――引き止めたら、本当に残る?

――でも、私なんかのために……?

「……」

橘がいつもみたいに原稿をチェックし始める。

何事もなかったかのように。

それが、なんだか無性に悔しかった。

「……っ、待って」

気づけば、言葉が出ていた。

橘の手が止まる。

「……先生?」

「……行かないで」

自分でも驚くほど小さい声だった。

「……僕のために?」

「……違う、私のため」

顔を上げて、まっすぐ橘を見た。

「橘がいないと……寂しい」

「……っ」

橘の表情が、少しだけ揺れる。

「バカみたいな取材も、どうでもいい話も、全部……楽しかった。だから、いなくなるなんて……絶対に嫌」

「……」

橘はじっと私を見つめて、それから。

「……そっか」

ゆっくりと、ふっと笑った。

「じゃあ、もうちょっと先生のそばにいますかね」

優しくそう言って、橘は原稿に視線を戻す。

――まるで、最初からそう決めていたみたいに。