左大臣の尚侍殿は、翌年のまだ寒い春先の頃に姫宮を出産なさいました。

それに準じて、尚侍殿は御息所(御子を生んだ女性の称)と呼ばれるようになり、また凝華舎(梅壺とも言う、内裏の御殿)を賜りました。