いちごアイスの溶けはじめ

 体育祭当日は天候に恵まれた。
 雲一つない青空とカラッとした気候。相変わらず容赦ない暑さだが、まるで今日のために用意されたような天気だ。
 
 開会式が終わり、プログラムに沿って種目が開催されていく。
 大玉転がしや綱引き、台風の目などのメジャーなものから、三輪車レースやバブルサッカーといった一風変わったものまで様々な種目があるが、どれも凄く盛り上がっていた。それは誰もが一生懸命且つ楽しんで取り組んでいるからだと思う。

 かく言う私はどうかというと……みんなに付いていくのが精一杯で楽しむ余裕がない。
 そもそも運動音痴にとって、体育祭は楽しい学校行事とは言えない。どちらかと言えば、辛いや苦しいという感情が勝つ。
 今も台風の目で目を思いっきり回したばかりで、グルグルする視界と戦いながら戻ってきた。

「うわっ! ちょっと、美菜子大丈夫?」
「あはは……な、なんとか……」

 心配してくれる千夏ちゃんに、私はなんとか笑みを浮かべながら大丈夫なことを伝える。
 
「美菜子ちゃんの番の時、遠心力やばかったよね」

 近くにいたクラスメイトの子がそう声を掛けてきた。
 彼女が言うように、私の番の時は同じチームの人達が足の速い人ばかりだから、私はほとんどその人達に引っ張られるように走っていた。
 台風の目は一チーム五人で棒を持ったままリレーゾーンを走り、途中にいくつか設置してあるコーンの周りを回りながらゴールを目指すという競技だ。グルグル回る様子が台風の目のようだからと名付けられたわけだが、最初にこれを考えた人は上手いことを言ったものだ。

「うん。みんな足の速い人達ばかりだったから、付いていくのが大変だったよ。とにかく棒から手を離さないように必死だったもん」
「あの場で手を離して置いていかれたら居た堪れないもんね」

 私も置いていかれなくて本当に良かったと思う。ポツンと取り残される自分を想像して少し怖くなった。

「あ、そろそろ男子の種目始まるみたい」
「マジか! 観なきゃじゃん、行こう!」
「あ、うんっ」

 クラスメイトの声掛けで私達は場所を移動する。

 次の種目は一年生の男子による障害物競走だ。
 男子達がスタートラインで待機している。ドキドキワクワクしながら始まるのを待っていると、ピストルが空に打たれて、皆勢い良く走り出した。
 瞬間、応援側は目一杯の声援を送り始める。私も彼女達と同じように声を張った。

 ネットを潜ったり、平均台の上を渡ったりなど、様々な障害物を突破しながらゴールまで走っていく姿は、男子ならではの迫力も相まって面白い。
 なので応援側も盛り上がるわけだが、四番目辺りで水嶋君の出番が来ると、より一層の盛り上がりを見せた。

「きゃーっ! 水嶋くーん!」
「頑張ってー!」

 水嶋君が走り出した途端、女子達が色めき立って、先程よりも大きな声で応援する。

「楓斗くーん! いけいけーっ!」

 姉崎さんが周りの女子達に負けじと声量とトーンを上げながら声援を送っている。
 その両手には手作りの横断幕が掲げられていて、その両端を倉橋さんと本郷さんが支えて広げて見せていた。
 総体の時もそうだったけれど、姉崎さん達の水嶋君に対する応援の熱量は本当に凄い。あの時の私はその勢いに少し引いてしまっていたけれど、今はその熱に触発されたみたいだ。

「頑張れー!」

 気付けば私も負けないように声を張っていた。
 少しの気恥ずかしさはあるが、それ以上に応援したいという気持ちが勝るため、構わず声援を送り続ける。

「すっげー盛り上がってんな」
「わっ! 猪上先輩?」

 背後から突然声が聞こえ、驚いて振り向くと猪上先輩がそこにいた。
 猪上先輩は私と目が合うと「よ、よう」と少しぎこちない様子で挨拶をするので、私も「こんにちは」と返した。

