幼い頃に母親を亡くしてからというもの――いや、母が死ぬよりもずっと前から、アレクシスは自分には居場所がないと思っていた。
母親であるルチア皇妃が不貞を働いていると偶然知ってしまったときから、母の愛が自分には向けられていないと悟ったときから、アレクシスは人を信じられなくなった。
その感情は女性相手により顕著に表れ、気付いたときには、触れるだけで吐き気を催すほどの嫌悪感を抱くほどになっていた。
当然その感情は、幼いエリスにも向けられた。
それはアレクシスが十二のとき。
ランデル王国内のとある湖の側で、病気で臥せっているセドリックの為に果物を探していたアレクシスは、偶然出会ったエリスに手を掴まれた際、容赦なく突き飛ばしたのだ。
「俺に触るな!」――と。
そのときエリスは、スフィア語で「ここは危ないわ」と注意してくれていたのだが、帝国語しかわからなかったアレクシスにとって、エリスは年下とはいえ恐怖の対象でしかなかった。
仮に言葉が通じたとしても、エリスを突き飛ばしていたことは変わらないだろう、というくらいには。
つまりこの時点では、エリスはアレクシスの運命の相手でもなんでもなかったのだ。
だが――。
(わかっている。あのときエリスは、単純な正義感のために俺を助けたのだろう。だが、俺にとってあの出来事は……)
当時、全く泳ぎのできなかったアレクシスは、湖に落ちた瞬間死を覚悟した。
湖の底に沈んでいく恐怖を感じながら、自業自得だとも思った。
自分は少女を突き飛ばしたのだ。きっと助けすら呼んでもらえないだろうと。
だが、少女は身の危険を顧みず、湖に飛び込んできたのである。
――その瞬間、アレクシスは、暗闇に一筋の光が差した気がした。
必死に手を伸ばした指先にエリスの小さな手のひらが触れた瞬間、全身の血が沸き立つような心地がした。
まだ生きていていいのだと、存在を認めてもらえたような気がしたのだ。



