いちごアイスの溶けはじめ

 それから数日後のこと。

「ふぅ、疲れたー。なんか最近、どんどん練習ハードになってきてない?」
「そうだね。本番が近いからかな?」

 体育の授業を終え、着替えて教室へと戻る中で私は千夏ちゃんとそんな会話をしていた。
 この時期の体育は近々行われる体育祭に向けての練習に充てられている。当日まで残り一週間となった現在、練習にもより一層熱が入るようになってきているのは決して私の気のせいではないようだ。

 やがて教室に着いて扉を開くと、制汗剤の香りが私達を出迎える。
 充満するシトラスやサボンの匂いに軽く咽せていると、水嶋君が窓を開けてくれた。

「ありがとう」

 お礼を言うと彼は「ん」と小さく頷いた。

「はーい、みなさーん! ちょっといいですかー?」

 突然の呼び掛けに談笑で賑わっていた教室が静かになり、皆一斉に教卓の方へ目を向ける。
 私も同じように視線を移すと、姉崎さんが片手を軽く挙手するように上げながら話し始めた。

「体育祭当日の放課後なんですけど、クラスのみんなで打ち上げをやりたいなぁって考えててー。その会場をどこにするか決めたいので、今送ったクラスLIMEの投票に参加してくださーい」

 打ち上げをやるのはもう決定事項なんだ、と思っていたら机の脇に掛けたリュックの中からブーッと音が鳴る。
 今姉崎さんが言ったクラスLIMEの通知音だろうと思いながらスマホを取り出すと、案の定画面上部には友達とプリクラで撮ったと思われる姉崎さんのLIMEアイコンと打ち上げ会場に関するメッセージが表示されていた。
 通知をタップしてメッセージを開けば、会場の候補となるお店が何件かピックアップされており、その中から投票できるようになっている。

「楓斗君は打ち上げのお店どこがいい?」

 どれにしようかなと悩みながら画面を眺めていると、いつの間にか教壇から降りていた姉崎さんが水嶋君に話し掛けていた。

「そもそも参加せず真っ直ぐ家に帰りたい」

 あらら、参加自体を拒否しちゃった。
 まあ、水嶋君ってこういう集まりとかあまり好きじゃなさそうだしね。
 けれど、それに対して姉崎さんは笑いながら一蹴する。

「ちょっとー! 参加しないとかナシだからぁ! 楓斗君が来ないとかあり得ないし。どこか行きたいお店ある?」
「いや、特には——」
「あ、このお店なんかどう? 食べ放題あるし良くない? それかこっちの大盛り無料のやつとかは?」
「だから——」

 気乗りしない様子の水嶋君に構わず、姉崎さんは自分のスマホを見せながら話を進める。
 きっと、会場選びを口実に水嶋君と話したいのだろう。
 大変そうだなと思った私は助け舟を出すつもりで水嶋君に話し掛ける。

「あはは。まあ、でも、水嶋君はそんなに食べないもんね?」

 以前フードコートで偶然会った際、他の人達が大量にご飯を食べている中、水嶋君だけは並みの量で済ませていたことを思い出す。
 だから、恐らくだけど、食べ放題とか大盛り無料といったワードを出されても興味が湧かないのだろう。それもあって反応に困っているのかもしれない。
 そんなことを考えながら言うと、姉崎さんに睨まれてしまった。うぅ、怖い……。
 水嶋君との会話を邪魔されたと思ったのだろうか。ギロリと音が鳴りそうなくらい鋭い眼光に私の肩が跳ねる。

「そうだな。でも、みんな食べ放題の方が良いだろうし、俺は食える分だけ食うから気にしなくていい」
「……そっかぁ!」

 水嶋君が答えたことで姉崎さんは再び笑顔に戻った。
 あまりにも早いその変わり身に感心すら覚えたところでチャイムが鳴り、打ち上げの話は一旦終了となった。

***

「あれ? ない……」

 リュックからある物を取り出そうとしたところ、それがないことに気付いた。

「どした?」
「いや、ポーチが見当たらなくて……」

 ポーチには櫛やリップクリーム、手鏡などが入っていて、出先でもちょっと身嗜みを整えたい時なんかに使用している。
 今も髪型を正したくて使おうとしたのだが、リュックの中を隈なく探してもそれが見つからない。

「家に忘れてきちゃったとか?」
「ううん。体育の時までは確かにあったの」

 今日の体育の後、ボサボサになった髪を櫛で梳かすために一度ポーチを取り出した。
 その後、教室で二時間目の授業を受け、三時間目は理科室にいたが、その間はリュックに入れたままのはずだ。

「ひとまず、あたしの貸すよ」

 そう言って千夏ちゃんは自分の化粧用ポーチを手渡してきた。

「ごめんね、ありがとう……」
 
 申し訳ないと思いつつも、有り難く櫛を拝借することにした。
 もうすぐ授業が始まるから、授業が終わったら探そう。
 
 けれど、授業が終わってから探し始めてもポーチはどこにもなく、結局その日は見つけられないまま家に帰った。
 思い当たる場所は全て探したはずだが、そのどこにもないとなると、一体どこに落としてしまったのだろう?
 
