高校入学、といっても僕は内部進学組だけど、ともかく高校生となって早一ヶ月。
この一ヶ月は菊田さんと休み時間に話したり、恵に以前のことでからかわれたり、竹内達とバカ話したり、いつも通りの、僕の日常が続くだけだった。
約一ヶ月間、大きなニュースはないにしても何かしら起こらなかったわけではなかった。
この一ヶ月の間で菊田さんは図書委員になったらしい。
菊田さんが図書委員になれたと知った日は飛ぶように喜んでいた。ちなみに僕も図書委員だ。
勿論動機は菊田さんと同じ委員になって話す機会が欲しかったと言う理由だ。
晴れて委員になれたはいいものの、結局シフトは別日で僕の単純なお近づき作戦は無惨にも散った。
その他に、抜き打ちテストが僕達に襲いかかってきたりだとか、佐々木先生が急に変なことを菊田さんに言ったりだとか、そういうちょっとしたことはあったけど、取り立てて言うものではない。
だが、本日からその高校生活のハイライトの上位に上り詰めそうな事態が今、僕の身に起ころうとしている。
『清水くん。ちょっと、付き合ってもらってもいい? できれば今日だけじゃなくて、明日からも』
付き合ってもらってもいい?
意味が違うことなんて分かりきっているけど、そのセリフに僕は明らかに顔を熱くした。
『ふふっ、清水くんったらやっぱり単純。そういう意味じゃないわよ』
『わ、分かってるし』
『ふふふ』
僕の弁明をまるで分かっていないような笑い声に、僕は肩をすくめた。
お昼の学食。僕達は麺類の列に並びながら、番が来るのを待っていた。
『でも、一体何に付き合えばいいの?』
『付き合う……というより、提案の方が合ってるかしら』
菊田さんの口から語られたのは、僕にとってとてつもなく嬉しく、好都合な提案だった。
毎週水曜日、ある喫茶店で二人で読書をする時間を作らないか。
場所は綿吹高校から徒歩八分のカフェ・トラモントという喫茶店。そこには店主の趣味で多種多様の小説がコレクションされているらしく、自由に読むことが可能なんだそう。
菊田さんはそこで本を読みたいらしい。それも、僕と。
『でも、何で僕なの? 他にもいい人、いっぱいいると思うけど……』
せっかくの絶好の機会だっていうのに、身分不相応菊田さんを僕のものにしたいと思っているというのに、僕はこんな時いらぬことを言ってしまう。
そんな自分のことが嫌になりながら、もし菊田さんが僕ではなく他の人と行くことになったらどうしよう、と内心焦っていた。
『前も言ったと思うけど、私あんまり友達いないのよ。うちのクラスの友達でいえば清水くんくらい。他にもいるけど、ほら、清水くん、図書委員になったでしょう?』
『え、まあ、うん』
『清水くんも、本、好きなのかなあと思って。私の友達、本あまり読まないから。清水くんしかいないのよ』
勿論断ってもいいのよ、と焦って手を振る菊田さんはとてつもなく可愛い。
可愛い、が、菊田さんが放った僕しかいない、という言葉に、僕はこの先のことも考えず、気づいたらイエスと返事をしていた。
時は水曜日。
約束の日。
菊田さんはそんなこと忘れている……なんてことはなく、じゃあ行きましょ、と軽いお誘いの言葉で僕をあの喫茶店へと連れ出した。
カフェ・トラモント。
トラモントとはイタリア語で日没という意味らしく、この店内はそんなお洒落な名前に引けを取らない美しい内装となっている。
人はまばらで、今この店内にいるのは僕達と店員さんを含め、五人しかいない。
でも今は、そんなことどうでも良くて。
僕はただ、僕の上に乗ってきそうなくらいに僕に近づく菊田さんから、バクバクとなり続ける心臓の音が菊田さんに届かないことを祈りながら、ジリジリと逃げるだけだった。
