水嶋君を匿って以降、私と水嶋君は顔を合わせるとよく話すようになった。
最初の頃は世間話する程度だったが、徐々にお互いのこと――例えば、趣味や好きな食べ物のことなんかも話すようになった。
水嶋君は口数が多い方ではなく、話し掛けるのはいつも私の方からだけど、質問すれば答えてくれるし、その流れでこちらに質問をし返すこともあるから会話が途切れて気まずい空気になることもない。
会話が弾むというよりも、湖に小石を投げたら綺麗に波紋が広がっていくような、静かだけど確かな反応が返ってくる感じだ。
ある日の朝。
いつもと同じ時間の電車に乗ると、珍しく水嶋君が乗っていた。
「おはよう」
私が声を掛けると、水嶋君も「おはよう」と返してくれた。
「今日は朝練なかったの?」
「あぁ、久しぶりにな」
「じゃあ今朝はいつもよりゆっくり寝られたんじゃない?」
「そうだな」
そんな風に話していたら、途中の駅に停車する。
いつもなら体感数秒経つとすぐに発車するのだが、この時はなかなか電車が動き出さなかった。
私達は今、吊り革に掴まって立っているのだが、反対側からドアが開閉を繰り返している音が聞こえてくる。
どうやら人が入りきらないせいで、ドアがちゃんと閉まらないみたい。
そのせいで発車に時間が掛かっているようだ。
「おい! 乗れねーなら降りろよ! 迷惑だろうが!」
突然、頭上から降ってきた怒鳴り声に、私の肩はビクッと跳ね上がる。
恐る恐る怒号の発信源を横目で見ると、私のすぐ近くにいたサラリーマンと思わしき中年男性が凄く怖い顔でドアの方を睨みつけていた。
「はあ? 誰だよ、今言ったの!」
対して、ドア前にいるこれまたサラリーマンらしき風貌の中年男性が対抗するように大声を上げた。
立っている場所的に、ドアが閉まらない原因がその人にあると思われるから、自分が怒鳴られたと思って言い返したのだろう。
男性二人の喧嘩に、車内の空気は重く静まり返る。
その後、やっとのことドアは閉まり、彼らもそれ以上言い争うことはなかったけれど、次またどこで爆発するか分からない不穏さは残ったままだ。
いつ破裂してもおかしくない風船を見ているような、恐怖と緊張感がある。
怖かった……。
大人の男性が怒鳴り合う場面なんて、これまでの人生で遭遇したことがなかった。そして、出来れば遭遇したくなかった。
私は当事者じゃないけれど、まるで自分が怒鳴られたような気持ちに陥ってしまう。胃をギュッと掴まれているような苦しさを覚えた。
「小岩井」
その時、初めて水嶋君から声を掛けられた。
「これ、見てくれ」
そして彼は、自分のスマホの画面を私に見せてきた。
なんだろうと思い見てみると、それは動画だった。
動画投稿サイトに上げられているものではなく、カメラアプリに保存されたアルバム用の動画だ。
動画の中には一羽のうさぎが部屋の中をぴょんぴょん歩き回っている姿が映し出されていた。
「わあっ、可愛い……!」
電車内だから声量こそ抑えたものの、思わず声に出してしまった。
だって、それくらい、そのうさぎちゃんが可愛かったのだから。
真っ白な毛並みは艶があり、つぶらな瞳は黒真珠のような輝きを放っている。画面越しでも体毛がふわふわしているのが伝わってきて、撫で回したい衝動に駆られるくらい魅力的だ。
まるで絵本の世界から飛び出してきたかのような愛らしさである。
「うちのうさぎだ」
「え? 水嶋君のお家、うさぎ飼ってるの?」
「あぁ、二年くらい前からだな。ネザーランドドワーフの女の子だ」
「ネザーランドドワーフって確か、うさぎの中でも一番体が小さい種類の子だよね?」
「あぁ、大人になってもあまりデカくならない。耳も他の個体より短いんだ」
「へぇ……」
その話を聞いて以前、どこかでうさぎの一歳は人間でいう十八〜二十歳くらいだというのを聞いたことがある。
水嶋君の話だとこのうさぎちゃんはもう二歳だから、とっくに成人を超えていることになるけれど、動画で見る感じだとまるでまだ仔うさぎのように小柄であどけない。
「名前はなんていうの?」
「『すもも』だ」
「すももちゃんかぁ、名前も可愛い!」
「俺は『すもも』とか『すーも』って呼んでる」
「『すーも』って……ふふっ、それじゃあお部屋探しのマスコットみたいだよ」
私の頭の中に、うさぎのすももちゃんと緑色の丸っこいあの子が仲良く遊び回っている想像が映し出された。
可愛い組み合わせに笑みが溢れてしまう。
「部屋探しのマスコットか……ふっ、確かにな」
「あ……」
その時、私は初めて水嶋君の笑った顔を見た。
切れ長の瞳が優しく細められ、いつも直線で固く結ばれていた唇が柔らかく上がる。
これまでイケメンだなとは思っていても、それ以上の感情を抱くことはなかった。
生身の人間というよりは名画を鑑賞しているような感じだった。
けれど、その笑顔を見て初めて心臓がキュンと甘く高鳴ったのだった。
それにしても、なんで急に自分ん家のうさぎを私に見せてきたんだろう?
