私の両親は幼少期から仲が悪かった。
育児に消極的な父と積極的に関わって欲しい母とでいつも対立していた。
家では毎日のように喧嘩をし聞こえてくるのはお互いの悪口だった。
加えて母は普通の子よりも何倍も手のかかる障がいを持った子をほとんど1人で面倒見ていたためだんだんと疲弊していった。
そのうち母は父に何を言っても無駄だと言い、それから両親の会話は無くなった。
しかし皮肉にもそんな両親を繋ぐのは私の存在だった。
親戚達もそれを知ってか私が仲を取り持つように言ってきた。
最初は私も頑張らないといけないと思っていたもののだんだんとそれを言われることがプレッシャーになっていった。
それどころか私が2人の幸せを阻んでいるのではないか、私はいない方が良かったのではないかと思うくらいになっていた。
両親共に否定していたもののそう思ってしまうほどに仲は悪化し、その矛先は私にも向いていた。
父は腹が立つと手がつけられなくなり、言葉や態度で私を傷つけた。
母は自分が気に食わないことをすると私の人格を傷つける言葉を発した。
そうする内に私は両親に本音を言えなくなった。それだけではなく話をするとパニックになる事もあった。
それと同時期に学校でも嫌なことが続き、死を考える程に私はおかしくなっていった。
その時に支えてくれたのが春希だった。
育児に消極的な父と積極的に関わって欲しい母とでいつも対立していた。
家では毎日のように喧嘩をし聞こえてくるのはお互いの悪口だった。
加えて母は普通の子よりも何倍も手のかかる障がいを持った子をほとんど1人で面倒見ていたためだんだんと疲弊していった。
そのうち母は父に何を言っても無駄だと言い、それから両親の会話は無くなった。
しかし皮肉にもそんな両親を繋ぐのは私の存在だった。
親戚達もそれを知ってか私が仲を取り持つように言ってきた。
最初は私も頑張らないといけないと思っていたもののだんだんとそれを言われることがプレッシャーになっていった。
それどころか私が2人の幸せを阻んでいるのではないか、私はいない方が良かったのではないかと思うくらいになっていた。
両親共に否定していたもののそう思ってしまうほどに仲は悪化し、その矛先は私にも向いていた。
父は腹が立つと手がつけられなくなり、言葉や態度で私を傷つけた。
母は自分が気に食わないことをすると私の人格を傷つける言葉を発した。
そうする内に私は両親に本音を言えなくなった。それだけではなく話をするとパニックになる事もあった。
それと同時期に学校でも嫌なことが続き、死を考える程に私はおかしくなっていった。
その時に支えてくれたのが春希だった。