「ねえ清水くん、清水くんってどんな小説が好きなの? 純文学? 大衆小説もいいわ。どんなジャンルが好きなのかしら。やっぱりミステリーは捨て難いわ。もしかして恋愛小説? ホラー、清水くん読んでるイメージないけれど、人は見かけによらないって言うものね。歴史小説、私あんまり読まないのだけれど、清水くんはどう?」
菊田さんによる怒涛の質問攻めに、僕はたじろいでしまう。
言葉だけでなく距離でも僕の方に詰めてきて、胸が早鐘を打つ。
「え、えっと」
僕が何を言っていいのか分からずに、困った顔をすると菊田さんは僕からパッと離れて、ごめんなさい、と珍しく余裕がなさそうに言った。
「私、好きなことになると止まらなくなっちゃうのね。しかも、好きなことが一緒の人とのお話だと、より、ね」
かあっと赤くなったその顔を冷やさんと頼んだドリンクを一気に口に含んだ。
菊田さんにもこんな一面があるんだ、と僕は好きな人の新しい一面を見れたことで気分が些か高揚し、僕もドリンクを飲んだ。
菊田さんはモカジャバというコーヒーにチョコレートを入れた飲み物を、僕はアイスカプチーノを頼んだ。
背伸びして頼んだ、コーヒーの一種であるということしか知らないカプチーノはやっぱり苦くて、僕は無理やり喉に押し流した。
「気を取り直して」
菊田さんは気まずそうに髪をいじって、最初の質問を僕に投げかけてきた。
そして、冒頭に戻る。
勿論、誤魔化してしまった僕が悪い。
その行動に後悔はしていない。菊田さんに、僕が菊田さんとお近づきになるために図書委員になったなんて知られたらたまったもんじゃないから。
でも、これは、まずい。
お察しの通り僕はあまり小説を嗜まない。
本当にたまに読む程度なら何度かはあるが、今までの人生で読んだ本は絵本や漫画を除き一桁台だろう。
しかもそのうちの三冊は小学校の頃の宿題に出された読書感想文で読んだものだし、そもそも内容をあまり覚えていない。
直近で読んだものも菊田さんが読んでいそうではない、大衆小説というものだった。しかもそれを読んだのは中学の頃で、内容などとうの昔に忘れてしまっている。
いっそのこと本当のことを全て話してしまおうか。
そんな考えが頭によぎったが、目の前の菊田さんのワクワクした表情のせいで踏み出せないでいる。
「そうだね……やっぱり、改めて言われると難しいなあ……」
僕は場を保たせるため、そんな当たり障りもないことを口走る。
悩んでる風にして、決して本を読まないわけではないと振る舞う。
ただ、これはこれで自分の首を絞めているにすぎないのだが。
「確かにそうね、私も考えてみたけど、何が好きとかあんまりないかもしれないわ。私の場合色んな小説を読むもの」
「そうなんだね。確かに、僕もかな」
「そうなのね! ふふ、一緒ね」
よし、これでいける。菊田さんには悪いけど、一応はこの場を切り抜けられる。
そう思った矢先、その僕の希望がいとも簡単にへし折られた。
「じゃあなんていう小説が好きなのかしら? 私はやっぱり海外の小説が好きだわ。恋愛ならトゥルゲーネフの初恋。SFはやっぱりジョージ・オーウェルの一九八四年ね。ミステリーは迷っちゃうけど、Xの悲劇かしら。そして誰もいなくなったもよく覚えているわ。ふふ、そう考えてみるとやっぱり人気な作品が好きなのね、私。勿論日本の小説も好きだわ。純文学も、大衆文学も。でも私は現代の小説を読むことが多い気がするわね。村上春樹だったり、辻村深月だったり、町田そのこだったり、川上未映子だったり、村田沙耶香だったり、東野圭吾だったり。江戸川乱歩とか星新一、夏目漱石や太宰治も好きだけど」
菊田さんの捲し立てるような話に目眩がする気がして、僕は悟った。
