いちごアイスの溶けはじめ

 藤の花を見つめる少年がいた。
 五月上旬である今は藤の花盛りとも言える時期で、校舎の入り口付近にある藤棚も淡い紫色の房が一面を覆い、皆が頭を垂れるほど豊かに実っている。見事なまでに美しい藤棚だ。
 そして、そんな藤棚を眺める少年もまた美しかった。
 癖のない艶やかな黒髪の下には、風鈴の音色のように涼しげな瞳が潜んでいて、横顔はメリハリがありながらもシャープでなめらか。花に囲まれているという状況も相まって、絵画めいた光景を生み出している。
 花を愛でるイケメンの図に、周りの女子達は皆、頬を薔薇色に染めてうっとりと目を細めていた。

「綺麗……」
「尊い……」
「他の男子と同じ人間だとは思えない……」
「来世は藤の花になりたい……!」

 口々に溢れる感嘆の声。
 最後やばいことを言ってる人がいたけど気にしないでおこう。

 まるで芸術鑑賞でもしているかのような雰囲気に、一瞬「あれ? 今って美術の時間だったっけ?」と錯覚しそうになる。
 しかし、今は美術の時間ではなく、生物の時間だ。
 学校にある植物を観察するという目的で校庭に出ており、ノートとシャーペンを持って記録を取るのが今日の授業の内容である。
 そして、少年が花を愛でているように見えるのは、ただ観察しているだけだ。
 私はさっきまで花壇で記録を取っていたのだが、次なる観察対象を求めて歩いていたら偶然藤棚の前を通り、彼の姿が見えたというわけである。

「相変わらずの人気だなぁ、水嶋(みずしま)君」

 女子達の熱心な視線を意図せず独占している彼を遠くから眺めながら、私はそう呟いた。

 一ヶ月前、この高校に入学した日のことを思い出す。
 配属されたクラスの教室へ着くと、女子達がこぞってある一人の男子生徒を遠巻きに見ながら「あの人、めっちゃかっこよくない?」と騒いでいた。
 それが彼――水嶋君だった。
 そして式が始まり、新入生代表の挨拶を任されていた水嶋君が登壇した瞬間、体育館中の女子生徒が彼にハートを射抜かれた光景は今でも忘れられない。

 実際、水嶋君は遠目から見ても分かるくらい凄くかっこいい人だ。
 顔立ちが整っているのは勿論、雰囲気も洗練されて大人びているし、背はスラリと伸びている。
 話す声は変声期をとうに終えた成人男性のように低く落ち着いているが、どこか甘さも感じられて、聞いているとなんだかドキッとしてしまう。
 初めて見た時は「本当に私と同い年なのだろうか?」なんて疑ったくらいだ。

 あの入学式以降、水嶋君は同学年の子だけでなく、上級生の女子からも告白やアプローチを受けるようになった。
 それは噂で聞くものもあれば、私自身がこの目で直接見たものもある。
 だけど、水嶋君はそれらを全て氷のような表情と一言で一蹴したのだった。

 手作りお弁当を渡してきた、隣のクラスの健気で家庭的なあの子には「食わん」。
 放課後一緒に遊ばないかと誘った、弾ける笑顔がチャームポイントのクラスメイトには「行かねえ」。
 逆ナンしてきた、大人の色香漂う三年の先輩には「やめてください」等々。
 最後の「やめてください」に関しては、もはや痴漢してきたおじさんに対する言い方だったとのこと。

 私が実際に見たものだと、告白してきた子の返事にコンマー秒で「無理」と答えたやつだ。
 あまりにもバッサリ斬り捨てるものだから、その子もショックを受けるというよりは唖然としていた。
 しかし、水嶋君は「用なら済んだだろう」と言わんばかりに背を向けて颯爽と行ってしまったのだった。
 春なのに、雪でも降るかのような冷たい風が吹き晒したかのようだった。

