《語り:黒木 湊》
《記録がない、というのは、記録されなかったわけではない。》
《多くの場合、それは“誰かが記録を消した”という意志の痕跡だ。》
《そして、ごく稀に、それすら超えて──“存在しなかったこと”にされることがある。》
*
14分34秒。
ヒヨコ☆ちゃんが配信していた時間だ。
表向きのLumaCastの管理画面には何も残っていなかった。アクセスログも配信映像も。配信者の裏ログにさえ、「配信開始」という記録すらない。
けれど、事務所サイドにはいくつか“痕”があった。
非公開URLの発行。
配信設定変更のトリガー。
AIフィルターモードの自動解除。
そして、「モバイル回線」からのアクセス通知。
Wi-Fiは使われていない。
つまり、どこかからSIM直結で配信されていたということだ。
「現場、道玄坂。
モバイル端末から、映像だけが14分──」
その配信は、存在していた。
だが、現在それを観たと確認できているユーザーは、“ゼロ”。
仮に彼女が“何か”を話したとして、それをリアルタイムで見た人間は誰もいない。
あるいは、見たことを口にしていない。
……あるいは──もう口にできない。
それを確かめるため、僕は新宿へ向かった。
*
靖国通りを越え、職安通りから入った狭いビル。
エレベーターは動いていない。
雑居ビルの3階、元カラオケスナック跡に、そいつはいた。
堂前(どうまえ)篤志。
元・警備会社の映像監視担当。
警察OBが関与する“裏の監視屋”として有名だった男だ。
「……湊じゃねぇか。まだ“こんなこと”やってんのか?」
油の染みたTシャツと、アディダスのジャージ。
足元の段ボールからは、レトルト食品の匂い。
相変わらずの生活感だった。
「データを見たい。道玄坂二丁目、10月17日の正午前後。
可能な限り、“削除された側”の動きを追いたい」
堂前はしばらく無言でこちらを睨んだ後、
冷蔵庫から缶チューハイを取り出して開けた。
「……今どき、防犯カメラは“クラウド連携”がデフォだ。
削除するってのは、“侵入”じゃなくて“遮断”ってことだよ。
それが、全方向・全端末同時に起きたってんなら……」
「──どういうことだ?」
「それはな、“誰かが全部、あらかじめスケジューリングしてた”ってこった」
つまり、ただの犯行ではない。
あの日、あの時間、道玄坂を“監視の目”から外すよう、都市全体に細工を入れていた者がいる。
「クラウドの電源を落としたわけじゃない。
もっとシンプルだ。“監視信号”だけを止めるマルウェア、あるんだよ。
ほら、都市再開発のテスト運用で、電波制御のバッファが入ってるじゃん。あそこ」
……再開発エリア。
佐伯瞬がインターンとして配属されている、あの地区。
「そこの一部、アプリ連動で信号制御してんだろ。スマート街路灯とか。
実は“監視も制御できる”って、知ってる奴は知ってる。
裏でその信号ごと“切った”やつがいる。俺の読みじゃ、そいつ──」
堂前は缶を置き、
スマホの画面をこちらに向けた。
そこには、落書きのようなスクリーンショット。
LumaCastの旧管理画面の、ベータ版仕様。
その端に、小さく表示された“仮想ライブ用トークン”のタグ。
《[HYK_AI_obsid=0217]》
「ヒヨコ☆ちゃん……“AIバージョン”が、裏で動いてた形跡がある。
本人じゃなくて、仮想人格として登録されてたアカウントが、
自分の名前で配信をしていた可能性がある」
言葉を失った。
生身のヒヨコ☆ちゃんが死んだ。
そのとき、仮想人格が……自動で、あるいは意図的に、“彼女の代わりに配信”していた?
いや、違う。
もっと正確に言おう。
──ヒヨコ☆ちゃんの死は、最初から仮想人格に引き継がれることが決まっていたのではないか?
