「ユウちゃん。おかえり」
家に帰ると、パンの匂いがした。
「おかえり〜、ユウ姉。今パン焼いてるの〜」
キッチンのほうを見ると、瑠々が、オーブンの前に立っていた。
「私、ちょっと勉強してから、お昼にするね」
部屋に戻り、曲をかける。
♪君は ほんと のままでいいよ
途中で止めていたから、途中からのスタートだった。
ぽろり、と涙がこぼれる。
あれ・・・?なんでだろう?
悲しいわけじゃ、ないのに・・・。
切ない曲だからこそ、余計に涙があふれてくる。
哉人くんの過去を聞いて、あふれた涙。
私は、哉人くんを、支えることはできるのだろうか。
・・・哉人くんに、"あのこと"を伝えたほうが、良いのだろうか。
いつか、バレるかな?
いつか、話したほうが、いいかな?
♪いつも ここからだよ
私、乗り越えられるだろうか。
あの事件のこと。
・・・目の前で、飛び降りて死んだ、母親のこと。
「ユウちゃん、ごはんだよ〜」
廊下のほうから、沙智江さんの声が聞こえた。
「ユウちゃん、私、お母さんとお墓参り行ってくるね」
「いっ、てらっしゃい」
私の部屋から離れていく、足音。
私は、音楽を止めて、部屋の電気を消す。
部屋を出ると、瑠々が、ピョコピョコと飛んで、待っていた。
「ユウ姉‼︎早く〜。冷めちゃう!」
「はーい」
瑠々に急かされながら、階段を降りる。
「あっ、来た来た。・・・瑠々も、急かすな、って言ったよなぁ?」
「だあって、冷めちゃうし〜、早く一緒に食べたいじゃん!」
「でもなぁ、柚香にも、都合ってもんがあるんだよ。つ、ご、う、が!」
2人のやりとりを聞きながら、ご飯を食べる。
「ねぇねぇ、ユウ姉は、なんかオススメの曲ない?るきに聞いても、ない!の一点張りでさ〜」
「おっ、オススメの曲?あるには、あるけど・・・」
私の好きな曲、瑠々の好みに合うかな?
多分、瑠々の聞いてるやつとは、ちょっと、違う、んだよね。
「なになに!?」
「『Gradation〜君の色〜』とか、『Aqua marine』とか?」
「へー、なるほど〜。今度聞いてみよーっと」
黙々と食べ進めている、瑠姫斗は、瑠々を、冷ややかな目で見つめている。
「お前、いい加減早く食べろよ。中3で、受験生なんだから、勉強しろよ」
「分かってるよ!・・・でも、別に私、ユウ姉の白ノ蘭受けるわけでも、るきの黒ノ凛受けるわけでもないんだから!」
瑠姫斗は!黒ノ凛学院(こくのりんがくいん)という、中高大一貫校に通っている。
中学受験で、合格してたと思う。
「瑠々ちゃんって、志望校は、華百合(はなゆり)だったよね」
「うん。お母さんの母校」
すると突然、瑠々ちゃんが、訳の分からないことを言った。
「ねぇ、お母さんとおばあちゃんって、どこ行ったんだっけ?」
「っはぁ?聞いてなかったのかよ」
目がまんまるの、瑠姫斗。
私も、ものすごく驚いている。
「ばあちゃん達は、墓参りだよ・・・。お前、高校受験大丈夫か?」
「だっ、大丈夫だしっ!・・・でもそっか〜。伯母さんが亡くなってから、もう5年?経っちゃったのか」
ズキッ
「瑠々、今言う話じゃない」
バクッバクッ
心臓が、嫌な音をたてる。
「ごめん、トイレ行ってくる」
ダイニングを離れる。
一気に蘇ってきた記憶。
『お母さん、もう限界なの』
ねぇ やめてよ
『あの人のいない世界で、生きられない』
私がいるよ?
『あなたを、そんな子に育てた覚えはないわ』
違うの!あれはただ
『あなたが、あんなことするなんて、思ってなかった』
お願い 聞いてよ
『あなたが、お父さんをーー』
「・・・っ!」
やだ、やだよ。
お母さん、行かないで。
私を置いていかないで。
ひとりぼっちになっちゃうよ。
『さようなら、咲生。・・・元気で』
「はっ、はっ、はっ、はっ」
息が、苦しかった。
思い出したくない、記憶。でも、忘れちゃいけない記憶。
私は罪を犯したから。
やってはいけないことをやったから。
これで、いいの。
私はこういう運命なの。
少し落ち着いてから、ダイニングに戻る。
「ユウ姉、なんか、ごめんね」
「ううん。大丈夫」
この後のごはんは、ずっと静かだった。



