ふわふわの雪を浴びながら卒業生たちが、誇らしげな笑顔やぐしゃぐしゃの涙の表情で校門の外へ出て行く。
在校生達が彼らを呼び止めては何かを話す。列はつっかえている。
「ここに居たんだ」
私がそうその背中にそっと声を掛けたら、ゆっくりとその人物が振り返った。見返り美人画のように。
「何してんの」
きみは屋上のフェンスにもたれ、口に細い煙草をくわえていた。
オレンジ色のパーカーの上からも胸の豊かなふくらみがわかり、黒い前髪は無造作に真ん中で分けられ、後ろはてっぺんでひとつに結ばれていたが、それでも背中の真ん中くらいで左右に揺れていた。
大きな丸い瞳は琥珀色で、つり目。長いまつ毛をマスカラでいろどっていた。唇はほんのりと紅サンゴの色だった。
「それ」
「何」
「煙草」
「笑わす」
きみが私を見て薄く微笑った。
まるで薄いカミソリで冷たい氷の表面を薄く削ぐような笑みだった。
「あたしには、卒業式じゃなくて退学式か?」
低い声で吐き捨てるようにそう言って、私のリボン結びにした抹茶色のマフラーをぐいっと引き、挑戦的に顔を覗き込んでくる。
「チョコ」
「少し遅いバレンタインデーだ」
そう言って低く笑った彼女からは、海外製のチョコレートのよそよそしいにおいがした
「探されてるぞ。優等生」
きみはからかうだけ私をからかったら、私に関心がなくなったのか、校門の方を見下ろした。
「私を本当に探しているやつなんていないよ」
私はため息混じりにそうつぶやいて、フェンスに背中を預けた。ギシ、と音がした。
雪花がふわふわ、ふわふわ舞っている。
遠いどこかの場所では、今日は桜が舞っているのだろう。
3年間、
何かと授業から逃亡するきみを探し歩いた。
途中から、入り口の鍵が壊れた屋上に居る事に気がついた。
私は形だけ、授業に出ろと優等生らしく言ってはみた。
きみは、カミソリのような鋭さでこう言い放った。
- それ、本心じゃないだろ。
それ以来私は、なんとなく屋上へ通った。
屋上の壊れた鍵の開け方は、きみと私しか知らない。
春は薄紅色の桜の花びらを浴びながら。夏は蒸し暑さで重苦しくなる教室の空気から逃れる場所を探しながら。
秋は茶色や黄色の落ち葉を見下ろしながら。
冬は、
屋上のドアの前、階段の一番上で、
まるで自分にないものを与え合い、たがいに温め合うように、そっと寄り添いあった。
自分ではないものを。
だけどそんな蜜月も今日で終わりだ。随分長い間一緒にいて、それでいて重要な話は一度もしなかった。名前すら呼んだことがない。
きみと私の間に、会話らしき会話は存在していなかった。
そんなもの、無意味だった。
白い雪がフェンスや、コンクリートの上にうっすら積もり出す。
『最後』。
そう思ったらなんだか、胸が詰まった。
明日からきみと私はこの学校に来る事はない。
あたたかかったんだ、きみは。
優しかったんだ、きみは。
私は遠くの大学へ行く。そのことをきみは知らない。
きみがどこへ行くのか、私は知らない。
きみと私は最後まで、
『私たち』にはなれなかった。
「泣いた顔が見たいな」
歌うようにきみがつぶやいた。
「泣かないよ」
私は、きっぱりとそう答えた。
心が寒さで震えて震えても、かわいた唇を噛みしめて耐えた。
きみといる意味を見出したかった。
急に突き上げるように、そう、思った。切望した。涙が零れそうだった。
空を、見上げた。
「何か喋れよ」
「何を」
「何でも良いよ」
「何だよ、それ」
きみは今、何を言おうとしているのか。私は今、きみに何を言おうとしているのか。
これからの長い人生、こんな刹那、すぐに忘れる。雪花のように。
見つからない言葉はないも同じだ。ただ、すぐには消えない。きみは。すぐには。泡のようには。(雪のようには)。
不意に、
きみが私をぎゅうっと抱きしめた。
桜の香りのトワレが雪風にふわっと香り、きみの長い黒髪が柔らかく私を包んだ。
あたたかかったんだ、きみは。
優しかったんだ、きみは。
優しかったんだ。