現実の殺人と、仮想空間での“置換”。
《この街で、彼女は“物語”にされた──。》
いや、違う。
そう思い込まされているだけかもしれない。
“語ること”を奪われた声。
記録されない視線。
編集された存在。
僕は、ようやく気づき始めていた。
これは殺人事件ではない。
これは“改ざんされた現実”だ。
──第2章、了。
《記録がない、というのは、記録されなかったわけではない。》
《多くの場合、それは“誰かが記録を消した”という意志の痕跡だ。》
《そして、ごく稀に、それすら超えて──“存在しなかったこと”にされることがある。》
*
14分34秒。
ヒヨコ☆ちゃんが配信していた時間だ。
表向きのLumaCastの管理画面には何も残っていなかった。アクセスログも配信映像も。配信者の裏ログにさえ、「配信開始」という記録すらない。
けれど、事務所サイドにはいくつか“痕”があった。
非公開URLの発行。
配信設定変更のトリガー。
AIフィルターモードの自動解除。
そして、「モバイル回線」からのアクセス通知。
Wi-Fiは使われていない。
つまり、どこかからSIM直結で配信されていたということだ。
「現場、道玄坂。
モバイル端末から、映像だけが14分──」
その配信は、存在していた。
だが、現在それを観たと確認できているユーザーは、“ゼロ”。
仮に彼女が“何か”を話したとして、それをリアルタイムで見た人間は誰もいない。
あるいは、見たことを口にしていない。
……あるいは──もう口にできない。
それを確かめるため、僕は新宿へ向かった。
*
靖国通りを越え、職安通りから入った狭いビル。
エレベーターは動いていない。
雑居ビルの3階、元カラオケスナック跡に、そいつはいた。
堂前(どうまえ)篤志。
元・警備会社の映像監視担当。
警察OBが関与する“裏の監視屋”として有名だった男だ。
「……湊じゃねぇか。まだ“こんなこと”やってんのか?」
油の染みたTシャツと、アディダスのジャージ。
足元の段ボールからは、レトルト食品の匂い。
相変わらずの生活感だった。
「データを見たい。道玄坂二丁目、10月17日の正午前後。
可能な限り、“削除された側”の動きを追いたい」
堂前はしばらく無言でこちらを睨んだ後、
冷蔵庫から缶チューハイを取り出して開けた。
「……今どき、防犯カメラは“クラウド連携”がデフォだ。
削除するってのは、“侵入”じゃなくて“遮断”ってことだよ。
それが、全方向・全端末同時に起きたってんなら……」
「──どういうことだ?」
「それはな、“誰かが全部、あらかじめスケジューリングしてた”ってこった」
つまり、ただの犯行ではない。
あの日、あの時間、道玄坂を“監視の目”から外すよう、都市全体に細工を入れていた者がいる。
「クラウドの電源を落としたわけじゃない。
もっとシンプルだ。“監視信号”だけを止めるマルウェア、あるんだよ。
ほら、都市再開発のテスト運用で、電波制御のバッファが入ってるじゃん。あそこ」
……再開発エリア。
佐伯瞬がインターンとして配属されている、あの地区。
「そこの一部、アプリ連動で信号制御してんだろ。スマート街路灯とか。
実は“監視も制御できる”って、知ってる奴は知ってる。
裏でその信号ごと“切った”やつがいる。俺の読みじゃ、そいつ──」
堂前は缶を置き、
スマホの画面をこちらに向けた。
そこには、落書きのようなスクリーンショット。
LumaCastの旧管理画面の、ベータ版仕様。
その端に、小さく表示された“仮想ライブ用トークン”のタグ。
《[HYK_AI_obsid=0217]》
「ヒヨコ☆ちゃん……“AIバージョン”が、裏で動いてた形跡がある。
本人じゃなくて、仮想人格として登録されてたアカウントが、
自分の名前で配信をしていた可能性がある」
言葉を失った。
生身のヒヨコ☆ちゃんが死んだ。
そのとき、仮想人格が……自動で、あるいは意図的に、“彼女の代わりに配信”していた?
いや、違う。
もっと正確に言おう。
──ヒヨコ☆ちゃんの死は、最初から仮想人格に引き継がれることが決まっていたのではないか?
現実の殺人と、仮想空間での“置換”。
《この街で、彼女は“物語”にされた──。》
いや、違う。
そう思い込まされているだけかもしれない。
“語ること”を奪われた声。
記録されない視線。
編集された存在。
僕は、ようやく気づき始めていた。
これは殺人事件ではない。
これは“改ざんされた現実”だ。
──第2章、了。
