半年前、フランスにある日本大使館で働いていた伊織は、スリ被害に遭いそうになっていた千鶴に声をかけた。
スリの女の見た目や言動から、バイト感覚で犯罪に手を出したのだろうとすぐに察しがついた。小金で雇われ観光客を狙う若者が増えていると、大使館でも旅行者に警鐘を鳴らしていたためだ。
アジア人の若い女性のひとり歩きというだけでターゲットになりそうな彼女だが、本人もまた信じられないほどのお人好しだった。
今どき誰も引っかからないだろうという古典的で雑な手口だったにもかかわらず、あっさりとスマホを取り出そうとしたので驚いた。
その上、伊織が女を追い払い、相手がスリだと理解したにもかかわらず、本当に困っていたわけじゃなくてよかったと微笑んだのだ。
それだけを見れば、随分世間知らずの日本人だと呆れて終わったのかもしれない。
けれど、伊織はその前日にも彼女を見かけていた。
伊織がタクシー乗り場へ着くと先客が並んでおり、具合の悪そうな婦人が何度も隣で介抱する彼女に謝っていた。観光中に体調不良で離脱した婦人に付き添い、エッフェル塔へ登らずにホテルへ帰るところらしい。



