ページのすみで揺れていたもの

私はその場に座り込んだまま、しばらく動けなかった。
指先はまだ微かに震えていて、腕と肋骨の痛みがじわじわと浮かび上がってくる。

そんな私の隣で、藤澤先生――医師の彼はすでに動いていた。
チーム用のインカムに話しかけながら、淡々と、しかし正確に現場の情報を伝えていく。

「右手首にマジックで色の印がある。これはこの子――看護学生が見たものだ。
 判断は簡易的だが、状況と外傷を見てのものだ。精査しながら対応してくれ」

数名の救急救命士やレスキュー隊が集まってくる。
藤澤は、彼らに地図を示しながら、愛実の付けた印を順番に指で示した。

「赤は中央分離帯のところ。意識なし、出血多量。学生が簡易的な止血はしているが危険な状態。すぐ向かってくれ。
 黄はトンネル東側の車列に1人。頭部外傷と呼吸促迫様だったとのこと。
 緑はトンネル東端、自力歩行可能な女子。応急固定あり、安置済み。
 黒が一名、トンネル西側車両下で心肺停止。学生が確認済み」

淡々としたその声には、ぶれがなかった。
だけど、その一言一言に、ちゃんと“私の見たもの”が織り込まれていた。

まるで、私の行動を信頼してくれているような口ぶりだった。

「情報、正確だ。判断も筋が通ってる。大まかにはこの通り動いてくれ。
 学生は腕部・肋部に外傷・疼痛あり。搬送優先は不要。座らせて休ませてる」

一人の看護師が藤澤の元に駆け寄ってきて、地図を受け取りながら聞く。

「このマーク、学生が全部対応したんですか?」

「そうだ。独断じゃない。確認と記録、全部してある。見落としも今のところなし」

周囲が頷き、すぐに動き出す。
その光景を、私はぼんやりとした意識の中で見つめていた。

誰かの手の中に、自分の見たものが渡っていく感覚。
無力だと思っていた私の行動が、ちゃんと誰かに届いていた。


そして――その隣で、黙々と指示を出し続ける藤澤医師の後ろ姿が、やけに頼もしく見えた。