それは四時間目の授業が終わって間もない頃。
黒板消しで板書を消していたら、何やら廊下の方がざわついていることに気付くも、その時の私は一瞬視線を廊下に移しただけで特に気にせず他人事として処理した。
しかし、教室を出たはずの千夏ちゃんが血相を変えて私のもとに飛び込んできたことで、そういうわけにもいかなくなったのだ。
「美菜子、やばいよ! 怖い先輩があんたのこと探してるっぽい!」
「えぇ!?」
千夏ちゃんの言葉に、私は驚愕の声を上げる。
さらに詳しく聞くと、ガラの悪い男子の上級生が血眼になって一年の各教室を「小岩井美菜子はいねーか?」と言いながら回っているらしい。何それ新種のなまはげ!?
ということは、廊下が騒がしい原因は私だったってこと? 全然他人事なんかじゃなかった!
「アンタ……なんかやらかしたの?」
「そんなっ……! 私、何もやらかしてなんてないよ!」
「だよね。美菜子は誰かとトラブったりするような子じゃないか」
私も自分が揉め事を起こすタイプではないと自負している。寧ろ、どちらかといえば平和主義者だ。
勿論、私が気付かないうちに相手を怒らせてしまったという可能性もゼロではないが、直近の記憶を遡ってみても、そもそも強面の上級生とトラブルになったなどという印象的且つ無謀な経験は浮かんでこない。
だから、その上級生が血眼で私のことを探していると言われても全く身に覚えがない。
「ど、どうしよう千夏ちゃ〜ん!」
「と、取り敢えず……逃げるっきゃないでしょ!」
千夏ちゃんはそう言うと、涙目で慌てふためく私の手を掴んで教室を飛び出そうとした。
……が、私達が出ていくよりも先に異様なオーラを放つ男子生徒が出入り口の前を塞ぐように立っていた。
血走った目に殺気だった表情。
彼はその薄い唇をゆっくりと開くと、呪詛でも吐くかのようにこう言うのだった。
「……小岩井美菜子はいねーか?」
「「ぎゃあぁぁぁぁぁっ!!」」
パニックホラーのような女子二人分の悲鳴が響いた瞬間だった。
「……あれ?」
だけど、叫んでいる途中でその上級生の顔がはっきりと見えるようになり、そこで私の悲鳴は止まる。
「猪上先輩?」
「あぁぁぁ……へ?」
私が彼の名前を言うと、千夏ちゃんの悲鳴も止まり、私と猪上先輩の顔を交互に見ながら「え? なに知り合い?」と聞いてくる。
知り合いと呼ぶにはまだ日が浅い気もするけれど、お互い顔と名前は知っているわけだから間違いではないかと考え、首を縦に振る。
それよりも、私を探していた上級生というのは猪上先輩のことだったのか。
怖い人だって聞いていたからどうしようとパニックになっていたけれど、正体が分かった今凄くホッとした。
とはいえ、私を探していた理由はまだ謎のままである。
私は猪上先輩に聞く。
「どうされたんですか?」
「あぁ、その……お前に渡そうと思って、これ……」
猪上先輩は少し照れ臭そうに答えると、持っていたレジ袋を差し出そうとした――その時。
誰かの手が猪上先輩の肩をガシッと掴んで、それを阻止した。
猪上先輩も背はそれなりにあるけれど、その手の持ち主はそれ以上に背が高い。
「おい、小岩井に何してる」
肩を掴んだその人は低く唸るような声で猪上先輩にそう言った。
その静かな迫力に、自分が言われたわけでもないのに気圧されてしまう。
しかし、言われた本人である猪上先輩はその声に怯むことなく、ギロリと目を鋭くして対抗した。
「あ? なんだテメェ離せや……って」
猪上先輩が振り向いた際にお互いの顔が見えた二人は、目を見開きながらその人の名前を口にする。
「水嶋!?」
「猪上さん……?」
肩を掴んだ人の正体が分かった猪上先輩は「なんだオメェかよ」と拍子抜けしたように言う。
けれど、一方で水嶋君の表情は未だ厳しさが解かれずにいた。
「一年の女子相手に何してるんですか」
水嶋君は口調だけ変えて、先程と同じことを猪上先輩に聞く。
どうやら猪上先輩が何か悪いことをしていると誤解しているみたい。
私は訂正しようとするが、それよりも先に猪上先輩が「はぁ?」と抗議の声を上げる。