菊田さんはオタクなのだ。
この一ヶ月は菊田さんと休み時間に話したり、恵に以前のことでからかわれたり、竹内達とバカ話したり、いつも通りの、僕の日常が続くだけだった。
約一ヶ月間、大きなニュースはないにしても何かしら起こらなかったわけではなかった。
この一ヶ月の間で菊田さんは図書委員になったらしい。
菊田さんが図書委員になれたと知った日は飛ぶように喜んでいた。ちなみに僕も図書委員だ。
勿論動機は菊田さんと同じ委員になって話す機会が欲しかったと言う理由だ。
晴れて委員になれたはいいものの、結局シフトは別日で僕の単純なお近づき作戦は無惨にも散った。
その他に、抜き打ちテストが僕達に襲いかかってきたりだとか、佐々木先生が急に変なことを菊田さんに言ったりだとか、そういうちょっとしたことはあったけど、取り立てて言うものではない。
だが、本日からその高校生活のハイライトの上位に上り詰めそうな事態が今、僕の身に起ころうとしている。
『清水くん。ちょっと、付き合ってもらってもいい? できれば今日だけじゃなくて、明日からも』
付き合ってもらってもいい?
意味が違うことなんて分かりきっているけど、そのセリフに僕は明らかに顔を熱くした。
『ふふっ、清水くんったらやっぱり単純。そういう意味じゃないわよ』
『わ、分かってるし』
『ふふふ』
僕の弁明をまるで分かっていないような笑い声に、僕は肩をすくめた。
お昼の学食。僕達は麺類の列に並びながら、番が来るのを待っていた。
『でも、一体何に付き合えばいいの?』
『付き合う……というより、提案の方が合ってるかしら』
菊田さんの口から語られたのは、僕にとってとてつもなく嬉しく、好都合な提案だった。
毎週水曜日、ある喫茶店で二人で読書をする時間を作らないか。
場所は綿吹高校から徒歩八分のカフェ・トラモントという喫茶店。そこには店主の趣味で多種多様の小説がコレクションされているらしく、自由に読むことが可能なんだそう。
菊田さんはそこで本を読みたいらしい。それも、僕と。
『でも、何で僕なの? 他にもいい人、いっぱいいると思うけど……』
せっかくの絶好の機会だっていうのに、身分不相応菊田さんを僕のものにしたいと思っているというのに、僕はこんな時いらぬことを言ってしまう。
そんな自分のことが嫌になりながら、もし菊田さんが僕ではなく他の人と行くことになったらどうしよう、と内心焦っていた。
『前も言ったと思うけど、私あんまり友達いないのよ。うちのクラスの友達でいえば清水くんくらい。他にもいるけど、ほら、清水くん、図書委員になったでしょう?』
『え、まあ、うん』
『清水くんも、本、好きなのかなあと思って。私の友達、本あまり読まないから。清水くんしかいないのよ』
勿論断ってもいいのよ、と焦って手を振る菊田さんはとてつもなく可愛い。
可愛い、が、菊田さんが放った僕しかいない、という言葉に、僕はこの先のことも考えず、気づいたらイエスと返事をしていた。
時は水曜日。
約束の日。
菊田さんはそんなこと忘れている……なんてことはなく、じゃあ行きましょ、と軽いお誘いの言葉で僕をあの喫茶店へと連れ出した。
カフェ・トラモント。
トラモントとはイタリア語で日没という意味らしく、この店内はそんなお洒落な名前に引けを取らない美しい内装となっている。
人はまばらで、今この店内にいるのは僕達と店員さんを含め、五人しかいない。
でも今は、そんなことどうでも良くて。
僕はただ、僕の上に乗ってきそうなくらいに僕に近づく菊田さんから、バクバクとなり続ける心臓の音が菊田さんに届かないことを祈りながら、ジリジリと逃げるだけだった。
