――それからひと月弱、我が家に留まりました。 あの事件は私と弁と右大将殿しか知らず、右大将殿もあれ以来妙な事は一切して来ないため、椿の上と若君を訪ねたりなどして穏やかに暮らしていました。 尚仁様は恋しいけれど、気の休まる我が家はやはり良いと思いましたが、早く参内するようにとの尚仁様のご催促がさんざんありましたので、元のように弘徽殿へと帰りました。 緑の美しい季節でした。