冬の海から浮上する

○○
 

 スマートフォンのカレンダーを見てため息をつく。


 今日を含めてあと二日しかこの町に居られない。


 私は言わないといけないと分かっていたけれど、芹にそのことを伝えることが出来ないまま今日に至っていた。


 すぐ前からゴトッという音がして顔を上げる。


 すると目の前にカラッと揚げられた魚のフライが乗った 皿が置かれていた。
 

 おばあちゃんはふふっと笑う。
 

「日菜は最近楽しそうね」


「そうかな?」


「うん。来たときは怖い顔してたけど最近はいつもニコニコしてる」
 

 そんなに顔に出ているのか、とスマートフォンの内カメで表情をチェックする。


 確かに冬休み前の無理やり笑っている私よりも今の特に表情を作っていない私の方が何倍も自然で穏やかな顔をしていた。


 スマートフォンを机の上に置く。


 出来上がった昼食を運ぶおばあちゃんを手伝うためにキッチンへ向かった。


 レンジの上にあるスナック菓子をバレないようにちょっとずつ食べる。


 そうしていると突然、「日菜」と名前を呼ばれた。肩が反射的にビクッとなる。


 私はおばあちゃんが見ていない間にその食べかけのスナック菓子の袋を証拠隠滅のために隠した。


「どんな楽しいことしてるかおばあちゃんに教えてよ」


「あぁ……いいよ!」
 

 てっきりご飯前につまみ食いをしていることがバレたのかと思ったがそうではないよう。安心して、胸を撫で下ろす。


 私はおばあちゃんのすぐ側に近づいた。


「実はね、友達が出来たの!その友達と商店街に行った り、海でおしゃべりしたり、とにかく楽しいことをしてるの!」
 

 聞いて欲しいことを聞いてくれた嬉しさについ興奮して早口になってしまう。


 大好きな芹のことになると落ち着いていられない。


「それは良かったね〜。おばあちゃんなんかもう年取ったから友達が懐かしいものに感じちゃう」


「懐かしい?」


「そう。おばあちゃんには二人幼馴染がいてね」


 おばあちゃんはこうやって自分の昔の話をよくする。


 だけど、今まで幼馴染なんていう話題は一度も聞いたことがなかった。
 

 私は初めて聞く話に興味を持ち、「それでそれで」と話の続きを催促する。


 おばあちゃんは嬉しそうに目を細めた。


「そういえば、この間掃除してたらアルバムが出てきたの。青いアルバム。二階にあるから見たかったら下ろしてきて」


「分かった!青いアルバムね」


 階段をかけ足でのぼり、物置きにされている部屋に入る。


 部屋の中は沢山の衣装ケースがあり、様々なものが仕分けされているようだ。


 私はその中から本のようなものがまとめられている衣装ケースのふたを開ける。探していた青いアルバムは一番上に置かれていた。


 アルバムを掴んで取り出す。すると、ページの隙間から何やら写真のようなものが滑り落ちた。


「ん?なんだろ?」


 拾い上げるとそれはどうやら四つ折りにされた写真で何度も開いて見られたのか折り目の部分が半分以上裂けている。


 私は好奇心からそれを破れないよう、慎重に開いた。


 その瞬間、全ての感覚が遠くなっていった。頭が真っ白になって何も考えられない。


まるで全身が石になったかのように体が硬直した。


 心臓がどくん、どくん、と嫌な音を立てる。


 私はアルバムを胸に抱きしめ、おぼつかない足でおばあちゃんの元へ向かう。


「アルバムあった?」


 昼食の準備に一段落ついて椅子に座るおばあちゃんは私と対照的にワクワクしている。


 私は震える手で机の上にアルバムとあの写真を置いた。


「…………これ、誰?」


 おそらく声も震えていただろう。


 半分はそうであってほしくないという想い、もう半分は諦めが胸の中で拮抗していた。


 おばあちゃんは手でその写真を優しく撫でる。


「この人はね林田芹っていう人で、おばあちゃんの幼馴染なの」


