・・・僕は目を覚ますと交差点で信号待ちをしていた。だけど、どこか様子がおかしいことに気が付く。僕が信号待ちをしていたのは歩道ではなく車道。しかも車に乗っていない。僕は何事かと周りを見渡した。すると隣の車線には僕くらいの年の女の人が、反対車線には50歳くらいのおじさんが普通の顔で車道を歩いていた。

「変な夢だな。この夢の中じゃ人と車が逆転してるのか?」

 そんなことを考えつつ信号が変わるのを待っていたのだけれど、いつまで経っても変わらない。しばらくすると隣の女性が辛くなったのか、その場に座り込んでしまいカバンから本を取りして読み始めた。そんな様子を横目に僕はまた信号を見つめるが変わる気配は一向にない。後ろに下がれないものかと足を引こうとしても足が動かない。

「これは困ったな」

「夢の中で動けない」なんてことは不思議じゃないけど、何かもどかしさを感じていた。僕はしばらくやきもきしていたのだけれど、ついに我慢ができなくなって隣の女性に話しかけた。

「あの・・・」

女性は読んでいた本から目線をこちらのほうに向けた。澄んだ瞳。黒色のストレートで長い髪。服装はスーツでまさにビジネスウーマンという感じ。

「なにか?」

女性がそっけなさそうに答える。

「ここは・・・どういう・・・というかこの状況はなんなんですかね?貴女も信号が変わるのを待っているのですか?僕、気が付いたらここに立っていて・・・それで訳がわからないのですが・・・」

僕は畳みかけるように質問をした。

すると女性は少しため息交じりに

「ああ・・・そういうこと」

というと読んでいた本をパタン閉じてゆっくり立ち上がり僕のほうを見た。

「あなた・・・私に見覚えがない?」

「えっ?」

僕は若干動揺した。

「と、言うより気が付かない?さっきから車道や歩道を行き交っている人たちのこと」

 僕はそれまであまり気にしていなかった道行く人たちをよく見た。すると信じられないことにその人たちは全員、僕の人生にかかわりがあった人達だった。幼稚園からの幼馴染、引っ越してしまった友人。大学の部活の後輩、会社の上司・・・。あまり思い出せない人もいるのだけれど、多分覚えてないだけで僕の人生に何らかの関わりを持ってくれた人たちなのだろう。

その女性は目の前の信号を見ながらつぶやいた。

「・・・・パノラマ現象。まあ端的にわかりやすい言葉だと走馬灯ってやつね」

「走馬灯ってあの死に際に見るとか言うやつですか?ってことは僕は死んだんですか?」

正直受け入れることはできないにしても、この意味不明な空間を一言で説明されるのであればすごく納得がいく理由ではあった。

「いえ、そうじゃないの」

「え?」

女性はポケットから煙草を取り出して火を着けた。

「急激に訪れる自分の死ってやつを体験することが走馬灯を見るための条件になるのだけど、あなた肉体はいたって健康で今も生きているわ」

「じゃあどうして」

僕はうつろな目で女性を見ていた。

「あなたは自分を殺したの」

「え?自殺ってことですか?」

「〝そうです〟といえばこれも間違ってはいないけれど、実際は違う。あなたはあなたを否定して、やりたくないことをしようとして、いろんなことを諦めて、可能性を消しちゃった」

「これから自分を殺して生き始めようとしているわけ。そういう人間が必ず見るのがこの走馬灯って感じかな」

「・・・なるほど、そうですか」

 思い当たる節が多すぎて言葉にならなかった。僕にわかっているのはこの後、確実に自分が思い描いた世界とは違う世界で生きていくということ。それは文字通り「自分を殺す」ことになっていくだろう。

僕は空を見上げた。

 ・・・ん?でも待てよ。僕は僕の走馬灯を見ているはずなんだ。つまり僕の中で物語は完結しているはずなのになんでこの女性には話しかけることができるんだ?

その様子を見ていた女性は素敵な微笑を浮かべてこう言った。

「・・・気が付かないの?やっぱりあなたは鈍い人ねぇ」

女性は手に着いた銀に光る指輪を見せてきた。

「私はあなたの彼女なの。それも昨日プロポーズされた」

僕は一瞬思考が止まってしまった。

婚約者は自分の後ろのほうを指差した。

「あそこで私たちはぶつかったの。あの交差点でね。それで同じ道を歩いてきた。だからここにいるの」

女性はいたずらっぽく笑う

「恋は交通事故みたいなもの。突然来て、勝手に落ちてく」

女性は続けた。

「でも、こうやって交差点に差し掛かったって事は今のあなたも私も分岐点に来ているわけ。それは私も同じことなの。あなたについていってこのまま赤信号が変わるまで、つまりあなたの迷いが消えるまでここで待つのか。それとも交差点を曲がって別の道へ進むのか」

そういうと女性は持っていたカバンを指さした。

「この中には本と煙草と・・・それからお酒も入っているのよ。私はいつまでもあなたのことを待つことが出来る準備をしてきているわ」

「だから貴方が考える時間が長くなろうが私にとって退屈な時間ではないの。むしろ楽しみの時間かもしれないわね」

 そう言うと女性はまた本を取り出して読み始めた。僕は目線を少し落として考えた。・・・いや考えたふりをしていたのかもしれない。すると女性は本に目をやりながらこう言ってきた。

「貴方が貴方らしくするなら私は私らしくするわね」

僕は路面に目を落として考え込んだ。





しばらくすると声が聞こえてきた

「・・・あなた、ねぇ、あなた起きて」

 僕は目を覚ますとベッドの上にいた。

「・・・あれは夢だったのか?」

 心配する声で

「・・・仕事が忙しくて疲れてるんじゃない?」

 と僕の美しい妻はそう言うとさっとベッドから降り

 いつものように髪をまとめ始めた。


 艶やかで見事な栗色のロングヘア―を。