アグネスとノアが共に目指し向かったのは、「攻城塔」と呼ばれる騎士団の兵器のひとつ。
 普段は騎士団の演習場に訓練用として置かれている。
 一般的には敵の城を攻める時に使う移動式の物見櫓のようなものだ。敵の防壁と同じ高さぐらいに作られていて、板を渡して攻め込む。
 しかし近年は隣国とも良好な関係が築けているので、騎士団がこの攻城塔を使用するのは、もっぱら魔獣対応の時だけだ。それも本来の使い方というよりは、大掛かりな魔獣討伐の時に魔獣の位置を確認する物見櫓として使用している。
 この国では頻繁に魔獣が出現する。いまの騎士団はほぼ魔獣討伐のためにあると言っても過言ではないのだ。

 騎士団の敷地のすぐそばまで来て、近くからふたりで攻城塔を見上げた。
 アグネスが第一殿下と結婚をするために王城にいたときに見た光景。それはアグネスを励ますように日が暮れる直前に毎日のように旗を振っていたらしい。
 攻城塔を感慨深そうに見上げる凛としたアグネスの横顔をノアは見つめ、その瞳に自分を早く映してほしいと思いながらも、自分の存在があったためにアグネスが人質であったという真実をいつアグネスに話し懺悔をしようかと考えていると、アグネスと目があった。

「登ってみたいのか?」
「登ってみたいです!ここからわたしがいた王城の窓がどう見えていたのかを知りたいですね」
「でも騎士団の敷地は所属している人間しか入れないんだ」
「それはそうですよね。機密がいっぱいですものね」
 少し残念そうにアグネスがふふと笑うとふたりの間に少しの沈黙が続いた。

「「……あっ!!」」
 ふたり同時に声が重なった。
「指輪だな!」
「ええ、そうです!これです」
 アグネスは慌てて自分のスカートのポケットから銀の指輪を取り出した。
「アグネスがレオンの姿になれば、攻城塔に登れるな」
 ノアとアグネスは顔を見合わせて思わず大きな声で笑ってしまう。
「指輪をこんな使い方したら、女神様に怒られますよね?」
「大丈夫だろ。アグネスに託された時点でどう使うかはアグネス次第だろう」

 ノアはそう答えながら、アグネスが少しの間でもレオンの姿に戻ってしまうことを残念に思った。
 今日1日だけでも、アグネスにはアグネスの姿でいてほしかった。

「攻城塔に登ったら、またすぐにアグネスに戻れよ。レオンの願いはアグネスの幸せだろう」
「もちろん、そのつもりです!」
 アグネスの弾けるような眩しい笑顔に、ノアは次にアグネスを連れていきたいところに想いを巡らせる。
「攻城塔のあとは、いろいろな店に行くぞ。アグネスはデートでアクセサリーを買ってもらう体験もしないとな」
 
 アグネスにアクセサリーを贈るだなんて、俺がアグネスにしても良いことなのだろうか。
 いや、レオンの願いはアグネスの幸せだ。
 普通の女性のようにデートで男からアクセサリーを贈られる体験もアグネスには必要だ。
 少しでも綺麗なものを見て、幸せを感じてくれるなら。
 アグネスの幸せを理由にかこつけて、アグネスにアクセサリーを贈りたいだなんて、俺らしくないな。
 ただ、純粋にアグネスにアクセサリーを贈りたいと言えたならどんなにいいのに。

 ノアにアクセサリーを買いに行くと言われて、アグネスはいろいろと想像をして赤面してしまう。
 でも、それはノアに気づかれないようにノアからそっと顔を背けた。


 物陰に隠れて、アグネスはあっという間にレオンの姿に戻る。
 そのあとはふたりで騎士団の演習地に堂々と正面から入ることができた。

「レオンとノアじゃないか!」
 顔見知りが今日は演習場の受付の当番だったようで、そう声を掛けられるとふたりでぎこちなく微笑む。
 「いま、攻城塔に登っても?」
「大丈夫だ。いまは誰も使っていないし、そもそも今日は休日だろう。ほとんど人がいないよ」
 そう言われて、ふたりでホッと胸をなでおろす。
「レオンが攻城塔から見える景色がいいと言うから来てみたんだ。訓練の時はそんな余裕はないからな」
 「割と眺めはいいぞ。それにしても休日なのにわざわざ演習場に来るだなんて、お前らも暇なんだな。てっきり女の子とデートでもしているかと思っていたよ」
 ははは…と愛想笑いをしながら顔見知りに手を振って、攻城塔に向かう。

 梯子で攻城塔の上を目指す。
 一番上はとても狭く、風が吹けば立っているのが怖いぐらいだ。
 ふたりで立ち尽くしたまま、王城を見る。

「アグネス、辛いことを聞いても良いか?どの部屋にいたんだ?」
 ノアは幼い頃とはいえ、王城はかつては自分が住んでいたところだ。王城の間取りは全て把握している。

「ほら、一番大きな棟の2階の左から2番目の窓の部屋よ」
 レオンの姿のアグネスが指さす窓は、ノアの知っている限り客室だ。王族の夫婦の部屋はまだ上だ。
「ずっとあそこに?」
「ずっとあそこで生活をすると思っていたわ。部屋が変わる様子はなかったもの」
 
 第一殿下の妻になるアグネスをずっと客室に置いておくつもりだったのか?
 違うな。
 ノアは確信を持った。アグネスを結婚式で暗殺するのは決まっていたことだったのだ。だから、客室でよかった。
 怒りが沸々と込み上げてくる。


 ふたりで無言のまま王城を見つめていると、早馬が演習場に入ってくるのがわかった。
 滅多にない早馬。なにかあったのかも知れない。
 慌てて攻城塔を降りて受付の建物に小走りで向かうと、騎士団員が3名ほどいてとても深刻そうな顔をしていた。

「なにがあったんですか?」
 ノアが騎士団員にそう声を掛けると、他の騎士団員がやっとノアとレオンに気づいた。
「お前ら、ここに来ていたんだ。ちょうど良いところに来てくれたな。魔獣が出たんだよ。それもかなりの数な。いまから討伐の準備だ」
「そんな数なんですか?」
 ノアが敬語で聞いている様子から、先輩の騎士団員なのだろう。
「かなりの数だ。このままでは王都が危ない。聖女は祈っていないのだろうか?そうとしか思えない数なんだ」
「えっ?」
 レオンが小さく横で声をあげた。