絶対零度の王


番外編:蔭山前 視点

『ただ一人の王(My Only Queen)』

幼い頃、黒瀬の屋敷に預けられた日、
僕は「感情を持つな」と教えられた。

護衛として必要なのは、命令への絶対的な従属。
考えるな、従え。
主の影であれ。声を上げるな。笑うな。心を持つな――

それが、僕の存在価値だった。



彼女と初めて出会ったのは、僕が9歳、彼女が7歳のとき。

白いワンピースを着た少女が、庭で一人きりでいた。
手に持っていたのは、大人の読みそうな分厚い経済書。
でも、何より目を引いたのは――

その目だった。

泣いているようで、笑っていた。
笑っているようで、どこか“絶望している”ような目。

(こんな小さな子が……どうして)

ただ一言、彼女は僕に言った。

「あなた、私の“部下”になるの?」

「はい。お嬢様をお守りするために、参りました」

「……じゃあ、命令よ。私を、ひとりにしないで」

それが、僕の“はじまり”だった。



それからの日々。
彼女は、僕の見た誰よりも努力家で、誰よりも強がりで、誰よりも――壊れやすかった。

10歳の誕生日、彼女の両親が“事故”で亡くなった夜。
何も言わず、彼女は大広間に一人で座っていた。

深夜2時。部屋は真っ暗で、音もないのに、
彼女は姿勢を崩すことなく、微動だにせず、ただ座っていた。

僕が近づくと、やっと声を出した。

「……ねえ、前。強くなったら、悲しくなくなるのかな」

そのとき、初めて思った。

(この人のためなら、何度でも命を捨てられる)

彼女は誰にも頼らず、自分を犠牲にして、
周囲の“期待”と“恐怖”のなかで、ずっと笑っていた。

それが、どれほど――残酷なことかを、誰も知らなかった。



15歳の春。
彼女が倒れ、病室で静かに眠る姿を見た夜、
僕は自分の心に、初めて名前をつけた。

(これは、“恋”だ)

でも言えなかった。
僕はただの影。主の傍にいられるなら、それでいいと思った。

それでも――

彼女が誰かに命を狙われた日。
咳き込みながらも前を向き続けたあの日。
笑って死にに行こうとしたあの背中を見て、もう決めたんだ。

「命を懸けて守る」なんて、陳腐な言葉じゃ足りない。

僕は、この人の“弱さ”も“強さ”も、全部抱えて一緒に沈む覚悟がある。

彼女の王冠が血に染まろうと、
その手が罪で汚れようと、
この世界すべてが敵になろうと――

僕は、ただ一人、彼女の“味方”であり続ける。



そして今。
彼女はもう、自分だけで立てるほど強くなった。

だけど僕は願う。

その“王”が、ときどき“少女”に戻れる場所に、
僕がなれることを。