 目の前の宿題に集中できない。
 持ち物を無くしてしまったこともそうだけど、どこで無くしたか分からないこともモヤモヤの原因となって思考にノイズを与えてしまっているようだ。
 別にたいして難しい問題でもないのに途中式すら書くこともできず、ずっとノートにシャーペンをトントンと打ち付けているだけ。
 おかげでやたら黒い点が出来てしまった。明日提出の宿題なのに……。

 このままじゃ駄目だ。
 一旦ポーチのことは忘れて、宿題にちゃんと集中しよう! 
 頭の中でそう宣言した後、気持ちを切り替えるように「よしっ」と呟いて再び問題集に目を向ける。
 その直後、机の上に置いてあるスマホから通知音が鳴ったことで意識はそちらに移る。

 誰からだろうと思いながらメッセージアプリを開くと、通知には「水嶋楓斗」という名前が表示されていた。

「水嶋君? なんで?」

 水嶋君とはアカウントの交換をしていないはずだけれど、どうして私にメッセージを送ることが出来たんだろう。
 不思議に思いながら銀杏並木が綺麗なアイコンをタップし、メッセージ画面を表示させると、私の疑問に答えるかのように次のような文言が書かれていた。

『急にすまん。クラスのグループLIMEから追加した』

 あ、そっか。
 確かに同じグループチャットのメンバー同士なら、個人間での交換がなくてもアカウントを追加することは出来るもんね。
 納得してから間もなく、次に『これ小岩井のじゃないか?』というメッセージと共に写真が一枚送られてきた。
 
「あっ!」

 思わず声が出た。
 何故なら、写真に写っているのは今の今までずっと頭を悩ませていた件のポーチだったからだ。
 ここで私はメッセージ入力欄にぽちぽちと文字を打ち込み、それを水嶋君に送る。

『うん、それ私のだよ! 今日ずっと探してたんだけど見つからなかったの。どこに落ちてた?』

 送ってすぐに既読マークはついたものの、返信までには少し間があった。
 三分後、メッセージが返ってくる。

『ロッカーの隙間に挟まってた』

 そんなところにあったんだ。
 どうりでいくら探しても見つからないわけだ。

 私は『そうだったんだ。拾ってくれてありがとう!』と送信する。
 その後、ポーチは明日学校で渡してくれるということで話は終結し、私が水嶋君に再度お礼を言ってやり取りは終了となった。

「はぁ〜、良かった〜」

 安堵の溜息を吐いた。
 それにしても、なんでロッカーの隙間にポーチが挟まっていたんだろう?
 そんな疑問が浮かんだものの、まあ探し物ってひょんなところから現れることもあるしね、と考えることですぐに納得する。

 何はともあれ、無事に見つかって本当に良かった。
 さて、モヤモヤの原因も解消されてスッキリしたことだし、今度こそ集中して宿題に取り組もう!
 私はシャーペンを握り直し、ろくに手付かずであった問題を解き進めていき、無事に課題を終わらせることが出来たのだった。

 そして翌日。
 私は約束通り、水嶋君からポーチを受け取った。

「本当にありがとう。見つけてくれただけじゃなくて、預かっていてくれて」
「別にいい」

 実物を手に取ると、見つかったという実感が湧いてより一層安心感を覚える。
 本当に良かったぁ……! ポーチをぎゅっと胸に抱きながら、心の中で安堵の声を漏らす。

「それにしても、なんでロッカーの隙間なんかに落ちてたんだろうね?」

 不思議だよねー、と続けて言う。
 まあ、そんなこと水嶋君が知るわけがないのだけれど、話の流れでなんとなく聞いてみただけ。

 だったのだが、水嶋君は一瞬難しい顔をして黙ってしまう。
 あれ? 思ったよりも深刻に捉えられちゃったかな?
 心配して見ていると、水嶋君はすぐにいつも通りの表情に戻して、口を開いた。

「そう、だな」

 少し歯切れが悪いように聞こえたのは気のせいだろうか。
 なんだか変な空気になってしまったようで少し気まずい。

「ま、まあ、でも、あれだよね?」

 私はこの気まずさを払拭するように言った。

「きっと、ピタゴラスイッチみたいにポーチがあっちこっちぶつかって、隙間に入っていっちゃったんだよ!」

 誰かが気付かずに蹴飛ばしてたり、椅子の脚に当たったりなどの小さな偶然が積み重なった結果なのだろう。
 なんてことをジェスチャーを交えながら話すと、フッと小さく笑う声が聞こえ、見ると水嶋君の表情が柔らかくなっていることに気付く。

「懐かしいな、それ。幼稚園以来だ」

 そう言って微笑む顔は、思わず見惚れてしまうくらい綺麗だった。
 以前、電車の中ですももちゃんの動画を見せてくれた時もそうだったけれど、水嶋君の笑顔って本当に綺麗だなと思う。
 ガハハと豪快に爆笑するわけでもなければ、口に手を当てて控えめに笑うわけでもない。
 少しだけ歯を見せて、眉と目尻を柔らかく垂れさせる笑い方はとても爽やかで優しく、まるで背景にブルースターやニゲラの花が咲き誇っているかのようだ。

 いつの間にか気まずさなんて消えていた。