ページのすみで揺れていたもの

藤澤「今日はもう寝ろ。明日のことは、明日起きてから考えればいい」

そう言われ、私は素直に目を閉じた。

熱のせいなのか、身体は鉛みたいに重い。

「……先生」

藤澤「ん?」

「まだ、います?」

藤澤「いるよ。熱も高いし、今日は様子見てる」

あまりにも当たり前みたいに返されて、少しだけ肩の力が抜けた。

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

藤澤「最初からそうしろ」

呆れたような声を最後に、意識がゆっくり遠のいていった。

――暗い。

湿った空気。

鼻を刺すような埃の匂い。

遠くから聞こえる叫び声。

『誰か!』

『こっち、出血が――!』

トンネル。

また、あの日だ。

目の前に倒れている人。

震える手。

止まらない血。

頭上から聞こえた、嫌な音。

――ガラッ。

「……っ、危な……」

身体が強く押された。

次の瞬間、耳をつんざくような轟音。

「……やだ……」

逃げなきゃ。

でも、足が動かない。

瓦礫の下。

あの人がいる。

「……待って……」

声が震える。

「ごめんなさい……私……」

どうして。

どうして私だったの。

「……私じゃなくて……」

藤澤「須藤」

遠くから声がした。

「……っ」

藤澤「須藤。起きろ」

肩に何かが触れた。

身体がびくっと跳ねる。

藤澤「大丈夫。ここ、トンネルじゃない」

聞き慣れた声。

それでも夢と現実の境目が分からなくて、息だけがどんどん速くなっていく。

「……っ、は……っ」

藤澤「大丈夫。俺いるから」

その声と一緒に、背中に手が触れた。

ゆっくり、一定の速さで撫でられる。

藤澤「息、吐け。吸おうとしなくていいから。ゆっくり吐いて」

言われるまま、震える息を吐いた。

藤澤「そう。それでいい」

少しずつ視界が現実のものに変わっていく。

薄暗い自分の部屋。

見慣れたカーテン。

枕元の体温計。

そして――すぐそばにいる藤澤先生。

「……先生……」

藤澤「いるよ」

たったそれだけ。

なのに、その一言で張り詰めていたものがほどけた。

「……また、夢……」

藤澤「みたいだな」

藤澤先生はそれ以上、夢の内容を聞こうとはしなかった。

ただ額に手を当て、

藤澤「まだ熱いな。今明け方なんだけどもう一回眠れそう?」

そう言いながらずれていた布団を掛け直した。

「……寝るの、ちょっと怖いです」

ぽつりと漏らすと、藤澤先生が私を見る。

自分で言っておいて、急に恥ずかしくなった。

「……いや、今の忘れてください」

布団を鼻のあたりまで引き上げる。

すると少し間があって、

藤澤「眠れないなら、寝るまでトントンしててあげようか?」

「…………」

思わず布団から目だけ出した。

「子どもじゃないんですけど」

藤澤「知ってる」

「じゃあ何でトントンなんですか」

藤澤「寝るの怖いって言うから」

「25歳です」

藤澤「じゃあ25歳用のトントンで」

「何が違うんですか、それ」

藤澤「知らん」

思わず、ふっと笑ってしまった。

さっきまであんなに怖かったのに。

藤澤先生は私が笑ったのを確認すると、何事もなかったみたいに椅子へ座り直した。

藤澤「ほら。くだらないこと言ってないで寝ろ」

「先生が言い出したんじゃないですか」

藤澤「はいはい」

目を閉じる。

まだ、夢の残像は少しだけ残っていた。

それでも、さっきまでほど怖くはなかった。

「……先生」

藤澤「ん?」

「また起きた時……いてくれますか?」

今度は、布団の中から聞いた。

藤澤「いるよ」

即答だった。

藤澤「だから安心して寝ろ」

「……はい」

今度こそ目を閉じる。

少しして。

ぽん、ぽん。

布団の上から、肩のあたりをゆっくり叩かれた。

「……ほんとにするんですか」

藤澤「25歳用」

「絶対適当……」

藤澤「喋ってると寝れないぞ」

呆れながらも、目は開けなかった。

ぽん、ぽん。

一定のリズムが、眠りへ落ちていく意識の中に残る。

――今度は、怖い夢を見なかった。