「そうだ、桜を描こう」

 夜寝る前のベッドの中で私はそう思いついた。やっぱりいいものと作りたいと考えたら美しいものがいい。そしたら桜がいいなとそう思ったわけで。

 早速、次の日の放課後、制作に取り掛かることにした。

 題材として桜を描くことは決まったので水沢先生が趣味で撮っている写真の中から選び、それを見ながら少しづつ描いていくことに。

「カリカリ」という音がこの場合は適切なのかもしれない。そんな音を出しながら黙々と描いていく。ニードル、彫刻刀、短いナイフみたいなの。そういうのを使って自分が思い描く、美しい桜を見つけていくことに。

 こういう時、上手く描こうとかそういうのはあんまり考えていなくて、ただ単純に「美しくありますように」と誰もいないのに誰かにお願いするような感じでやり続けるのが私のスタイル。

 リンリンに言わせると「これぞ天下のミカスタイル」らしい。昨日の仕返しなのか今度は彼女がやってきてボードを覗き込んできた。

「いい感じで描けてるじゃん」

「うん」

「間に合いそうじゃん」

「うん」

「あんた、うん、しか言わないんかい」

「うん」

 ここでリンリンパンチが飛んでくる。
「なになに?」

 ツッコミを入れられた先に居るリンリンは少し笑っていたのだけれど、それと同時に不機嫌そうな顔で持っていたお茶の缶を私に投げつけてきた。

「休憩。今度は私の手が止まった」

 両手を天井に大きく背伸びをした後、リンリンに付いて行く。どこに行くのだろうか、きっとお気に入りの場所だろう。少しだけ日の当たるベランダ。その隅っこにあるビールの入っていたケースをひっくり返した椅子の上。ここがリンリンのお気に入りの場所。私もたまに借りることが有る。

「珍しいね。手が止まるなんて」

「そう、珍しいの。だからあんたをここへ寄こしたの」

「・・・なんかあったの?」

「なんもないよ・・・ただ、進路のことで親と少し喧嘩になった」

「そっか」

 高校1年生。今はまだ10月。正直進路の事なんか考えるということはもっと後の事だと思っていたのだけれど、そうか、親としては気になるのかなやっぱりその後どうやって生きていくかとか。

「美香の家は無いの?そういうの」

「うちは・・・無いかも」

「いいなぁ、勉強しろだとか塾に行けとか言われなんでしょ?」

「そうだね、特ないかな」

 リンリンは今の事をやり続けたいのかもしれない。ずっとこのまま年を取らないで、ずっと高校生だったらいいのになって思うのかもしれない。でもいずれ時期が来れば卒業して自分の進路を歩くことになる。

「大人たちが言うことはわかるよ。だってそうでしょう?そういうもんじゃんってね」

「うん、まあ。そうだね」

「でもね、面白くなって思うわけ」

 リンリンは遠い目をして外を見ていた。面白くない・・・。このまま行けばきっと面白くない世界が待っていることの予感。何となくわかる。それは一番近い大人である親を見ればわかる。

 毎日、楽しそうですか? そうじゃないですよね。

「別に楽しく生きたいとかそういうわけじゃなくて、なんていうんだろう、今、私達って絵を描いたり、スクラッチボードを描いたりしてるじゃん?」

「うん」

「これって楽しい?」

「いや、別に」

「そうだよね、楽しくはないよね」

「うーん・・・楽しくはないのかも。バレーをやっている時も別に楽しくはなかったからなぁ」

 楽しいからやっているわけでなく、やりたいからやっているというのが気持ち的には正しいのかもしれない。

「なんか面白い話とかないの?気分、変えたいんだけど」

「なんもないよ、面白い話なんて」

「そっか」
 こういう何にもならなそうな話をリンリンとするのが私は好きで、こうやって居る時間は楽しいと感じるわけで。クラスの友達とかはカラオケとかショッピングを楽しむためにバイトしたり、街に出たりしているのだけれど、そういうとこじゃあんまりこういう会話も出来ないし。

 何よりもあんまり人混みが得意ではないし、こっちの方が楽だし。

「リンリンと居ると楽でいいよ。気を使わないから」

 そう私が言うとまたリンリンパンチが飛んできた。