 その答えを聞いた瞬間、膝から崩れ落ちそうになった。


 見間違えるわけがない。その写真には私と会う芹と全く同じ姿の芹が写っていた。


 どうして今まで気づかなかったのだろう。


 私はここでようやく芹から幼馴染の名前を聞いた時の違和感が何か分かった。


 芹が好きな由美子はおばあちゃんの名前であること。柊はおじいちゃんの名前であることに。


 心を落ち着かせるために椅子に座って、グラス一杯のお茶をすべて飲み干す。


 私は芹が分からなくなった。彼は一体何者なのだろう。


 もしかすると過去からやってきたのかもしれない、そんな馬鹿な考えが頭をよぎる。


 おばあちゃんはアルバムを一枚めくる。


 そこには海の砂浜で肩を組む制服を着た高校生が写っていた。


「おばあちゃんと芹とおじいちゃんはね、幼馴染だったの。保育園から小中高ずっと一緒でね、暇なときはよく三人で集まって色んなところに行ったの」


 日菜とお友達みたいにね、とおばあちゃんは付け足す。


「でもね、やっぱり高校生になると関係も変わっていったの」


「……どんな風に?」


 恐る恐る小さな声で聞く。なんとなく予想がついていた。


「おばあちゃんはね、芹を好きになっちゃったの」


「そうなんだ…………」


 思わず語尾が聞き取ることが出来ないほど小さくなる。


 予想はしていたが、いざ実際に聞くと傷つく。


 おばあちゃんは懐かしい出来事を思い出しながら慎重に言葉を選んでいるようだった。


「それでね、ある日、伝えたいことがあるって海に呼び出されたの。おばあちゃんドキドキしちゃってね。今でもあの時のことをはっきり覚えてる」


 おばあちゃんが再びアルバムをめくる。


 そこに現れたのは見慣れた笑顔の芹だった。


「芹はね、顔を真っ赤にしてね凄く緊張してたの。それでも、勇気を振り絞っておばあちゃんに伝えようとしてくれた」


「……芹、さんは何を言ったの?」


 これ以上聞くのは怖かった。それでも聞かずにはいられなかった。


 おばあちゃんは私をじっと見つめてくる首を横に振る。


「それはおばあちゃんも分からないの。芹はね突然海に飛び込んだ。溺れてる子を助けるためにね」


「え……?」


 聞いていた話と違う。たしか恥ずかしくなって飛び込んだ、と彼は言っていた。


 私は知っていたようで知らなかったことを聞いて複雑な気持ちになる。


 芹がこの告白の話を嘘をついてまで誤魔化していた理由が分からなかった。


「芹は水泳部でね、おばあちゃんはそこまで心配してなかったの。いや、芹なら大丈夫だって信じてた。だけど……」


 おばあちゃんの表情が穏やかなものから一瞬で暗いものに変わる。


「芹は溺れてる子を助けた後、海に沈んで死んでしまったの」


 それを聞いた瞬間、周りの音が遠くなる。


 おばあちゃんの声しか聞こえない。


 芹は確かに私と過ごしていた。それなのにもうこの世にいない?信じられなかった。


「……亡くなったの……?」


「うん。後で聞いた話によると足をけがしてたらしいの。…………日菜、泣かないで」


 おばあちゃんは腕を伸ばして私の涙を指ですくう。


 気づかないうちに泣いていたようだ。


 急いで頬を濡らす生温かいものを拭う。私は深呼吸して
「おばあちゃん、聞いて」と言った。


「し、信じられないかもしれないけど……私、芹と会ってたの」


 机の上のスマートフォンを急いで操作して芹と一緒に撮った写真を見せる。


 彼が死んでいるという事実を信じたくなかった。彼が生きているという希望にすがるしかなかった。


 おばあちゃんは「落ち着いて聞いてほしいの」と私の手をぎゅっと握る。


「おばあちゃん、いや日菜以外の人、みんな芹が見えないの」


 衝撃で頭が殴られたようだった。


 私は見えるのに、私以外の人が見えない?
 

 そんなの幽霊みたいだ。芹は幽霊だった?
 

