二月。
寒さが底を打つ頃、町の空気はどこか乾いていた。
受験のムードが学校を覆い始めても、美術室だけは別世界のままだった。
けれど最近、一花はなかなか来なかった。
彼女は夢に近づいていた。
演劇部の外部オーディションに合格し、本格的に舞台稽古が始まったのだと、噂で聞いた。
「お前さ、最近、一花と仲良いよな」
放課後、急に話しかけてきたのはクラスメイトの森下だった。
僕が答えないうちに、彼は続ける。
「お前のこと、ちょっと羨ましかったんだよ。一花って、どこか届かなさそうだろ? でも、お前と話してるときだけ、すげえ近く見えるんだよな」
その言葉が、胸に刺さった。
“届かない”という感覚。
僕もずっと、それを抱えていた。
彼女は、誰にも届かない場所で笑っている気がした。
⸻
次に一花が美術室を訪れたのは、三週間ぶりのことだった。
「……久しぶり」
その声は、やっぱり少し疲れていた。
頬がこけて、指先には絆創膏。
でも、目だけは光っていた。
「舞台、決まったんだ。初演、来月」
「……おめでとう」
「ありがとう。……蓮くんのおかげだよ。
蓮くんが、あの日言ってくれたから。夢、諦めないって決めた」
彼女のその言葉に、嬉しいはずなのに、心の奥がひどくざわついた。
「でも……ね」
少し沈んだ声。
「最近、弟たちがね、“お姉ちゃんはもう帰ってこない”って言うの。
“夢に行っちゃう”って。……それ、間違ってないけど、でも……ちょっと泣けた」
きっとそれは、誰のせいでもない。
一花が前を向いて歩いているだけ。でも――
「私は、誰かを犠牲にしないと、夢を選べないんだと思う。
そして……それが、すごく怖いの」
僕は、気づいていた。
彼女が「強くなろう」とするたびに、心の中にひとつずつ、“罪悪感”という名の棘が刺さっていくことを。
「蓮くん、聞いてもいい?」
「……なに?」
「もしさ、私が夢を叶えたら――蓮くんのこと、置いてっちゃうと思う?」
その問いに、僕は答えられなかった。
本当は、“もうとっくに置いていかれてる”って、思ってたから。
寒さが底を打つ頃、町の空気はどこか乾いていた。
受験のムードが学校を覆い始めても、美術室だけは別世界のままだった。
けれど最近、一花はなかなか来なかった。
彼女は夢に近づいていた。
演劇部の外部オーディションに合格し、本格的に舞台稽古が始まったのだと、噂で聞いた。
「お前さ、最近、一花と仲良いよな」
放課後、急に話しかけてきたのはクラスメイトの森下だった。
僕が答えないうちに、彼は続ける。
「お前のこと、ちょっと羨ましかったんだよ。一花って、どこか届かなさそうだろ? でも、お前と話してるときだけ、すげえ近く見えるんだよな」
その言葉が、胸に刺さった。
“届かない”という感覚。
僕もずっと、それを抱えていた。
彼女は、誰にも届かない場所で笑っている気がした。
⸻
次に一花が美術室を訪れたのは、三週間ぶりのことだった。
「……久しぶり」
その声は、やっぱり少し疲れていた。
頬がこけて、指先には絆創膏。
でも、目だけは光っていた。
「舞台、決まったんだ。初演、来月」
「……おめでとう」
「ありがとう。……蓮くんのおかげだよ。
蓮くんが、あの日言ってくれたから。夢、諦めないって決めた」
彼女のその言葉に、嬉しいはずなのに、心の奥がひどくざわついた。
「でも……ね」
少し沈んだ声。
「最近、弟たちがね、“お姉ちゃんはもう帰ってこない”って言うの。
“夢に行っちゃう”って。……それ、間違ってないけど、でも……ちょっと泣けた」
きっとそれは、誰のせいでもない。
一花が前を向いて歩いているだけ。でも――
「私は、誰かを犠牲にしないと、夢を選べないんだと思う。
そして……それが、すごく怖いの」
僕は、気づいていた。
彼女が「強くなろう」とするたびに、心の中にひとつずつ、“罪悪感”という名の棘が刺さっていくことを。
「蓮くん、聞いてもいい?」
「……なに?」
「もしさ、私が夢を叶えたら――蓮くんのこと、置いてっちゃうと思う?」
その問いに、僕は答えられなかった。
本当は、“もうとっくに置いていかれてる”って、思ってたから。


