ページのすみで揺れていたもの

あの日から、季節がいくつも過ぎた。

街の風景も、電車の中の会話も、ふとした瞬間に思い出すことはあるけれど、
あの事故を直接知る人たちの姿は、いつの間にか記憶の奥へと沈んでいった。

でも私は、忘れなかった。

ノートは今も手元にある。
最初のページには、血に染まった日を書きつけた文字。
そのあとには、日々の実習の気づき、落ち込んだこと、嬉しかった言葉――
少しずつ増えていく記録は、私の“生きてきた証”だった。

あれから、私は看護学生としての実習を全て終え、
国試を受け、結果通知が届くその日を、祈るような気持ちで迎えた。

そして――合格。

手にした賞状のような看護師免許証を額に大切に入れた。

これからは“看護師”なんだと背筋が伸びる思いだ。

春の光が差し込む窓辺。
私の新しい名札には「須藤 愛実 看護師」と刻まれていた。

出勤カバンにいつものノートを忍ばせて、私は初めてナースステーションに立った。

今日から、私は“学生”じゃない。
“助けたい”と願っただけじゃなくて、
“助けられる側に立つ”ことを、ようやく選べたんだ。

緊張で心臓がバクバクしている。
でも、もうあの日みたいに立ちすくまない。

命は儚い。
でも、だからこそ、大切にしたい。

私はこの手で、命を守る看護師になる。

そう心の中で静かに誓い、
ノートの新しいページを、また一枚めくった。