夜。
私は机に向かい、ペンを握りしめたまま動けずにいた。
描かなきゃいけないのに。締め切りも近いのに。
でも、橘の言葉が頭の中でぐるぐる回って、全然集中できない。
「……経験、ね」
ぼそっと呟く。
確かに、リアリティのある漫画を描くには、経験が必要なのかもしれない。でも、そんなの言い訳だ。
本当は――ただ、あの言葉が気になってるだけ。
「……馬鹿みたい」
私は自嘲しながらスマホを手に取る。
橘とのトーク画面を開くと、指が勝手に動いていた。
「今、時間ある?」
送信した瞬間、心臓が跳ねる。
すぐに既読がついた。
「ありますよ 先生から誘うなんて珍しいですね」
躊躇う。今ならまだ引き返せる。
でも、引き返したくない気持ちの方が強かった。
「……取材の協力、お願いできる?」