「今は一年が競技やってんだな」
「はい。ちょうど水嶋君の出番で——」

 言い終わる前にハッとなり口が止まる。
 仲の悪い後輩の話をするのはまずかったかな? 昨日も喧嘩してたし……。そんな考えがよぎり、それ以上言葉を続けることが出来なかったのだ。
 ちらりと猪上先輩の方を見る。気を悪くさせてしまったかもしれない。

 ところが、猪上先輩は特に不機嫌になるわけでもなく、寧ろ笑顔で水嶋君を眺めていた。

「うわっ! あいつ、すげーな。ぶっちぎりじゃん!」

 それは飾り気のない心からの賛辞だった。
 意外と言うのは失礼かもしれないが、猪上先輩は水嶋君のことをあまり好きではないのだと思っていたから、そんな風に率直に褒めるのは予想外だったのだ。けれど、それなら安心した。
 
「凄いですよね。あんなに速く走れるなんて」
「おう! マジで足はえーよな、あいつ!」

 私が同調すると猪上先輩は楽しそうに答える。

「本当にすげー奴だよな、水嶋って。部活でも入ったばっかであっさりレギュラーになっちまうし」

 ははっ、と元気いっぱいに笑う猪上先輩だったが、次第にその顔は弱々しくなっていき、遂には曇りがかったような笑みになる。

「……俺なんて一年の頃は基礎練ばっかで、試合に出られたのもこの前の総体が初だってのによォ。それでも大して役に立てたわけでもねーし、寧ろみんなの足を引っ張っちまってばかりで、ほんと情けねーわ」
「そんなことないですよ! 先輩のアシストのおかげで得点に繋がった場面もたくさんありましたもん」
「ありがとな。けど、自分では碌に点を決めることもできなかった」

 確かに猪上先輩がシュートを決めた回数は全試合を通しても少なかったが、だからといって、私は彼がチームメイトの足を引っ張っていただなんて思えない。
 けれど、本人にとっては点を取れなかったという事実が重くのしかかっているようだ。
 
「決勝敗退した時、俺のせいで負けただなんて言うのは烏滸がましいかもしれねーが、それでも俺がもっと点を決めてれば……なんてことは考えてる。そして、そう思ったら余計に悔しくてよ……」

 猪上先輩はさらに続ける。

「俺は特別バスケが上手いわけじゃねーから、その分を努力や根性でなんとかカバーしてきたが、ああいう上手い奴を見るとそれだけじゃどうにもならないことってあるんだなって思い知らされるわ。すげーとは思うが、正直焦るし、嫉妬する。せめて素直に『すげーなお前』って口に出して言えれば、あいつと話すのも少しは楽になれるんだけどな」

 自嘲するように言うその姿を見て、もしかして……とある考えが浮かぶ。
 ひょっとしたら、猪上先輩は水嶋君のことを嫌っているのではなく、ただどう接して良いのかが分からないだけなのではないだろうか。

 先程も水嶋君が走っている姿を見て手放しで褒めていたし、凄いと思っているのはきっと本心なのだろう。
 けれど、一方で焦燥や劣等感を抱いてしまう。無理もない。だって、自分がこれまで必死に足掻いて掴み取ったものを、後輩があっさりと手に入れてしまう姿を見て、純粋に称賛できる人はどれだけいるか。
 勿論、水嶋君が何も努力していないというわけではないが、それでも適性や飲み込みの早さは大なり小なり関係しているだろう。
 嫉妬という言葉で片付けるには複雑な感情であり、それが原因で辛く当たってしまっているのではないのか。
 
「おーい、崋山! なに一年の子ナンパしてんだよ」

 遠くから猪上先輩を呼ぶ男子の声が聞こえてきた。
 見ると、二年生と思わしき男子二人がこちらを見ていた。猪上先輩の友達だろうか。

「はあ!? し、してねーし!」
「次、俺らの出番だろ? 早く来いよー」
「わーってるよ! ……じゃあ、俺もう行くわ」
「あ、はい」

 友達の揶揄いにムキになって言い返した猪上先輩は、もう一人の友達に促されて彼らの元へ走って行った。