絶対零度の王


9月6日。
この日、東京湾に浮かぶ黒瀬家の私有クルーザー『暁ノ宮』は、きらめく宝石のような光に包まれていた。

仮面舞踏会――それは表向き、黒瀬華鈴の17歳の誕生日を祝う、社交界の集い。
だが裏では、各界の力関係を計るための“政治の場”であり、裏社会の均衡を図る“儀式”でもある。

そしてもうひとつ。
この夜、華鈴の命を狙う者が、仮面をつけて会場に紛れている――


「似合ってるわよ、華鈴」
鳳条雅がにやりと笑う。

「……あら、今日は“お祝い役”でしょ?その口の利き方、今だけは許すわ」

黒いレースのマスクをつけ、深紅のドレスに身を包んだ華鈴は、まるで“夜の女王”そのものだった。

だがその瞳は、どこまでも冷静で鋭い。
このパーティは、危険な“舞台”であることを誰よりも理解していた。

「怜、監視カメラは?」

「全周囲カバー済み。通信も独自回線で制御してる。だけど……一人、どうしても動きが読めない来賓がいる」

「……わかった。そいつが鍵ね」


会場の隅で、シャンパングラスを持つ一条怜と風間樹。
控室で待機する水瀬美月と雅。
そして――会場の外、船体の見張り役を担うのは、誰よりも信用している“あの男”。

「……華鈴様、異常ありませんか?」

イヤモニ越しに聞こえる、前の声。

(……いる。それだけで、安心できる)


そして、パーティのクライマックス。
“主役”が、ダンスホールの中央で初の一曲を踊る時間。

会場が華鈴に注目する中、仮面をつけた一人の男が彼女に手を差し伸べた。

「踊っていただけますか、生徒会長」

声が低く、どこか聞き覚えのあるような――けれど、少し違和感があった。

(この仮面、わざと“前”に似せてる……?)

「ええ、光栄です」

その手を取った瞬間、肌がぞわりとした。
“違う”。
これは――殺意だ。

次の瞬間、男の指先が、ドレスの布に沿って小さな刃を滑らせた。

(バレないように“毒”を刺す気!?)

だが、男が動くより先に、華鈴の膝が鳩尾を打った。

「ぐっ……!」

男は吹き飛び、床に転がった。

「前、動いて!」

「了解――排除に向かいます」

同時に、会場の四方から動き出す黒影の残党。
だが、生徒会はすでに包囲を終えていた。

「逃げ道はないわ。ここは、“私の城”よ」

華鈴の声が響くと、場の空気が一変する。
鳳条雅が後ろから一人を蹴り倒し、怜は自動制御で照明を落として敵の視界を封じた。
風間が電子ロックをかけ、船全体が閉鎖モードに入る。

数分後、会場は静寂を取り戻していた。
仮面の下から血を流す暗殺者たちが、床に横たわっている。

「……本当に、怖い女だよ、華鈴は」

「ええ。私は“この国の秩序”の象徴だから」



そしてパーティが終わった後、屋上デッキに一人立つ華鈴のもとに、前が現れた。

「……誕生日、おめでとうございます」

そう言って、彼が手渡したのは、小さな花束。
青いバラ――“不可能”の象徴。

「……私に似合うと思った?」

「いいえ。“誰にも真似できない存在”という意味です」

風に揺れるドレスの裾。
静かに、華鈴はその胸に寄り添うように彼に囁いた。

「今夜、私を守ってくれてありがとう」

「命令でしたから」

「じゃあ、これは命令じゃない。……前」

彼女はそっと、彼の仮面を外すと――

唇を重ねた。

「これは、私の意思よ。……あんたの主、黒瀬華鈴の」