「なに勘違いしてやがる! 俺はただ、こいつに今朝の借りを返そうと思って来ただけだよ!」
「借りを返す? やっぱり何かするつもりだったんじゃないですか」
「物騒な方に捉えるんじゃねーよ! 礼だよ! 今朝スポドリ貰ったから! その礼!」
苛立ちからか、猪上先輩は一言一言大きく区切るように主張した。
だが、周りの視線に気付いたのか、ハッとした後に大人しくなる。
そして、先程よりも小さくてモゴモゴとした声で言いながら、私の前に再度持っていたレジ袋を差し出した。
「ま、まあ、そういうわけだ。これ、やる」
「あぁ、わざわざありがとうございま――って、えぇ! こんなにたくさん!?」
受け取ろうとしたその袋を見ると、飲み物やらお菓子やらがたくさん入っていて驚いた。
たった一本のスポーツドリンクに対するお礼にしては、あまりにも量が釣り合っていない。
だけど猪上先輩は「いいんだよ、礼だから」と言って、受け取るのを躊躇う私にやや強引に押し付けるように渡すと、短く挨拶を残して去って行った。
大股と早歩きであっという間に小さくなる後ろ姿を見届けた後、両手に抱えたずっしりとした重さのお礼に目を向ける。
袋の中には購買で選んだと思われるペットボトルのジュースやポテトチップス、チョコレート、グミなど色々入っていて、まるでお菓子パーティーでも始めるかのようなラインナップだ。
「びっくりしたー、美菜子を探してたのはこれを渡すためだったわけね。それにしても凄い量だわ……」
私が持っている袋の中を覗き込みながら千夏ちゃんが言う。
「なんだか返って申し訳ないな……」
「良いんじゃない? せっかくだし、貰っておきなよ。てか、今思い出したけど、あの人ってバスケ部の二年生だよね? この前の総体にも出てた」
さっきは顔の圧と雰囲気が強過ぎて気付かなかったわー、と続ける千夏ちゃん。
確かに私も、あの覇気を前にしてすぐに猪上先輩だとは分からなかった。
「まあ、なんにせよ、何かしてくるとかじゃなくて良かったよね。……ねえ、水嶋?」
同意を求めるように聞く千夏ちゃんのその言葉は水嶋君に向けられた。
最後の名指しがあるまで、てっきり私に言っているものだと思っていたから少し予想外である。
そして、どうやらそれは水嶋君にとってもそうみたいだ。
「なんで俺に聞く?」
と、疑問を隠さない顔で返す。
「だってアンタ、さっきの人――猪上先輩? にめっちゃ凄んでたじゃん。美菜子が絡まれてると思ったからでしょ?」
「あの状況を見たら誰だってそう思うだろ。それに凄んだつもりはない」
「よく言うわ。『小岩井になにしてる』って言ってたくせに」
「言葉通りの意味だ。別に他意はない」
水嶋君はそこで千夏ちゃんとの会話を終わらせて自席へ向かう。
「ふーん? ……まあ、そういうことにしておいてあげる」
その後ろ姿を見ながら楽しげに呟く千夏ちゃんに私は首を傾げる。
先程二人が話していた時もそうだが、私の名前が挙げられていた意味もよく分からなかったし。
なんて多少の疑問を抱くものの、まあいっかとあまり気にしないことにする。
「ねえ、千夏ちゃん。良かったら少しお菓子貰ってくれない? 流石に私一人だと食べきれないから」
「いいの? やった! じゃあ、これちょーだいっ」
私の提案に千夏ちゃんは喜び、袋からチョコレートスナックを取り出した。
ちなみに、水嶋君にも声を掛けたが「俺はいい」と断られた。
黒板消しで板書を消していたら、何やら廊下の方がざわついていることに気付くも、その時の私は一瞬視線を廊下に移しただけで特に気にせず他人事として処理した。
しかし、教室を出たはずの千夏ちゃんが血相を変えて私のもとに飛び込んできたことで、そういうわけにもいかなくなったのだ。
「美菜子、やばいよ! 怖い先輩があんたのこと探してるっぽい!」
「えぇ!?」
千夏ちゃんの言葉に、私は驚愕の声を上げる。
さらに詳しく聞くと、ガラの悪い男子の上級生が血眼になって一年の各教室を「小岩井美菜子はいねーか?」と言いながら回っているらしい。何それ新種のなまはげ!?
