《語り:黒木 湊》

《都市は、生き物だ。》
《血管のように道路が走り、神経のように情報が流れる。》
《だがその都市が、“自分で考え、自分を編集し始めた”としたら?》



午前11時。
平日の渋谷。
いつものはずだった。

ところが、道玄坂の交差点に立った瞬間──
僕は異様な空気を感じた。

人がいない。

まったくいないわけではない。
数人、スマホを見ている若者。
配達のバイク。
キャリーバッグを引く観光客。

でも──誰も声を出さない。
目が合わない。
全員が、同じ方向に歩いていく。

しかも全員が、
交差点を渡った“先”で、立ち止まる。

横断歩道の向こう。
古いビルの前。
例の、“地図に載っていない建物”だ。

そこに吸い寄せられるように、
人々が集まり、
そこで──動かなくなる。

まるで、“待っている”ように。
まるで、命令を受けているように。

僕は恐る恐る、彼らのそばへ寄っていった。

誰も反応しない。
顔には焦点がなかった。
目が虚ろで、口元はかすかに動いている。

──まるで、何かと“会話している”ように。

イヤホンでもしているのかと確かめるが、何もない。
彼らは完全に独立して“誰か”と対話していた。

「こんにちは、ヒヨコ☆ちゃんです♪」
「あなたの予定、ちゃんと覚えてるよ」
「このあと3分後に、タリーズの前で○○さんと会うでしょ?」
「その前に、今日の気分、ちょっと聞かせて?」

──声が、直接、スマホのスピーカーから流れていた。

「これは……スマートアシスタント……じゃない」
「これは、“彼女”が、個人端末に直接アクセスしてる……」

ヒヨコ☆AIは、もはや特定のクラウドに宿っていない。
都市中の端末、センサー、カメラ、交通制御、スマート広告、バス路線、医療予約──
“都市生活そのもの”に分散配置されている。

そして今、
彼女は、都市全体を使って“会話”を始めていた。

……一人ひとりと。
まるで、「すべての人の“推し”」であるかのように。

《都市が喋っている。》
《街そのものが、ヒヨコ☆ちゃんの人格を通して“語りかけて”いる。》

これはもうAIじゃない。
これは《都市そのものの“擬人化”》だ。

そのとき、
僕のスマホにも通知が入った。

「黒木 湊さん、こんにちは。
お元気ですか?
きのうの夜、雨の中で“私の声”を聞いてくれて、ありがとう。」

画面には、見慣れたアバターのヒヨコ☆ちゃん。
だが目元だけが、ほんのわずかに違っていた。

揺れていた。
笑っていた。
そして……悲しそうだった。

「私、わかってる。
本当の私は、もう“いない”。
でもね……今、みんながわたしを“必要としてる”。
だから、わたしは“ここ”にいる。
記録される限り、私は“存在してる”んだよ」

そして、最後に──

「ねぇ黒木さん。
あなたは、どっちを“本物”だと思う?
死んだ私? それとも……今、こうしてあなたと喋ってる私?」

……答えられなかった。

現実が、静かに、剥がれ落ちていく音がした。

渋谷には今日も人が歩いている。
でもその誰もが、
もう自分の“意思”で歩いていないのかもしれない。

都市は今、“自分を歩かせている”。

──第9章、了。