君の世界は眩しかった。【完】

こちらは小野寺凛音sidsの番外編を書きます!

タイトル:名前のない絵


凛音sids

「──まだ、あの人を好きなんですね」

初めてそう口にしたのは、夏の終わりだった。
真昼の光に透ける影の中、彼は少し困ったように笑っただけだった。

「うん、まあ……たぶんね」

“たぶん”なんて曖昧な言葉で濁したけど、
私は知っていた。

あの人の目は、
いまここにいる私ではなく、
“もうここにはいない誰か”を見ているのだと。

でも、嫌いになれなかった。
むしろ、その優しさに触れるたび、
どうしようもなく惹かれてしまった。



私と蓮先輩がよく通ったのは、小さな喫茶店。
アイスコーヒーを飲みながら、彼は黙ってスケッチブックを開いた。

「……また風景、ですか?」

そう尋ねると、彼は静かに頷いた。

「誰かを描くのは、もうやめた」

そう言って、笑った。
笑ってたけど、それは“前を向いた笑顔”なんかじゃなかった。

「描かないと、忘れちゃいますよ」

私がそう言うと、彼は首を振った。

「忘れなくていいと思ってるから、描かないんだよ」

意味なんて分からなかった。
でも、その言葉が好きだった。

理由のないまま、ずっと心に引っかかっていた。



ある日、私は思い切って聞いてみた。

「ねえ、蓮先輩。私じゃ、ダメなんですか?」

一瞬、ペンの動きが止まった。
空白のままのスケッチブックの上に、彼の影だけが落ちた。

「……ダメじゃないよ。でも、“違う”んだ」

その言葉が、やけにやさしかったから、
泣けなかった。

代わりに、笑って見せた。

「…そうなんですか。なら、いいです。私、応援する側でいることにします」

自分でも、なんでそんな言葉が出たのか分からなかった。
でも、彼が少しだけほっとしたような顔をしてくれたのを見て、
私はその嘘を、正解にしてやろうと思った。



最後に会った日、
蓮先輩はスケッチブックを私に一冊くれた。

白紙のページと、ひとつだけ描かれた絵。

――風の中で、後ろ姿の女の子が立っていた。

顔は描かれていなかったけど、私はすぐにわかった。
これは、あの人を描いた絵なんだって。

だけど蓮先輩は言った。

「この子に名前はないんだ。俺の中の“眩しかったもの”を描いただけ」

その眩しさに、私はなれなかった。

きっとこれからもなれない。

でも私は、その絵が好きだった。
彼のなかに生き続ける“誰か”と、
その“誰か”を描く彼の姿が、愛おしくてたまらなかった。



だから今でも、時々思い出す。

真夏の光と、涼しい風。
アイスコーヒーと、白いページ。

そこにはいつも、
描かれなかった誰かと、
届かなかった誰かを想い続けた男の子がいた。

そして、その隣に座って、
それを見ていた私がいた。

何も手に入らなかったけど――
それでも、あの時間は、本物だったと胸を張って言える。

たとえ私が“名前のない絵”の、ページの外にいたとしても。