これまで自ら進んで自分のことを話すことなんてなかったのに。ましてや、ペットの話なんて結構パーソナルな部分だと思うんだけど。
けれど、元気いっぱいに部屋の中を走り回るすももちゃんを見たら、暗く沈んでいた気持ちがぴょんっと跳ねるように軽くなり、温かく和やかなものへと変わっていった。
最初の頃は世間話する程度だったが、徐々にお互いのこと――例えば、趣味や好きな食べ物のことなんかも話すようになった。
水嶋君は口数が多い方ではなく、話し掛けるのはいつも私の方からだけど、質問すれば答えてくれるし、その流れでこちらに質問をし返すこともあるから会話が途切れて気まずい空気になることもない。
会話が弾むというよりも、湖に小石を投げたら綺麗に波紋が広がっていくような、静かだけど確かな反応が返ってくる感じだ。
ある日の朝。
いつもと同じ時間の電車に乗ると、珍しく水嶋君が乗っていた。
「おはよう」
私が声を掛けると、水嶋君も「おはよう」と返してくれた。
「今日は朝練なかったの?」
「あぁ、久しぶりにな」
「じゃあ今朝はいつもよりゆっくり寝られたんじゃない?」
「そうだな」
そんな風に話していたら、途中の駅に停車する。
いつもなら体感数秒経つとすぐに発車するのだが、この時はなかなか電車が動き出さなかった。
私達は今、吊り革に掴まって立っているのだが、反対側からドアが開閉を繰り返している音が聞こえてくる。
どうやら人が入りきらないせいで、ドアがちゃんと閉まらないみたい。
そのせいで発車に時間が掛かっているようだ。
「おい! 乗れねーなら降りろよ! 迷惑だろうが!」
突然、頭上から降ってきた怒鳴り声に、私の肩はビクッと跳ね上がる。
恐る恐る怒号の発信源を横目で見ると、私のすぐ近くにいたサラリーマンと思わしき中年男性が凄く怖い顔でドアの方を睨みつけていた。
「はあ? 誰だよ、今言ったの!」
対して、ドア前にいるこれまたサラリーマンらしき風貌の中年男性が対抗するように大声を上げた。
立っている場所的に、ドアが閉まらない原因がその人にあると思われるから、自分が怒鳴られたと思って言い返したのだろう。
男性二人の喧嘩に、車内の空気は重く静まり返る。
その後、やっとのことドアは閉まり、彼らもそれ以上言い争うことはなかったけれど、次またどこで爆発するか分からない不穏さは残ったままだ。
いつ破裂してもおかしくない風船を見ているような、恐怖と緊張感がある。
怖かった……。
大人の男性が怒鳴り合う場面なんて、これまでの人生で遭遇したことがなかった。そして、出来れば遭遇したくなかった。
私は当事者じゃないけれど、まるで自分が怒鳴られたような気持ちに陥ってしまう。胃をギュッと掴まれているような苦しさを覚えた。
「小岩井」
その時、初めて水嶋君から声を掛けられた。
「これ、見てくれ」
そして彼は、自分のスマホの画面を私に見せてきた。
なんだろうと思い見てみると、それは動画だった。
動画投稿サイトに上げられているものではなく、カメラアプリに保存されたアルバム用の動画だ。
動画の中には一羽のうさぎが部屋の中をぴょんぴょん歩き回っている姿が映し出されていた。
「わあっ、可愛い……!」
電車内だから声量こそ抑えたものの、思わず声に出してしまった。
だって、それくらい、そのうさぎちゃんが可愛かったのだから。
真っ白な毛並みは艶があり、つぶらな瞳は黒真珠のような輝きを放っている。画面越しでも体毛がふわふわしているのが伝わってきて、撫で回したい衝動に駆られるくらい魅力的だ。
まるで絵本の世界から飛び出してきたかのような愛らしさである。
「うちのうさぎだ」
「え? 水嶋君のお家、うさぎ飼ってるの?」
「あぁ、二年くらい前からだな。ネザーランドドワーフの女の子だ」
「ネザーランドドワーフって確か、うさぎの中でも一番体が小さい種類の子だよね?」
「あぁ、大人になってもあまりデカくならない。耳も他の個体より短いんだ」
「へぇ……」
その話を聞いて以前、どこかでうさぎの一歳は人間でいう十八〜二十歳くらいだというのを聞いたことがある。
水嶋君の話だとこのうさぎちゃんはもう二歳だから、とっくに成人を超えていることになるけれど、動画で見る感じだとまるでまだ仔うさぎのように小柄であどけない。
「名前はなんていうの?」
「『すもも』だ」
「すももちゃんかぁ、名前も可愛い!」
「俺は『すもも』とか『すーも』って呼んでる」
「『すーも』って……ふふっ、それじゃあお部屋探しのマスコットみたいだよ」
私の頭の中に、うさぎのすももちゃんと緑色の丸っこいあの子が仲良く遊び回っている想像が映し出された。
可愛い組み合わせに笑みが溢れてしまう。
「部屋探しのマスコットか……ふっ、確かにな」
「あ……」
その時、私は初めて水嶋君の笑った顔を見た。
切れ長の瞳が優しく細められ、いつも直線で固く結ばれていた唇が柔らかく上がる。
これまでイケメンだなとは思っていても、それ以上の感情を抱くことはなかった。
生身の人間というよりは名画を鑑賞しているような感じだった。
けれど、その笑顔を見て初めて心臓がキュンと甘く高鳴ったのだった。
それにしても、なんで急に自分ん家のうさぎを私に見せてきたんだろう?
これまで自ら進んで自分のことを話すことなんてなかったのに。ましてや、ペットの話なんて結構パーソナルな部分だと思うんだけど。
けれど、元気いっぱいに部屋の中を走り回るすももちゃんを見たら、暗く沈んでいた気持ちがぴょんっと跳ねるように軽くなり、温かく和やかなものへと変わっていった。
