「俺はアグネスが好きだ」
 
「えっ…??」
「ずっとアグネスが好きだった」
 
 わたしに真っ直ぐに向けられるノアの真剣な眼差しに捉われ、ノアの瞳から目が逸らせない。
 ノアがウソを言っているようには見えないのはなぜ?
 
 でもノアにはずっと好きな人がいると言っていて…
 ずっと……?? まさか…

 ずっと前からわたしのことを知っていたとノアは…

 ノアがフッと意味ありげに笑ったかと思うと、持っていた葡萄をわたしの口に無理矢理に突っ込んだ。

「なーに、真に受けているんだよ。冗談だよ。なんて顔をしているんだよ。本気で一瞬でも俺のことを考えた?」
 ノアは口では冗談だよと言いながらもまだわたしを真っ直ぐに見ている。
 
「レオンの願いのためにアグネスのしたいことを今日はいっぱいしよう。アグネスは幸せな気持ちで満たされることだけを考えて、それに専念しろよ」
 優しくわたしに向けられる眼差しにドキリと胸が高鳴るが、この胸の高鳴りには気づきたくはなかった。
 
 あと4日で消えるわたしには、その胸の高鳴りの続きに進んではいけないと知っているから。
 スカートのポケットに忍ばせている例の銀の指輪をぎゅっと握り、気持ちを切り替える。
 ノアに無理矢理突っ込まれた葡萄をモシャモシャと食べてゴクリと飲み込んだ。

「もう!ノア!一瞬信じそうになったわ。恋愛初心者のわたしの心臓に悪い冗談はやめてよ!せっかく、ノアは髪の毛を切って素敵になったと思ったのに、やっぱり中身は不良のままね」

 ちょっとだけ拗ねたフリをしたが、ノアは慌てる様子もなく余裕そのもので、優しい瞳のまま。
 
「でも素敵になったと思ってくれたんだ」
 うれしそうに独り言のように呟き、ノアは口角は上げているのに泣きそうな瞳をした。
 
「ご、誤解しないで。髪型がカッコいいというか…ノアはお兄様の親友だから、お世辞を言ってるだけよ」
「ふーん。そうなんだ。でもかっこいいとアグネスに思ってもらえただけでも俺はうれしいよ」
 そう言うとノアは黒髪を掴んで、クシャと笑いながら握った。
 
 ノアと会話をするのは楽しい。
 もっといろいろなことを話してみたいと思う。
 そして時々、ノアが淋しげに笑う理由も知りたい。

 とにかく、いまはノアの言う通りに兄様の願いを叶えるために、わたしがしてみたかったことをたくさんしてみようと思う。
 いま出来る最善の方法だ。

「ノア、今日はわたしに1日付き合って。振り回すから覚悟してね」
「おう。望むところだよ」
 お互いに言葉にはしないけど、言葉には言い表せない熱を帯びたような視線を交わす。

「とりあえず、甘いものをお腹いっぱいに食べてみたいの。良いかしら?」
「もちろん、アグネスの仰せのままに」

 その後は、プリンアラモードと迷っていた焼いたりんごが入っているケーキを追加注文した。
 それだけで、お腹いっぱいになってしまう自分のお腹が恨めかしい。
 本当はもっと食べてみたかった。
 それでも、砂糖や甘味が貴重だった山奥の大聖堂の生活からは、お腹いっぱいに甘いものを食べるだなんて想像もできない幸せだ。
 山奥の大聖堂では、春になるとツツジの花の蜜をよく吸っていた。うっすら甘いしかわからなかったけど、貴重な甘味だった。
 それをノアに話すと「昆虫のようだ」とお腹を抱えて笑いながらも最後は「よく生きていたな」と褒められて、よくよく聞けば、ツツジの花の蜜には少し毒があったらしい。
 でもなぜ、大聖堂では誰も教えてくれなかったのだろう。

 甘いものを一所懸命に頬張るわたしを見るノアの瞳に熱があること、その奥に深い暗い何かが潜んでいることに気づきながら、甘いものを夢中でわたしは頬張った。
 


「もうお腹いっぱいです。苦しいです。あ、でも甘いもので苦しいだなんて、贅沢過ぎて背徳感があり過ぎます」
 カフェでお腹いっぱいになるまで、甘いものを食べた。
 甘いものが苦手なのか、ノアは紅茶しか口にしなかった。

「アグネスはいま幸せな気持ちか?」
「もちろん、幸せな気分です」
「良かった」
 ノアはそれだけ言うと、口角を上げて目を細めた。
「これからどうしますか?」
「アグネスのやりたいことがあれば、それをしよう。なければ、アグネスと一緒に行きたいところがあるんだけど」
 ノアに手を差し出された。

「えっ…と、これは?」
「手を繋ぐってやつだ。アグネスは知らないのか?」
 ノアが悪そうにニヤニヤしながら、早く手をつなげと言わんばかりに手をひらひらさせる。
「もちろん知ってます!手をつなぐのですか?」
「アグネスの初デートがレオンの願いかも知れないし、または普通の女性のように過ごすことがレオンの願いかも知れない。とにかく思いつくことをなんでもしてみるぞ」
 そう言われると、断る理由が見つからないし、わたしもさっきそうしようと考えたばかりだ。
 上手くノアに乗せられているような気もするけど、ここはやってみるしかない。

「どうぞ、よろしくお願いします」
 なんだか恥ずかしくて、ノアの顔をまともに見れなくて、下を向きながら手を出すと、あっという間にノアの大きな手に包まれた。
 ノアが確かめるように、手をギュッと握る。
 ノアを見上げると、見たこともない真剣な表情のノアの横顔に胸が高鳴った。

 わたし、ノアの横顔がカッコいいなんて、甘いもので餌付けされてすっかり絆されているわ。

「街の祭りに行くぞ!」
 わたしの手を堅く握ったノアが満面の笑みだ。
「お、お祭り?」
「街の祭りは初めてか?アグネスが行きたいところがなければ、祭りに行くぞ!」
「はっ、はい!!」