2025.03.30
蒼井深可 Mika Aoi
在校生達が彼らを呼び止めては何かを話す。列はつっかえている。
「ここに居たんだ」
私がそうその背中にそっと声を掛けたら、ゆっくりとその人物が振り返った。見返り美人画のように。
「何してんの」
きみは屋上のフェンスにもたれ、口に細い煙草をくわえていた。
オレンジ色のパーカーの上からも胸の豊かなふくらみがわかり、黒い前髪は無造作に真ん中で分けられ、後ろはてっぺんでひとつに結ばれていたが、それでも背中の真ん中くらいで左右に揺れていた。
大きな丸い瞳は琥珀色で、つり目。長いまつ毛をマスカラでいろどっていた。唇はほんのりと紅サンゴの色だった。
「それ」
「何」
「煙草」
「笑わす」
きみが私を見て薄く微笑った。
まるで薄いカミソリで冷たい氷の表面を薄く削ぐような笑みだった。
「あたしには、卒業式じゃなくて退学式か?」
低い声で吐き捨てるようにそう言って、私のリボン結びにした抹茶色のマフラーをぐいっと引き、挑戦的に顔を覗き込んでくる。
「チョコ」
「少し遅いバレンタインデーだ」
そう言って低く笑った彼女からは、海外製のチョコレートのよそよそしいにおいがした
「探されてるぞ。優等生」
きみはからかうだけ私をからかったら、私に関心がなくなったのか、校門の方を見下ろした。
「私を本当に探しているやつなんていないよ」
私はため息混じりにそうつぶやいて、フェンスに背中を預けた。ギシ、と音がした。
雪花がふわふわ、ふわふわ舞っている。
遠いどこかの場所では、今日は桜が舞っているのだろう。
3年間、
何かと授業から逃亡するきみを探し歩いた。
途中から、入り口の鍵が壊れた屋上に居る事に気がついた。
私は形だけ、授業に出ろと優等生らしく言ってはみた。
きみは、カミソリのような鋭さでこう言い放った。
- それ、本心じゃないだろ。
それ以来私は、なんとなく屋上へ通った。
屋上の壊れた鍵の開け方は、きみと私しか知らない。
春は薄紅色の桜の花びらを浴びながら。夏は蒸し暑さで重苦しくなる教室の空気から逃れる場所を探しながら。
秋は茶色や黄色の落ち葉を見下ろしながら。
冬は、
屋上のドアの前、階段の一番上で、
まるで自分にないものを与え合い、たがいに温め合うように、そっと寄り添いあった。
自分ではないものを。
だけどそんな蜜月も今日で終わりだ。随分長い間一緒にいて、それでいて重要な話は一度もしなかった。名前すら呼んだことがない。
きみと私の間に、会話らしき会話は存在していなかった。
そんなもの、無意味だった。
白い雪がフェンスや、コンクリートの上にうっすら積もり出す。
『最後』。
そう思ったらなんだか、胸が詰まった。
明日からきみと私はこの学校に来る事はない。
あたたかかったんだ、きみは。
優しかったんだ、きみは。
私は遠くの大学へ行く。そのことをきみは知らない。
きみがどこへ行くのか、私は知らない。
きみと私は最後まで、
『私たち』にはなれなかった。
「泣いた顔が見たいな」
歌うようにきみがつぶやいた。
「泣かないよ」
私は、きっぱりとそう答えた。
心が寒さで震えて震えても、かわいた唇を噛みしめて耐えた。
きみといる意味を見出したかった。
急に突き上げるように、そう、思った。切望した。涙が零れそうだった。
空を、見上げた。
「何か喋れよ」
「何を」
「何でも良いよ」
「何だよ、それ」
きみは今、何を言おうとしているのか。私は今、きみに何を言おうとしているのか。
これからの長い人生、こんな刹那、すぐに忘れる。雪花のように。
見つからない言葉はないも同じだ。ただ、すぐには消えない。きみは。すぐには。泡のようには。(雪のようには)。
不意に、
きみが私をぎゅうっと抱きしめた。
桜の香りのトワレが雪風にふわっと香り、きみの長い黒髪が柔らかく私を包んだ。
あたたかかったんだ、きみは。
優しかったんだ、きみは。
優しかったんだ。
2025.03.30
蒼井深可 Mika Aoi



