キーを押す指先をふと止めて、斜め前の人の顔をそっと伺う。
流暢な英語で電話の相手と会話を交わしている彼の顔は、普段と変わらず無表情。
会話の内容からして、海外支社で何かトラブルが起き、それの対応指示を出しているようだった。
『こちら』に来てから三日目、彼の携帯にはひっきりなしに連絡のコールが鳴り響いている。
最初は、自分も一度退職の後に個人契約を交わしたとはいえ、社長が七日間も社を離れるなど大丈夫なのかと心配になったものだけど、(主にかつての同僚達が)頻繁に連絡を取り指示を飛ばしている様子から、不便ではあるもののなんとか回っているらしかった。
まあ、私の退職日に確認した限りでは、三嶋社長が参加しなければいけないような大きな会議や取引先との会合は暫く無かったから大丈夫だろう。
……でも、私が原因、なのよね。彼がこんな事してるのって。
それを思うと、少しだけ胸の鼓動が早くなる。
今は仕事中、と気分を切り替えるつもりで、一度ぎゅっと目を瞑り、再びパソコンの画面を見るけれど、やはり彼の事が気になって、駄目だと思うのにまた視線が引き寄せられていく。
まだ淡々と説明と指示を交えて会話を続ける横顔は、この七年、見慣れているはずのものなのに。
彫りの深い顔立ちは、横顔で見るとより一層際立っているし、少々冷たく見える切れ長の瞳は、仕事中のみ掛けられる細めフレームの眼鏡に縁取られている。
パソコンの画面に注がれている視線は真剣で、口調には一切の濁りや迷いは見えない。彼に判断を仰いでも思案するのはいつも一瞬で、しかも指示通りにして外れた事が無いのがこれまた凄い所だ。その頭の中は一体どういう作りになっているのかと何度も疑問に思ったほどだった。
彼の秘書として配属された当初はその有能ぶりに日々驚かされたものだったけれど、例え超人みたいな人の傍に居てもそれが毎日だとさすがに慣れるもので、私など想像もつかないほど膨大な知識と回転の早さを持ち合わせているのだろうといつしか気にする事もなくなっていた。
『仕事ができる』
『見目が良い』
『無表情で無感動』
『何を考えているかわからない』
彼に対する評価は、私も周囲と大して変わらない。
……変わらないはずだった。今までは。
けれど。
彼の瞳の熱さも、腕の温もりも、唇の感触も、今の私は知っている。
それがたぶん、以前と大きく違う所だろう。
会話が済んだのか、彼が携帯電話から耳を離し机に置いた。
ふうと一息ついてから、背もたれへと身体を沈める。そして一瞬考え込むような仕草を見せると、すぐにまたカタカタとパソコンのキーを叩き出した。
ただ仕事をしているだけなのに、その一連の動作に色めいたものを感じてしまうのは、今朝彼にされた、啄ばむようなキスのせいだろうか。
今朝の口付けは、これまでの深いものとは違い、付き合い立ての恋人達が交わす様な、甘く触れるだけのものだった。
それを思い出すと、なんだかむず痒い様な、頬が熱くなる様な気がした。
彼の横顔に今朝の出来事を思い出していると、突然、三嶋社長が振り向き驚く。
「っ!」
不意打ちの動作に慌てて顔を下げてももう遅い。
束の間合わさった視線に鼓動が大きく跳ね上がっていた。
バレた―――?