ということは、廊下が騒がしい原因は私だったってこと? 全然他人事なんかじゃなかった!
「アンタ……なんかやらかしたの?」
「そんなっ……! 私、何もやらかしてなんてないよ!」
「だよね。美菜子は誰かとトラブったりするような子じゃないか」
私も自分が揉め事を起こすタイプではないと自負している。寧ろ、どちらかといえば平和主義者だ。
勿論、私が気付かないうちに相手を怒らせてしまったという可能性もゼロではないが、直近の記憶を遡ってみても、そもそも強面の上級生とトラブルになったなどという印象的且つ無謀な経験は浮かんでこない。
だから、その上級生が血眼で私のことを探していると言われても全く身に覚えがない。
「ど、どうしよう千夏ちゃ〜ん!」
「と、取り敢えず……逃げるっきゃないでしょ!」
千夏ちゃんはそう言うと、涙目で慌てふためく私の手を掴んで教室を飛び出そうとした。
……が、私達が出ていくよりも先に異様なオーラを放つ男子生徒が出入り口の前を塞ぐように立っていた。
血走った目に殺気だった表情。
彼はその薄い唇をゆっくりと開くと、呪詛でも吐くかのようにこう言うのだった。
「……小岩井美菜子はいねーか?」
「「ぎゃあぁぁぁぁぁっ!!」」
パニックホラーのような女子二人分の悲鳴が響いた瞬間だった。
「……あれ?」
だけど、叫んでいる途中でその上級生の顔がはっきりと見えるようになり、そこで私の悲鳴は止まる。
「猪上先輩?」
「あぁぁぁ……へ?」
私が彼の名前を言うと、千夏ちゃんの悲鳴も止まり、私と猪上先輩の顔を交互に見ながら「え? なに知り合い?」と聞いてくる。
知り合いと呼ぶにはまだ日が浅い気もするけれど、お互い顔と名前は知っているわけだから間違いではないかと考え、首を縦に振る。
それよりも、私を探していた上級生というのは猪上先輩のことだったのか。
怖い人だって聞いていたからどうしようとパニックになっていたけれど、正体が分かった今凄くホッとした。
とはいえ、私を探していた理由はまだ謎のままである。
私は猪上先輩に聞く。
「どうされたんですか?」
「あぁ、その……お前に渡そうと思って、これ……」
猪上先輩は少し照れ臭そうに答えると、持っていたレジ袋を差し出そうとした――その時。
誰かの手が猪上先輩の肩をガシッと掴んで、それを阻止した。
猪上先輩も背はそれなりにあるけれど、その手の持ち主はそれ以上に背が高い。
「おい、小岩井に何してる」
肩を掴んだその人は低く唸るような声で猪上先輩にそう言った。
その静かな迫力に、自分が言われたわけでもないのに気圧されてしまう。
しかし、言われた本人である猪上先輩はその声に怯むことなく、ギロリと目を鋭くして対抗した。
「あ? なんだテメェ離せや……って」
猪上先輩が振り向いた際にお互いの顔が見えた二人は、目を見開きながらその人の名前を口にする。
「水嶋!?」
「猪上さん……?」
肩を掴んだ人の正体が分かった猪上先輩は「なんだオメェかよ」と拍子抜けしたように言う。
けれど、一方で水嶋君の表情は未だ厳しさが解かれずにいた。
「一年の女子相手に何してるんですか」
水嶋君は口調だけ変えて、先程と同じことを猪上先輩に聞く。
どうやら猪上先輩が何か悪いことをしていると誤解しているみたい。
私は訂正しようとするが、それよりも先に猪上先輩が「はぁ?」と抗議の声を上げる。
