夕方、気分転換にカプチーノでも飲もうと、ラウンジに足を運んだ。
 ドアを開けた瞬間、濃厚なバターの匂いが鼻をくすぐる。

 高橋美玲がソファに腰かけ、ポップコーンをつまみながらテレビを見ていた。
 香りの出どころは、言うまでもなく彼女だ。

 画面には、東條忠宏。思慮深い表情で、インタビューに応じていた。

「お疲れさまです」

 邪魔にならないよう声を抑えて言うと、高橋さんはちらりとこちらを見て軽く会釈する。
 俺はミルクがフォームされるのを待ちながら、画面に目を向けた。

「数字の背後には、必ず人々の物語があります。経済を語るとき、成長率や利益だけを見るのは簡単です。
でも私は、自分の肌で感じた温度、例えば、現場で出会った人たちの声や思いを──」

「やば。今日も東條さん、刺さるわ」

 高橋さんが独り言のようにつぶやく。
 答えるつもりはなかったのに、なぜか口が動いていた。

「自分の肌で感じた温度、か。あの人がいうと、ちゃんと重みがありますね」

 彼女がちらりとこちらを見た。「わかってるじゃない」というような目だった。

 高橋さんはポップコーンの袋を差し出した。
 普段なら断るが、この間、桜さんが美味しそうに食べていたのを思い出し、「いただきます」と言って、指先で摘んだ。