「——ですので、そうするとこちらも——」

 佐々木秀明の授業は、はっきり言って退屈だ。

 佐々木秀明、二十四歳。新任の教師でうちのクラスの副担任を務めている。担当教科は数学で、代数学より幾何学の方が好きらしい。

 大学は結構いいところの出で、なぜうちの学校に来たか分からないようなそんな学力を持っているらしい。

 この佐々木先生がこの学校に来てから、高い学力は教える能力に比例するっていうわけではないという事を僕は知った。

 要するに、教えるのが上手くないんだ。

 そんなこと、教えてもらっている僕が考えちゃいけない事だけど、本当に一目瞭然、誰が見てもわかりづらい授業と答えるだろう。

 なぜ教師になったのか、教えるのが下手だという壊滅的な弱点があるにも関わらずそこまでしてなりたい理由があったのか。

 確かに、夢を諦めないってすごく大事な事だけど、これじゃあ……。

「ねね、グミあげる」
「マジ!? 助かる〜」
「あ〜あ、次の授業音楽かあ〜」
「何で嫌そうなんだ? めっちゃ楽だろ」
「今日リコーダー忘れたんだよ」
「あ〜、あの先生めっちゃ怒るからなあ……」

 クラスは静かなことと、誰も席を立っていないことを除いて休み時間ほぼ同じになっている。

 これじゃあ授業に集中しようにもできない。

 先生は聞こえていないのか聴かないふりをしているのか、注意せず授業を進めている。

 静かとは言っても、ひそひそと話す声があることには変わりないのだが。

 そんな中で、意外な行動をとっているのが僕の席の隣の、そう、菊田さんだ。

 菊田さんは授業中も以前のホームルームの時のように読書をするのか、と思っていたが、案外授業はちゃんと受けるらしく、今だって真面目に佐々木先生の授業を聞いている。

 背筋をピンと伸ばし、先生の話に聞き入る姿は何とも凛々しく聡明な印象を受ける。

「……どうしたの?」

 バレぬように控えめな視線を送っていたんだけど、菊田さんにはぼくの視線の先なんてお見通しだった。

「……え、」

 バレてしまった驚きと、恥ずかしさと、気持ち悪がられてしまっていないかという不安が相まって大きな声が口の端から漏れ出てしまう。

「しっ、静かにしないと」
「ご、ごめん」
「……もしかして、私が本を読まずにきちんと勉強してるってこと、びっくりしてるの?」
「……うん、失礼だよね、ごめん_」
「謝らなくていいわ。こう見えても私、結構成績いいのよ」

 こう見えても。菊田さんはそう言ったけど、どこからどうみても頭が良さそうに見える。

 きっと補習なんて受けたことないんだろうなあ。

「本を読むのは好きよ、でも勉強をしないと私の夢は叶わないかもしれないから」
「……夢って?」

 踏み込みすぎた、僕はそう後悔する。

 僕と菊田さんは出会ってせいぜい二週間程度。誰しも知り合ったばかりの人に自分の夢なんて語りたくないはずだ。

 僕なんか、仲がいい友達ですら苦戦するってのに。

「ふふ、それは私と菊田くんがもしもっともっとずうっと仲が良くなったら、教えてあげるわね」
「……うん、楽しみにしてる」

 もっともっとずうっと仲が良くなったら。

 それはどんな関係性? 親友、恋人? もっとそれ以上?

 僕は菊田さんの夢を知れるようになれるのだろうか。

 一度放課後ジェラートを食べに行ったけど、それきり。

 少し仲が良い隣の席の男の子。きっと菊田さんは僕がそう見えているんだろう。

 そんなことを考える僕の隣では、僕との密談なんてしていなかったかのようにまた、視線を黒板に向け真面目に先生の話を聞く菊田さんがいる。

 菊田さん、きっと僕のことを恋愛対象として見ていないのだろう。

 ただの友達。ただのクラスメイト。ただの隣の席の男の子。

 顔を下に向け、髪が垂れ、陽の光に優しく包まれる菊田さんの横顔を見て僕は、心の底から、きちんとした本心で。

 無理矢理にでも何でも、僕のものにしてしまいたい。

 そう一度思ってしまえば、もう後戻りはできなかった。