「ねえ清水くん、清水くんってどんな小説が好きなの? 純文学? 大衆小説もいいわ。どんなジャンルが好きなのかしら。やっぱりミステリーは捨て難いわ。もしかして恋愛小説? ホラー、清水くん読んでるイメージないけれど、人は見かけによらないって言うものね。歴史小説、私あんまり読まないのだけれど、清水くんはどう?」
菊田さんによる怒涛の質問攻めに、僕はたじろいでしまう。
言葉だけでなく距離でも僕の方に詰めてきて、胸が早鐘を打つ。
「え、えっと」
僕が何を言っていいのか分からずに、困った顔をすると菊田さんは僕からパッと離れて、ごめんなさい、と珍しく余裕がなさそうに言った。
「私、好きなことになると止まらなくなっちゃうのね。しかも、好きなことが一緒の人とのお話だと、より、ね」
かあっと赤くなったその顔を冷やさんと頼んだドリンクを一気に口に含んだ。
菊田さんにもこんな一面があるんだ、と僕は好きな人の新しい一面を見れたことで気分が些か高揚し、僕もドリンクを飲んだ。
菊田さんはモカジャバというコーヒーにチョコレートを入れた飲み物を、僕はアイスカプチーノを頼んだ。
背伸びして頼んだ、コーヒーの一種であるということしか知らないカプチーノはやっぱり苦くて、僕は無理やり喉に押し流した。
「気を取り直して」
菊田さんは気まずそうに髪をいじって、最初の質問を僕に投げかけてきた。
そして、冒頭に戻る。
勿論、誤魔化してしまった僕が悪い。
その行動に後悔はしていない。菊田さんに、僕が菊田さんとお近づきになるために図書委員になったなんて知られたらたまったもんじゃないから。
でも、これは、まずい。
お察しの通り僕はあまり小説を嗜まない。
本当にたまに読む程度なら何度かはあるが、今までの人生で読んだ本は絵本や漫画を除き一桁台だろう。
しかもそのうちの三冊は小学校の頃の宿題に出された読書感想文で読んだものだし、そもそも内容をあまり覚えていない。
直近で読んだものも菊田さんが読んでいそうではない、大衆小説というものだった。しかもそれを読んだのは中学の頃で、内容などとうの昔に忘れてしまっている。
いっそのこと本当のことを全て話してしまおうか。
そんな考えが頭によぎったが、目の前の菊田さんのワクワクした表情のせいで踏み出せないでいる。
「そうだね……やっぱり、改めて言われると難しいなあ……」
僕は場を保たせるため、そんな当たり障りもないことを口走る。
悩んでる風にして、決して本を読まないわけではないと振る舞う。
ただ、これはこれで自分の首を絞めているにすぎないのだが。
「確かにそうね、私も考えてみたけど、何が好きとかあんまりないかもしれないわ。私の場合色んな小説を読むもの」
「そうなんだね。確かに、僕もかな」
「そうなのね! ふふ、一緒ね」
よし、これでいける。菊田さんには悪いけど、一応はこの場を切り抜けられる。
そう思った矢先、その僕の希望がいとも簡単にへし折られた。
「じゃあなんていう小説が好きなのかしら? 私はやっぱり海外の小説が好きだわ。恋愛ならトゥルゲーネフの初恋。SFはやっぱりジョージ・オーウェルの一九八四年ね。ミステリーは迷っちゃうけど、Xの悲劇かしら。そして誰もいなくなったもよく覚えているわ。ふふ、そう考えてみるとやっぱり人気な作品が好きなのね、私。勿論日本の小説も好きだわ。純文学も、大衆文学も。でも私は現代の小説を読むことが多い気がするわね。村上春樹だったり、辻村深月だったり、町田そのこだったり、川上未映子だったり、村田沙耶香だったり、東野圭吾だったり。江戸川乱歩とか星新一、夏目漱石や太宰治も好きだけど」
菊田さんの捲し立てるような話に目眩がする気がして、僕は悟った。
菊田さんはオタクなのだ。
