氷壁エリートの夜の顔

「咲さんってさ、いつも明るくて、頑張ってる人だなって思ってたけど……」

 彼は箸を止めて、小さく息をついた。

「……今日、ほんのちょっとだけ、違う顔してた。なんていうか──傷を隠して、それでもちゃんと立ってる人の顔」

 泣きたくなる気持ちを悟られないように、私は唇の内側をそっと噛んだ。
 そして何でもないふうに笑って、「なんですか、それ」と返す。

 祐介くんは箸を持ち直し、にこっと笑った。

「でも、それもすごく、いいと思ったよ」

* * *

 気がついたとき、私は自宅アパートの玄関でしゃがみ込んでいた。

 香坂さんが帰ったあとの記憶はぼんやりとしていて、どうやって帰ってきたのかも定かじゃない。
 ただ一つ、胸がヒリヒリと痛むのだけは確かだった。

 結城さんが、彼女に古美多を教えた。
 それだけなのに、ふたりの交際を知ったときよりも、ずっとこたえた。
 あの時間を宝物だと思っていたのは──自分だけだったと、思い知らされて。

──『自分に嘘つくの、慣れてるのね』