氷壁エリートの夜の顔

 香坂さんの言葉が、胸に突き刺さったままだ。

 ……でも、彼女は柿ようかんを頼まなかった。
 結城さんは、その話を彼女にしていなかった。
 そんな小さなことだけが、どうしようもなく、私を救っていた。

 誰もいない暗がりの中で、私は小さく丸まるように座り、そっと息を吐いた。

──私と結城さんの間に、何かが始まることはなかった。
 それでも、私が作った柿ようかんを「うまっ!」と言って食べてくれたことだけは、誰にも触れられない、小さな記憶として胸に残っている。
 私はその思い出に、そっとすがった。

 そのとき、不意にスマホの着信音が鳴る。
 静けさを破る音に、一瞬、呼吸が止まった。

 画面に表示されたのは──柚月の名前。

 こんな時間に家族から電話なんて、滅多にない。
 胸の奥がざわついた。嫌な予感が、静かに広がっていく。

 私は急いで涙をぬぐい、通話ボタンを押した。

 返ってきた声は、普段の柚月とはまるで違っていた。
 あの子が、こんなふうに取り乱すなんて──今まで、一度もなかった。

「お姉ちゃん……どうしよう……さっき、お母さんが倒れて……どうしよう、どうしよう……お姉ちゃん……!」

 言葉が胸に刺さり、うまく呼吸ができなくなる。
 全身の力が抜けて、声を出そうとしても──何も、出てこなかった。