「朝5時・・・」

 里穂の話を聞いていたらいつの間にか夜は過ぎ去り朝日が出始めていた。いくら今日が休みだからと言ってまさかこの時間になるとは思わなかったのだけれど。朝日が目に沁みる何とも言えない徹夜明けの感覚。私は気だるくそして重い足取りで乗ってきた自転車を押しながら帰路につくことにした。

「恋愛、好きな人ねぇ」

 好きになった先輩に彼女がいて、それを奪うだの奪わないだの。どんな音楽が好きか嫌いかとかそんなのはどうでもいいのだけれど、とにかく里穂は自分の恋を語っている時、行き場のない感覚もあったのかもしれないけれどそれ以上に楽しそうに話していたのは分かった。

 多分だけど人を好きになって付き合いたいとか考えるのはああいうことなんだと思う。恋愛マスター志保理も「好きになったらもう他は目に入らないから」とそんなことを言っていた気がする。

 トボトボと足を進めながら私は昔付き合っていたのかもしれない人の事を思い出していた。

 話は高校1年生の時に巻き戻る。

先生の方針でかなり自由だった美術部。けれど学校にある美術部としての活動もしなければならなかった。それが入学式、卒業式、学園祭。そして地域との交流会みたいな場所に作品を展示するというもの。

「催し物に出す飾りみたいなもんだから、気にせず自由にやりな」

 水沢先生はこれしか言わない。いや、これしか言えないのだろうか?と思うくらいこの言葉を卒業までに何度も聞いた気がする。

 まあとにかく部活の中で造ったものを何でもいいから展示するだけでいい。とのことだったので絵を描いている人は絵を。彫刻をやっている人は彫刻を。そして私は当然のごとくスクラッチボードしかやっていなかったのでそれを出すことにした。

話を聞くと12月に吹奏楽部の発表会をやるらしく、その時に体育館や構内の廊下に出すようなものをということだった。

人の前に何かを出すということを考える。当然、自信があるもの、よくできたもの、そういうのを出したいと思うのは人の常である。そこで私は今まで作ってきた物の中から選ぶわけではなく、新しく何か作った方がいいと考えて新しいボードを取り出すとにらめっこを開始した。

 スクラッチボードに絵を描く方法は色々。描きたいと思った絵が有るならそれをトレーシングペーパーとかカーボン紙を駆使してボードに落とし込み、その線に沿って削っていくというものもあれば、完全にフリーハンドでいきなり描き始めるということも出来る。

 前者は初心者、後者は上級者向けだ。私はそう勝手に思っているだけ。というのもこのアート。作り方の特徴的に1度ニードルで描いてしまうと基本的に取り返しがつかない。

言い方を変えると失敗が出来ない。それを先生に相談する為に持っていくと「ふぅん、でもこれあんたが描いたんだから、それでいいの」と言われた。

 だから下絵がひつようになってくるのだけれど、そういうやり方をやり続けて入部してから半年以上が経過した。

 そこでこれをいいきっかけだと考え、完全にフリーハンドで描いてみようと思ったのだ。

「・・・やばい、なにを描けばいいのだろう」

 自由を与えられた瞬間、人は不自由になるとはよく言ったものだ。感心してしまった。
それまで何の変哲もなくやっていたことが急激に「自由にやりなよ」と言われた瞬間、手が動かなくなるのはどうしてなのだろうか。

「ふうん、なかなかいいねぇ」

 何かヒントが欲しかった私は手を後ろに組み、まるでコンクールに居る審査員のような顔つきで同じ部活の同級生が描いている絵を見に行った。

「・・・どしたの、美香」

 見に行ったのは隣のクラスの同級生。名前は凛(りん)。みんなから「リンリン」と呼ばれていて、私が言うのもなんだけど背が低い。

「いやね、どんなのを描いているのかなって」

「ふぅん」

 興味が無さそうに凛は絵に戻ると筆を手に取って続きを書き始めた。書いているのはどうやら学校から見える風景画のようだった。

「なるほどねぇ」

 その後、周りに居る他の先輩達が作っている物を見たり、先生と適当に会話をしたり。そんなことをするとあっという間に帰宅時刻。

 結局何を作るのか決めないまま家に帰ることになった。