いちごアイスの溶けはじめ

 体育祭本番を明日に控えた日の昼休み。
 千夏ちゃんと校舎の外にある自販機で飲み物を買っている途中、後ろの校庭から賑やかな声や走っている音が聞こえてきた。

「お、今日もやってるねー」

 取り出し口から飲み物を掬い上げた千夏ちゃんが振り向いて、楽しそうにそう呟いた。
 何をやっているのかというと、校内選抜メンバーによる二人三脚リレーの練習だ。体育祭の花形であり、手芸部の先輩が言うには毎年一番盛り上がる種目らしい。
 
「最終調整も兼ねているんだろうね。……あっ」

 千夏ちゃんの呟きに相槌を打ってすぐ、水嶋君がペアの人と一緒にリレーゾーンへ入り、走る準備をし始める姿が目に入った。

 水嶋君も選抜メンバーの一人である。そして、彼のペアである人は偶然にも猪上先輩なのだ。
 水嶋君が二人三脚リレーに選ばれた際、クラスメイト(特に女子達)は凄く盛り上がっていたことを思い出す。
 けれど、当の本人は「なんで個人リレーじゃないんだ……」とぼやいていた。まあ、彼の性格を考えたら団体競技よりは個人競技の方が好ましいのだろう。ましてや、相手は同じ部活の先輩で、しかもよく意見がぶつかる相手だからやりにくいのかもしれない。

 けれど、これまでも何度か練習風景を見かけたことはあるが、二人の連携に問題があるようには思えなかった。
 今も走っている姿を見る限りでは普通に走れているように見えるけどなぁ……そう思いながら眺めていた、その瞬間。
 調子良く走っていた水嶋君と猪上先輩が急によろめいて、そのまま二人して倒れてしまったのだ。

「あぁっ!」

 つい声に出てしまった私の後に、千夏ちゃんも「あっちゃー……」と呟きながら額に手を添えた。
 それまで勢い良く駆け進んでいたから、転んだ時の勢いも凄まじかった。

「痛そう……」
「大丈夫かね? 明日本番なのに」
「足、痛めてないといいけど」

 私達はそんな風に心配しながら教室へと戻った。
 
 自席に着いて、買ってきたアイスミルクティーの蓋を回す。
 飲み口に口をつけようと顔を上に向けたところで、窓の外が視界に入る。

 そこで校庭がなにやら騒がしい様子であることに気付く。
 なんだろうと思って視線を移し、思わず目を見開いた。

「え?」

 水嶋君と猪上先輩が取っ組み合いをしていたからだ。
 女子は怖さから距離を取り、男子は止めようとする。しかし、二人の勢いは止まらずヒートアップするばかりだ。
 次第にクラスメイトも窓際に集まって騒ぎ始める。
 「やばくね?」と心配する声や悲鳴が飛び交う中、私はただハラハラした気持ちを抱えながら黙ることしかできなかった。

 その後、駆け付けた体育の先生により、水嶋君と猪上先輩の取っ組み合いは強制的に幕を下ろした。
 二人は先生と共に校舎の中へと消えていった。それを見たクラスメイト達もそれぞれの席へと戻って行ったが、私はしばらく動けずにいた。

 けれど、教室の扉を開く音が聞こえた途端、ハッと我に返り、硬直状態から解放されたため扉の方を見る。
 扉を開けたのは水嶋君だった。膝は擦りむいて血が滲んでおり、体操着は砂で随分汚れている。それだけなら転んだからという理由で片付くが、それ以上にボロボロなのは先程の乱闘によるものだろう。
 クラスメイトは水嶋君を見ると、どこか気まずそうな雰囲気を漂わせる。事の発端が気になるのか、チラチラと様子を伺うように見てくる人もいるが、声を掛けるのは憚られるみたいだ。
 そんな空気の中、姉崎さんだけは臆することなく——というよりも、気にすることなく水嶋君の元へ駆け寄って話し掛けた。

「楓斗君、大丈夫!? さっき二年の人と喧嘩してたけど一体何があったの?」

 直球な質問の仕方に驚きとヒヤッとした気持ちが混ざり合う。
 確かに私含め、ここにいるみんなも気になるところではあるが、安易に触れて良いものではないから聞くのを躊躇っているというのに。本人にとっても、きっとあまり話したくないことだろうし。ましてや、こんな大勢の前でだと尚更答えにくいんじゃないだろうか。

「……別に、大したことじゃない」

 水嶋君はそれだけ言うと、席に戻ろうとする。無視こそはしなかったが、詮索しないで欲しいということが伝わる言い方だ。
 けれど、姉崎さんはそこで引こうとはせず、通せんぼするように水嶋君の進路に立ち塞がった。

「大したことないわけないよ! だって、あんなに服掴み合ったりしてたじゃん。莉亜、凄く心配してたんだよ? 楓斗君が怪我したらどうしようって……」

 声を大きくして詰め寄る姉崎さんからは、心配したという気持ちがひしひしと伝わってくる。
 しかし、水嶋君は何も答えない。すると、今度は優しくなだめるように姉崎さんはこう言った。