 このように、女の子達からの好意を氷の剣で一刀両断し続けた結果、いつしか水嶋君は「女嫌い」と噂されるようになった。
 それでも未だ女子からの人気が途絶えることはなく、寧ろそんなところがクールで良いと好意的に評価されている。
 現に今も花を観察しているだけなのに、こんなにも人を夢中にさせているのだからイケメンって凄いなと思う。
 けれど、本人は周りの熱心な視線など歯牙にも掛けず、黙々とノートに藤の記録を書いていた。

楓斗(ふうと)君、観察進んでる?」

 そこに一人の女子生徒がやって来て、水嶋君にそう話し掛けた。
 対して、水嶋君はノートに目を向けたまま「あぁ」とだけ答える。

「早いね、流石! 莉亜(りあ)はまだあんまり進んでないの。観察ってどうすればいいのか分からなくて……」
「普通に対象をスケッチして、特徴とか気付いたことを書けばいいだけだろ」
「やだ、楓斗君ってば。教科書みたいなこと言わないでよぉ」

 彼女は姉崎(あねさき)さんといい、水嶋君に好意を抱いている女子の一人だ。
 水嶋君のことを下の名前で呼んだり、今みたいに距離を近付けたりなどそのアプローチ方法は積極的かつ分かりやすい。
 また、水嶋君にどれだけ素っ気ない態度を取られてもお構いなしにアピールを続ける、強靭なメンタリティを誇る人でもある。

「観察のやり方が分からないってどういう理由よ」

 ツッコミにも似た感想をぼそりと呟いたのは、さっきまで水嶋君の観察姿にうっとりしていた女子だった。
 別の女子が「ちょっと、聞こえちゃうよ」と咎めるが時すでに遅し。
 姉崎さんの黒目がちな瞳が、途端に某探偵アニメの犯人みたいに鋭くなり、声が聞こえた方をギンッと音が鳴るくらい強く睨み付ける。
 睨まれた女子達はその迫力にビクッと肩を跳ねさせた。
 
 姉崎さんは彼女達をひと睨みだけで黙らせた後、またすぐにきゅるんとした顔に戻り、瞳を潤ませながら水嶋君に言う。

「楓斗君……なんかあそこにいる人達が、莉亜の悪口言ってくるよぉ。てか、あの人達さっきから楓斗君のこと見てない? 怖いんだけど!」

 さっきの恐ろしい目力で牽制して終わりかと思えば、どうやらそれだけでは気が済まなかったみたい。
 虐められたと訴えるだけでなく、悪口を吹き込んで彼女達の心証を下げようとしている。
 加害者扱いされた女子達は「はあ!?」と驚き、不服そうな表情を浮かべるが抗議する勇気は持ち合わせていないようだ。
 それをいいことに、姉崎さんは話を続ける。

「はぁ……目立つ人って大変だよね。莉亜もね? 自分では目立ってるなんて思わないんだけど、周りの反応を見る限りだとそのタイプっぽいっていうか。でも、そのせいで今みたいに女子から悪口言われちゃうこととかよくあって。逆に男子からは優しくされることが多いんだけど、そういうのも原因なのかも……って、あれ?」

 姉崎さんが一人語りしている間、水嶋君はとっくに別の場所へ移動していった。
 そのことに遅れて気付いた姉崎さんは、「待ってよぉー!」と言いながら既にかなり小さくなった後ろ姿を追いかけて行くのだった。

「ぷっ、相手にされてないでやんの」
「アンタはもう。まあ、正直溜飲は下がったけど」
「でも、あんな一軍女子でも駄目なら、私らなんてきっと視界にすら入ってないよね……」
「何言ってんの! 寧ろ誰にも靡かないクールなところが良いんじゃん!」
「益々推せるわ、水嶋君……!」

 二人がいなくなった後、周りの女子達は再び口を開き始める。

 ――嵐みたいな人だな。
 嵐とは真逆の静かな横顔を思い浮かべながら、そんな感想を抱いた。

 水嶋君は何もしていない。
 だけど、その場にいるだけで自然と注目を浴び、言動一つ取ってもときめかれ、話題を攫っていってしまう。
 無自覚に周囲の心を掻き乱すところはまさに嵐と言える。

 嵐が去った後の藤棚は、変わらず美しくはあるものの、一気に現実に引き戻されたかのように見えた。