絶対零度の王



数週間前――
とある任務中、蔭山前は消息を絶った。

黒瀬グループでも極秘にしていた海外との交渉案件において、裏社会の“実験部隊”が接触してきたのだ。

彼が最後に残した言葉は、「少し、様子を見てきます」ただそれだけ。

だが――彼は帰ってこなかった。



◆監禁部屋・某国地下施設

「蔭山前。君はもう、終わってるんだよ。黒瀬の犬として生きるには、“過ぎた忠誠”を抱えすぎた」

「……華鈴様は、すべてを背負って戦っている。俺は……その隣にいることを選んだだけだ」

「……まだ言うか。いいだろう」

カチャリ。
金属音が響く。

次の瞬間、前の首筋に、一本の針が刺された。

「これは“感情制御薬”。心の“選択”を奪い、思考を上書きする。
君の中から、“黒瀬華鈴”を――消す」



数日後。
白凰学園に、一枚の映像が届く。

そこには、無表情でこちらを見つめる、蔭山前が映っていた。

「華鈴会長。見ての通り、あなたの忠実な護衛は、もう“ただの人形”だ。
あなたの名前を呼んでも、心は反応しない。……ざまぁみろ」

通信が切れたあと、生徒会室には静寂が流れた。

「……奪われたのね、“彼”を」

華鈴はゆっくりと立ち上がる。

「だったら、奪い返すまでよ。どれだけ“深い闇”でも、私の声は届く」



◆敵拠点・突入作戦

華鈴、生徒会の精鋭、そして黒瀬グループの選抜チームで構成された奪還部隊。
敵の拠点に踏み込むと、そこに立っていたのは――仮面をつけた、前だった。

「……前」

「……その名は、不要です」

「……命令よ。私を、撃ちなさい」

「……はい。命令、確認しました」

彼が、銃を構える。

一条怜が動こうとしたその瞬間――
華鈴が手をあげて止める。

「……それでも、私は信じてる。前。
私の名前を呼んで。思い出して。あなたは、“誰のもの”? 誰に救われた?」

一歩、彼女が踏み出す。

「誰のために命を懸けた? 誰の涙を、何よりも嫌った?」

さらに一歩。

「……ねえ、“私の名前”、言ってよ」

彼の手が、震え始める。

仮面の奥、閉じられたはずの瞳から、涙がひとすじ流れた。

「……く……ぁ……り……」

「言って!」

「――華鈴様ぁあああッッ!!」

銃が落ちる。
前が崩れ落ちるように膝をつき、顔を覆って泣いた。

「……すみません……俺、また……華鈴様を、護れなかった……」

「護ったわよ。あなたが、私を撃たなかった。それが答え」

彼女は迷わず、その胸に飛び込んだ。



◆後日

「……まだ、薬の影響が完全には抜けてないらしいわよ。夢で叫んでた。“華鈴様”って」

「うるさいわね。もう目の前にいるんだから、夢で呼ぶ必要なんてないのに」

前は、照れたように目を伏せた。

「でも、華鈴様が呼んでくれたとき……俺、初めて“生きてる”って思えたんです」

「これからも呼んであげるわ。何度でも。“前”って」

「じゃあ、俺はそのたびに、あなたを選びます。何度でも」