「……でも、楓斗君は悪くないってこと、莉亜は分かってるから。さっきの喧嘩ずっと見てたけど、明らかにあの先輩の方から手出してきてたもん。だから、楓斗君は自分の身を守るために仕方なくやり返しただけなんでしょ? それなら正当防衛だし、楓斗君は何も悪くないよ!」

 僅かに水嶋君が眉根を寄せる。
 姉崎さんの言葉は一見すると水嶋君をフォローする言葉にも聞こえるが、それ故に猪上先輩を一方的に悪いと決めつけてしまっている。それを不快に思ったのかもしれない。
 たとえそれが事実であっても、よく知りもしない第三者が糾弾するのは、当事者にとってもあまり気分の良いものではないだろう。そもそも、水嶋君は自分達の問題に首を突っ込まれること自体を嫌がっている。
 これは止めた方がいいかも……。

「あの、そろそろ先生が来るからその辺で——」

 水嶋君が嫌がっているから、と言うと角が立つから、建前を利用して姉崎さんに声を掛ける。
 しかし、私の声は届かなかったようだ。

「前から思ってたけど、あの人っていつも楓斗君のこと目の敵にしてる感じだよね。この前の総体の決勝戦の時も、最後楓斗君に突っかかってたし。ていうか、さっき転んだのも、本当はあの人が原因なんじゃない? ねえ? 亜美、美里」

 猪上先輩が悪い。
 それは姉崎さんの中では確定のようで、気付けば水嶋君へのフォローではなく、猪上先輩に対する言いがかりに変わっていった。
 同意を求められた倉科さんと本郷さんも便乗する。

「あー、それはあるかも。水嶋君がミスするとは考えにくいし」
「自分のせいなのに人に手出すとか最低じゃん」

 ……流石にこれは酷くない?
 全部憶測に過ぎないし、これじゃあただの悪口だ。

「言い過ぎだよ。どっちが悪いかなんて分からないし、そもそも当事者じゃない人達が口出しすることじゃないよ」

 ムッとした私は、気付けば好き勝手に言う三人に向かって一言物申していた。
 クラス中から驚いたような視線を向けられる。
 私に言われた三人もこちらを振り向いて目を丸くするが、それはすぐに鋭い形に変えられた。

「はあ? いきなりなんなの? 口出しすることじゃないってなに?」
「ただ水嶋君のことが心配なだけなのに酷くない?」
「そっちこそ口出ししてこないでよ」

 言われている意味がよく分からない上に不愉快だ。そんな気持ちを隠すことなく、三人は私に言い返してくる。
 その中でも姉崎さんは強く詰めて来ようとした。

「ていうか、なんであの人を庇うの? 小岩井さんは楓斗君のことが心配じゃないの? 莉亜はめっちゃ心配し——」

「黙ってくれないか」

 ——が、水嶋君のその一言で姉崎さんはビクッと肩を跳ねさせ、途中で言葉を止めた。
 怒鳴るとまではいかないものの、苛立ちを隠そうとしないその言い方は彼にしては珍しく、これ以上喧嘩の件に触れられるのは我慢ならないというのが伝わってくる。姉崎さんも流石にそれを感じたのか、それ以上水嶋君に何かを言うことはなかった。
 一層気まずさを帯びる空気の中、水嶋君は自席に着く。いつもの静かさに加えて、そこにはピリッと刺すような棘のような雰囲気を纏わせていた。

***

 その日の放課後は部活が休みのため、真っ直ぐ家に帰ろうと校舎を出た。
 体育館脇を通りかかったところで、水嶋君が立ちすくんでいる姿が目に入る。

「あ……」

 どうしよう……。
 昼休みのこともあるから少し気まずい。でも、無視するのも変だし。

「お、お疲れ。これから部活?」

 そんなことは見れば分かることだけど、それくらいしか言葉が思いつかなかった。

「あぁ」
「そっか」

 会話終了。
 余計に気まずくなったような気がして居た堪れなくなった私は、このまま挨拶だけして立ち去ろうと考える。
 けれど、私がまた明日を言うよりも前に水嶋君が話し掛けてきた。

「昼間は悪かったな、変な空気にして」
「え? あ、ううん! 大丈夫だよ?」

 まさか本人の方から昼休みの喧嘩のことについて口にするとは思っていなかった。
 もしかして、私が意識的にその話題を避けていたから、気を遣わせないように自分から言ってくれたのだろうか。あるいは、ただ迷惑を掛けたから謝りたいというだけか。
 どちらにせよ、あまり気に病まないでほしい。

「私の方こそ、横から口出ししてごめんね」
「いや、姉崎を止めようとしてくれたんだろ? あの時は放っておいて欲しかったから、寧ろありがたかった」

 そう言われて少しホッとする。あの時、私が感情に任せて口出ししたせいで雰囲気もさらに悪化してしまったし、かえって余計なことをしてしまったかもと後悔していたから。気まずさの要因はそれもあった。
 けれど、水嶋君の方は大丈夫かな。猪上先輩と喧嘩したままじゃあ、この後の部活もやりにくくなるんじゃないだろうか。

「……じゃあ、もう行くから」
「う、うん。また明日……」

 挨拶を終えると、水嶋君は体育館の中へと消えていった。
 その後ろ姿を私は不安な気持ちで見送った。