 頭は酷く混乱していた。だけど色々なことが分かったような気がした。


 商店街に二人で行った日、コロッケの店の店員さんは芹が横にいるのにも関わらず、「お嬢さん一人?」と聞いてきた。


 あの時、私達が友達に見えないから聞いてきたのだと思っていたが、もし、店員さんに芹が見えていなかったのだとしたら……?


「おばあちゃん、私の左に芹が写ってるの。これは見える?」


 声だけじゃなくて、腕も震える。


 おばあちゃんはその腕をさすりながら首を横に振った。


「そんな…………」


「日菜は小さい頃から芹が見えててね、おばあちゃんに


『今日芹と遊んだの』って言ってたのにはびっくりした。そっか、今もまだいるんだね」


 おばあちゃんは私の頭を慰めるようになでる。


「日菜はよく芹の話を聞かせてくれて、おばあちゃんうれしかったの。だけど、お母さんはそうじゃなくてね。見えないものが見える日菜を心配してこの町には連れてこなくなった」


 拭っても拭っても涙がこぼれ、机を濡らしていく。


 私は濡れた手で頭の上にあるおばあちゃんの手をつかんだ。


「…………芹はいるよ。生きてるよ、生きてるの!!」


 信じられないほど大きな声が出る。


 我ながら頑固だと思った。


 本当は胸の内では死んでるって分かってるのに。


「芹は日菜の中で生きていたんだね」


 心の中に温かいものが広がっていく。


 私は顔をバッと上げる。


 おばあちゃんは嬉しそうに穏やかな顔をして笑い、「だけど……」と話を続けた。


「死を受け入れないといけない。芹は死んでるの。残念だけど、この事実は変わらない」


 再び一気に絶望に落とされる。


 私は泣きながら首を振る。“死”というものを頭から振り落とそうとしていた。


 勢いをつけて椅子から立ち上がり、走って外へ向かう。


「日菜!!」


 おばあちゃんの呼び止める声が聞こえる。


 私はそれを振り切り、海へ向かって止まることなく走り続けた。


 出来るだけ早く芹に会いたい。死んでないって言って欲しい。この想いで胸がいっぱいだった。


 芹は初めて会った海辺のベンチに座っていた。私に気づいてベンチから立つ。


「日菜、今日は遅かった…………日菜?!」


 私の目が真っ赤なのに気がついて、彼は走って私のもとにやって来る。


「どうしたの?大丈夫?なんかあったの?」


 芹が私の肩に手を置いて顔を覗き込んでくる。


  手をぎゅっと握って覚悟を決めた。


「芹は死んでるの?幽霊なの?」


 ついに聞いてしまった。


 辺りが沈黙に包まれる。波の音しか聞こえない。


 肩にあった手が力を失くし、元の位置に戻った。芹は俯いて何も言わない。


 私はそんな彼の腕を掴んで激しく揺さぶった。


「ねぇ、死んでないよね?勘違いだよね?そうでしょ?そうって言ってよ!」


 次第に声が大きくなっていく。


 目からは滝のような涙が流れ、顔全体を濡らす。


 終いには両手でその涙を拭いつつ、大きな声を出して泣いてしまう。


「…………死んでる」


 聞きたくなかった言葉はこれ以上ないほどはっきりと聞こえた。


 芹は泣く私を見てもう一度「死んでる」と言う。


「ごめん」


「謝らないでよ」


「ごめん。騙すつもりは無かったんだ」


 彼は近づいて涙を拭う私の手を掴む。そして目から溢れる涙を指ですくった。


「俺は幽霊になってからずっと一人だった。だけど、そんな俺を日菜だけが見つけてくれたんだ。日菜が由美子の孫って知っていつかばれて傷つけるって分かってた。だけど、楽しくて、楽しすぎて離れることが出来なかった。ねぇ聞いて、日菜。日菜と居る時だけは死んでるってことを忘れられた。突然失った青春を取り戻せた気がしたんだ」


