あまり、長居をするのもと、
少し早めにカフェを出た。
カフェを出て、廊下を歩く。
「雪ちゃん、初カフェどうでした〜?」
翔がニヤニヤしながら聞く。
「……楽しかった」
雪が、少し照れながら答える。
その顔は、いつもより生き生きしている。
「次はプリだな」
「まだ院内だから」
「え〜」
莉子と翔の、くだらないやりとり。
俺以外の三人の笑い声が、廊下に少しだけ響く。
そのときだった。
「雪」
冷たい声。
一瞬で、空気が変わる。
雪の顔から、一気に笑顔が消えた。
「……お母さん」
雪は目の前に立つ女性を見つめながら、
怯えたように呟く。
さっきまでの空気が、嘘みたいに消えた。
「どういうこと?」
雪の母親の視線が、俺たちに向く。
「こんな子たちと、何してたの」
冷たい声。
「私の友だち……」
雪が、小さく言う。
「それに……院内のカフェに、行ってただけ」
雪の母親は、足早に近づてくると、
雪の腕を強く掴んだ。
「勝手に病室から出ないで」
その言葉に、雪の肩が、少しだけ揺れる。
「……でも」
「雪!」
雪の言葉は、すぐに遮られる。
「あなたは、自分の体の状態を分かってるでしょ!」
雪は何も言えなくなり、うつむいた。
ああ……
本当に、雪の母親は“命の期限“があると諦め、
本人の気持ちを無視している。
雪を病室に閉じ込めておくことこそが、
正しいと考えているんだ。
初めて雪に会った時のことを思い出す。
スケッチブックに、ただただ空の絵を描き続ける。
一人で戦っていた雪。
それのどこが、幸せなのだろうか。
雪の“やりたいこと“を無視して、
“病気は治る“と自分に言い聞かせる。
本当は、誰よりも向き合っていないくせに。
俺は、自分の拳を強く握る。
重苦しい空気。
雪は苦しそうに、うつむいている。
その空気に、耐えられなくなる。
「……それでも」
勝手に、言葉が溢れた。
雪の母親の鋭い視線が、俺に向く。
「なんで、そんなに閉じ込めるんですか」
自分でも驚くくらい、まっすぐな声だった。
「閉じ込める?」
雪の母親が眉をひそめる。
「守ってるんです」
「何かあったらどうするんですか」
「責任、取れるんですか」
立て続けに、俺は厳しい言葉を投げかけられる。
「今の俺には、全部は無理です」
はっきり言う。
「でも」
一歩、前に出る。
「今、雪が笑ってる時間を、守りたい」
「雪の“やりたいこと“を手伝いたいんです」
雪が、こちらを見る。
表情は、怯えていたが、その瞳は揺れていた。
「それに、俺は雪の病気から逃げない」
雪の母親は、険しい顔をした。
「あなたに……雪の何がわかるの」
冷たい言葉。
そのとき――
「雪ちゃんのお母さん」
聞き覚えのある、低い声。
この声は……
振り返ると、兄貴が立っていた。
白衣のまま、静かに歩いてくる。
「院内の移動なら問題ないですよ」
母親の表情が、不安そうになる。
「何より、不思議なくらい、最近の雪ちゃんの体は安定している」
「……でも」
「時間と範囲は制限する。それなら大丈夫です」
医者としての兄貴の言葉。
長い沈黙。
雪の母親は、しばらく考え込むと、口を開いた。
「……雪、病室の外に出ることは許すわ」
「本当に!」
「でも、この人たちと関わるのはやめなさい」
その場の空気が、また一瞬にして冷たくなる。
「なんで……」
「見るからに不良だし、雪にいい影響を与えるとは思えないの」
「そんな……」
「それが嫌なら、病室で今まで通り、安静にしてて」
雪は俺たちに、助けを求めるように視線を向ける。
しかし、何もできず、思わず目を逸らしてしまった。
その時の、雪の表情は分からなかったが、
雪自身、深く傷ついたことだろう。
それでも、俺たちは無力だった。
「行くわよ、雪」
そう言うと雪の母親は、
雪の手を引き、去っていった。