「なに勘違いしてやがる! 俺はただ、こいつに今朝の借りを返そうと思って来ただけだよ!」
「借りを返す? やっぱり何かするつもりだったんじゃないですか」
「物騒な方に捉えるんじゃねーよ! 礼だよ! 今朝スポドリ貰ったから! その礼!」
苛立ちからか、猪上先輩は一言一言大きく区切るように主張した。
だが、周りの視線に気付いたのか、ハッとした後に大人しくなる。
そして、先程よりも小さくてモゴモゴとした声で言いながら、私の前に再度持っていたレジ袋を差し出した。
「ま、まあ、そういうわけだ。これ、やる」
「あぁ、わざわざありがとうございま――って、えぇ! こんなにたくさん!?」
受け取ろうとしたその袋を見ると、飲み物やらお菓子やらがたくさん入っていて驚いた。
たった一本のスポーツドリンクに対するお礼にしては、あまりにも量が釣り合っていない。
だけど猪上先輩は「いいんだよ、礼だから」と言って、受け取るのを躊躇う私にやや強引に押し付けるように渡すと、短く挨拶を残して去って行った。
大股と早歩きであっという間に小さくなる後ろ姿を見届けた後、両手に抱えたずっしりとした重さのお礼に目を向ける。
袋の中には購買で選んだと思われるペットボトルのジュースやポテトチップス、チョコレート、グミなど色々入っていて、まるでお菓子パーティーでも始めるかのようなラインナップだ。
「びっくりしたー、美菜子を探してたのはこれを渡すためだったわけね。それにしても凄い量だわ……」
私が持っている袋の中を覗き込みながら千夏ちゃんが言う。
「なんだか返って申し訳ないな……」
「良いんじゃない? せっかくだし、貰っておきなよ。てか、今思い出したけど、あの人ってバスケ部の二年生だよね? この前の総体にも出てた」
さっきは顔の圧と雰囲気が強過ぎて気付かなかったわー、と続ける千夏ちゃん。
確かに私も、あの覇気を前にしてすぐに猪上先輩だとは分からなかった。
「まあ、なんにせよ、何かしてくるとかじゃなくて良かったよね。……ねえ、水嶋?」
同意を求めるように聞く千夏ちゃんのその言葉は水嶋君に向けられた。
最後の名指しがあるまで、てっきり私に言っているものだと思っていたから少し予想外である。
そして、どうやらそれは水嶋君にとってもそうみたいだ。
「なんで俺に聞く?」
と、疑問を隠さない顔で返す。
「だってアンタ、さっきの人――猪上先輩? にめっちゃ凄んでたじゃん。美菜子が絡まれてると思ったからでしょ?」
「あの状況を見たら誰だってそう思うだろ。それに凄んだつもりはない」
「よく言うわ。『小岩井になにしてる』って言ってたくせに」
「言葉通りの意味だ。別に他意はない」
水嶋君はそこで千夏ちゃんとの会話を終わらせて自席へ向かう。
「ふーん? ……まあ、そういうことにしておいてあげる」
その後ろ姿を見ながら楽しげに呟く千夏ちゃんに私は首を傾げる。
先程二人が話していた時もそうだが、私の名前が挙げられていた意味もよく分からなかったし。
なんて多少の疑問を抱くものの、まあいっかとあまり気にしないことにする。
「ねえ、千夏ちゃん。良かったら少しお菓子貰ってくれない? 流石に私一人だと食べきれないから」
「いいの? やった! じゃあ、これちょーだいっ」
私の提案に千夏ちゃんは喜び、袋からチョコレートスナックを取り出した。
ちなみに、水嶋君にも声を掛けたが「俺はいい」と断られた。
