ツアーが終われば二度と会わない他人のために、彼女は自分の時間を差し出した。そこに損得などはなく、ただ相手のためを思って笑顔で接している。
(真似できない振る舞いだな。心が美しい証拠だ)
見返りを求めない優しさを持つ彼女は、自分とは正反対に位置する存在だ。だからこそ、たったそれだけの出来事が伊織にとってはひたすらに眩しく映り、強く印象に残った。
スリに遭いかけている女性が、昨日タクシー乗り場で介抱していた女性と同じだと気付いた瞬間、伊織は柄にもなく運命的なものを感じ、もっと彼女のことを知りたいという衝動に駆られた。
そして深く知れば知るほど、伊織は彼女に惹かれるに違いない。そんな直感が働いた。
スリを追い払ったあと、外交官であると身分を明かして食事に誘うと、お礼をしたいからと頷いてくれた。自分から誘っておいておかしな話だが、あまりにも疑わずについてくる千鶴に不安を覚える。
お人好しだという自覚はあるらしいが、本人が認識している以上に危なっかしさが垣間見えた。華奢で守ってあげたくなるような外見をしているため、余計に庇護欲をそそるのだ。