内心のパニックを悟られないように、不自然は承知で無言で仕事しているフリをする。
じっと見つめてくる彼の視線を感じながら、キーを叩いてみるけれど、指先が震えているせいか上手く打てず、意味不明な文字が羅列されてしまう。
何してるんだろう。私。これじゃあ意識してるのバレバレじゃない。
それを慌てて消していると、くすりと笑う気配で空気が揺れる。
え、と思わず顔を向けると、三嶋社長がこちらを見つめながら微笑んでいた。
「……可愛い」
そう告げる彼の顔はどこか嬉しそうで。
眼鏡の奥で細められた瞳も、うっすらと弧を描いた唇も、真っ直ぐ私へと向けられていて。
言われた言葉に、火が点いた様に顔がかっと熱くなる。
「な、何を……っ」
ぱくぱくと口を開け閉めしながら羞恥で固まる私に、三嶋社長は小さな笑い声をまた零す。楽しそうに、嬉しげに。
彼を意識してしまっている事、見つめていた事、それを知られている事に、恥ずかしさで一層鼓動が早く大きくなった。
「……嬉しいんだ。君の反応が」
そう言いながら笑みを浮かべる彼を見て、私は自分が甘く蕩ける罠に嵌ってしまった様な、そんな気がしていた。
流暢な英語で電話の相手と会話を交わしている彼の顔は、普段と変わらず無表情。
会話の内容からして、海外支社で何かトラブルが起き、それの対応指示を出しているようだった。
『こちら』に来てから三日目、彼の携帯にはひっきりなしに連絡のコールが鳴り響いている。
最初は、自分も一度退職の後に個人契約を交わしたとはいえ、社長が七日間も社を離れるなど大丈夫なのかと心配になったものだけど、(主にかつての同僚達が)頻繁に連絡を取り指示を飛ばしている様子から、不便ではあるもののなんとか回っているらしかった。
まあ、私の退職日に確認した限りでは、三嶋社長が参加しなければいけないような大きな会議や取引先との会合は暫く無かったから大丈夫だろう。
……でも、私が原因、なのよね。彼がこんな事してるのって。
それを思うと、少しだけ胸の鼓動が早くなる。
今は仕事中、と気分を切り替えるつもりで、一度ぎゅっと目を瞑り、再びパソコンの画面を見るけれど、やはり彼の事が気になって、駄目だと思うのにまた視線が引き寄せられていく。
まだ淡々と説明と指示を交えて会話を続ける横顔は、この七年、見慣れているはずのものなのに。
彫りの深い顔立ちは、横顔で見るとより一層際立っているし、少々冷たく見える切れ長の瞳は、仕事中のみ掛けられる細めフレームの眼鏡に縁取られている。
パソコンの画面に注がれている視線は真剣で、口調には一切の濁りや迷いは見えない。彼に判断を仰いでも思案するのはいつも一瞬で、しかも指示通りにして外れた事が無いのがこれまた凄い所だ。その頭の中は一体どういう作りになっているのかと何度も疑問に思ったほどだった。
彼の秘書として配属された当初はその有能ぶりに日々驚かされたものだったけれど、例え超人みたいな人の傍に居てもそれが毎日だとさすがに慣れるもので、私など想像もつかないほど膨大な知識と回転の早さを持ち合わせているのだろうといつしか気にする事もなくなっていた。
『仕事ができる』
『見目が良い』
『無表情で無感動』
『何を考えているかわからない』
彼に対する評価は、私も周囲と大して変わらない。
……変わらないはずだった。今までは。
けれど。
彼の瞳の熱さも、腕の温もりも、唇の感触も、今の私は知っている。
それがたぶん、以前と大きく違う所だろう。
会話が済んだのか、彼が携帯電話から耳を離し机に置いた。
ふうと一息ついてから、背もたれへと身体を沈める。そして一瞬考え込むような仕草を見せると、すぐにまたカタカタとパソコンのキーを叩き出した。
ただ仕事をしているだけなのに、その一連の動作に色めいたものを感じてしまうのは、今朝彼にされた、啄ばむようなキスのせいだろうか。
今朝の口付けは、これまでの深いものとは違い、付き合い立ての恋人達が交わす様な、甘く触れるだけのものだった。
それを思い出すと、なんだかむず痒い様な、頬が熱くなる様な気がした。
彼の横顔に今朝の出来事を思い出していると、突然、三嶋社長が振り向き驚く。
「っ!」
不意打ちの動作に慌てて顔を下げてももう遅い。
束の間合わさった視線に鼓動が大きく跳ね上がっていた。
バレた―――?
内心のパニックを悟られないように、不自然は承知で無言で仕事しているフリをする。
じっと見つめてくる彼の視線を感じながら、キーを叩いてみるけれど、指先が震えているせいか上手く打てず、意味不明な文字が羅列されてしまう。
何してるんだろう。私。これじゃあ意識してるのバレバレじゃない。
それを慌てて消していると、くすりと笑う気配で空気が揺れる。
え、と思わず顔を向けると、三嶋社長がこちらを見つめながら微笑んでいた。
「……可愛い」
そう告げる彼の顔はどこか嬉しそうで。
眼鏡の奥で細められた瞳も、うっすらと弧を描いた唇も、真っ直ぐ私へと向けられていて。
言われた言葉に、火が点いた様に顔がかっと熱くなる。
「な、何を……っ」
ぱくぱくと口を開け閉めしながら羞恥で固まる私に、三嶋社長は小さな笑い声をまた零す。楽しそうに、嬉しげに。
彼を意識してしまっている事、見つめていた事、それを知られている事に、恥ずかしさで一層鼓動が早く大きくなった。
「……嬉しいんだ。君の反応が」
そう言いながら笑みを浮かべる彼を見て、私は自分が甘く蕩ける罠に嵌ってしまった様な、そんな気がしていた。