 その言葉を聞いて胸がぎゅっとなる。


 私も芹と出会ってから今までだったら考えられないほど幸せだった。


 芹は複雑な人間関係を捨てたいと思った私の唯一ずっと繋がっていたい人だった。


「芹、好きだよ」


 私の中にある全ての勇気を振り絞って芹に伝える。


 だけど、彼は困ったように眉を寄せ、笑った。


 この反応をされることは分かっていた。彼が一番好きなのは、恋愛感情を持っているのは今も昔もおばあちゃんだけなのだ。
 

 私は気にしていないように笑う。


「芹はどうして幽霊になったの?」


 この空気を変えたくて、適当な話題を出す。


「あぁ、それは……」


「日菜!!」


 芹が言葉を紡ごうとした時、私を追いかけてきたのであろう、おばあちゃんが名前を呼ぶ。


 相当急いできたのだろう。息が上がり、肩が激しく上下していた。


「おばあちゃん、大丈夫?どこかで休んだ方が」


「何も言わずに出ていったらだめでしょ!」


 おばあちゃんが聞いたことのないくらい大きな声を出す。


 今までこんなに強く言われたことが無かった私は俯いて小さな声で「ごめんなさい」と言った。


 おばあちゃんは小さな体でぎゅっと私を抱きしめる。


「おばあちゃんもごめんね。突然あんなことを言うんじゃなかった。本当にごめんね」


 おばあちゃんの声はなんだか湿っていて、少し泣いているようだった。


 私はおばあちゃんの背中に腕を回してそっと優しくさする。


 しばらくして、おばあちゃんの「もう大丈夫」という言葉を合図に私達は離れた。


「帰ろうか。昼ご飯食べないと」


 おばあちゃんは私の手を掴み、歩き出そうとする。


 私はその手を引いて止めた。


「日菜?」


「おばあちゃん。芹と話して欲しいの」


 その言葉を口にした瞬間、穏やかに見守っていた芹が急いで走ってきて私の腕を掴んだ。


「日菜」


 やめて欲しいという願いがこもった声。


 芹はきっと望んでいない。だからといってやめることは出来なかった。


 もし予想が正しければ、芹が未だにこの世に縛り付けられているのはおばあちゃんに想いを伝えられなかった未練からだろう。


 私は芹の腕を掴み返した。


「ごめん。でもこのままにはしておけない」


 腕をつかんだまま芹とおばあちゃんを向かい合わせる。


 困惑するおばあちゃんに「今、目の前に芹がいるよ」と伝える。


 そうするとおばあちゃんは照れくさそうに話し始めた。


「芹。分かる?私、由美子。芹が居なくなってから随分年月が経ってもうおばあちゃんになっちゃったよ。芹は元気にしてた?」


「…………それなりに」


 芹はぼそっと答える。


 私は彼の声が聞こえないおばあちゃんにそのまま彼が言ったことを伝言していく。


「そっか。それなら良かった」


「由美子は?元気にしてた?」


「私?私はずーっと元気だよ」


 おばあちゃんはまるで筋肉が沢山あるボディービルダーのように両腕を曲げる。


 芹はそれを見て声を出して笑った。


「二人ともよく似てるな。日菜も同じようなことしてた」


 彼は私を思い出したのか、笑い続ける。


 おばあちゃんに笑っていることを伝えるとおばあちゃんも楽しそうに声を上げて笑った。


 二人の会話が進むにつれて、最初は乗り気では無かった芹も楽しそうに話し、緊張していたおばあちゃんもいきいきとしていく。


 その様子は目の前に制服を着た二人の高校生がいるようだった。また、告白するはずだった日の再現のようでもあった。


「この海で芹が私に何か伝えようとしてくれたの覚えてる?」


「……うん」


 芹は一瞬だけ表情がぎこちなくなった。だが、すぐに元に戻る。


「私、今でも気になってて……良かったら教えてくれない?」


 私と芹の視線がバチッと合う。 


 私は芹を勇気づけるように深く頷いた。すると彼はそれを返すように小刻みに何度も頷き、息を大きく吸った。


「好きだよ。ただこれを伝えたかったんだ」


 この心からの好きをおばあちゃんに伝えるのは勇気のいることだった。


 私は芹が好きで、この好きは私が欲しいものだった。


 それでも、彼が言った言葉をそのままおばあちゃんにぶつける。


 きっとこれが私が芹のために出来る最後のことだから。


 おばあちゃんは予想していたことだったのか、驚いた反応はしなかった。


 ただ遠くを見つめて昔のことを思い出しているようである。


「……私も好きだったよ」


 しばらく経ってからおばあちゃんは小さな声で呟いた。


 しかし、それはもう過去のことであって。二人の時のす
れ違いが悲しくなる。


 芹もそれを分かっていたのか、小さな声で「うん」とだけ言う。


 それから二人が再び話すことは無かった。


 私は掴んでいた芹の手を離す。


「日菜。ありがとう。おかげで心残りが無くなったよ」


 芹は泣きそうな顔をして、手を差し出す。


「うん。それなら良かった」


 差し出された手を握ろうと手を伸ばす。


 しかし、その手はただ空気を切るだけで芹には触れられない。


 何度も何度も彼の手に触れようとするのに触れようとすればするほど、もう触れることは出来なかった。


「ごめん。日菜」


 芹は伸ばした手を引っ込める。そして足から腕に至るまで自分の体を見た。


「もうお別れみたいだ」


「………えっ?」


 私も芹と同じく彼をじっと見る。そうするとあることに気がついた。


 芹がどんどん薄くなっているのだ。


 私は急いで彼の腕に手を伸ばす。やはり、掴むことは出来ない。


 なんとなくこうなるだろうと予想はしていた。だけど、 いざとなると行ってほしくない、という感情が胸の中を支配する。


 芹は触れられないのに私の頭に手を伸ばし、撫でるような動作をした。


 もうあの優しい手の感触を感じられない、そう考えると一度引っ込んだ涙が再び流れる。


「日菜」


「……もっと呼んで」


「日菜、日菜。俺、日菜と会えて過ごせて幸せだったよ。この思い出はずっと覚えてると思う。いや、ずっと覚えておくよ」


 芹がこうして話している間にも彼の体はどんどん薄くなっていき、遂に彼の後ろの景色が見えるほど薄くなっていた。


 消えることを受け入れる覚悟、そんなことをしている暇なんてなかった。
 

 残された時間はわずかなのだ。


「私達、絶対に絶対にまた会えるから。会えるって信じてるよ。だから、だから、またここで出会ってくれる?」


 息が上がり、大量の涙が流れる。


 私はそれを乱暴に手の甲で拭った。


 もう涙をすくってくれる人は居なくなる。自分の力で強くなるしかないのだ。


 芹は一瞬目をつぶり苦しそうな表情をした後、私を抱きしめた。


「待たせるよ。それでもいい?」


 彼の声は湿っていて泣いているようだった。


 私は触れられない、それでも彼の背中に手を回して、トントンと一定のテンポで叩く。


「いくらでも待つよ」


 それは心からの言葉だった。


 抱きしめる二人を波の音が包み込む。


 幽霊と人間。私達は不思議な関係だった。それでも彼との思い出を振り返ると楽しいことしかなかった。


 お互いがお互いのことを知りたいと思い、当たり前のように一緒に過ごす。こんなに幸せなことはない。


 私はもうこれを超える濃い冬は来ないように思えた。
 
「またね。日菜」


「またね。芹」


 私達はさようならではない。


 二人顔を見合わせてなんとか笑う。我ながらひどい表情だったと思う。


 そうして芹は消えてこの世から居なくなった。


 私は芹が見えなくなってもしばらく何も無い空気を抱き しめていた。


 肩に手がそっと置かれる。


「帰ろっか」


「……そうだね」


 おばあちゃんと手を繋ぎ帰路につく。


 私は途中で何度も海を振り返った。そこに芹はいない。


 それでも私達ががここで過ごした短くて濃い冬を海が証明してくれているような気がした。芹が確かにここに居たことを永遠に覚えていた。