「ハナちゃん」
声のした方をとっさに振り向く。
「セロン様…」
質素な椅子に座るセロン様がいつも通りの温和な笑顔を浮かべる。
リンは…!
あたりを見回しても狭いその部屋にリンはいない。
「リンはどこですか!」
「隣の部屋で魔術で寝ているよ。確認してくるといい。」
私はあわてて隣の部屋への扉を開けた。
「待て、ハナ!」
ロイが呼び止める声を振り払い、部屋のベッドに横たわるリンに近づく。
「リン…」
呼吸は……してる。
脈も……正常だわ。
私はひとまずホッと胸を撫で下ろした。
「お前な、罠とか警戒しろよ。」
「ごめん…」
「ハナちゃん、剣を持ってこちらに来てくれないか?
リンネットを傷つけることはありえないから。」
「よくもぬけぬけと。お前は殺すと脅していただろう。」
ロイが模擬刀を捨てて拳を構えた。
「年を取ると嘘を付くことに抵抗がなくなるんだ。」
「あなたは本当に…前世のリンと生きていた本人なんですか?」
「そうだよ」
今まで半信半疑だったけど、本当にこの人は80歳を過ぎた魔術師なのだわ…。
「……リンをさらった目的は転生ですか?
なんのために私の剣を…」
「その剣にはリンネットの遺言が刻まれているんだ。」
「!?」
剣を見るが、もちろん文字は刻まれていない。
そうなれば魔術だ。
「俺の目的のためには1つ分の人生では足りない。」
「あなたの都合にリンは関係ありません!」
「転生にはリンネットの…いや、アイダの魔術が必要なんだよ。」
「アイダの?」
「アイダの魔術は俺が知る中で最も優れている。
選ばれた人間にしか使えない特別なものだ。」
転生してから聞いた話とかなり違う…。
けれど、アイダを知るアルウィンとセロン様の話を聞く限り、アイダの固有魔術にはなにか特別な力があると考えざるを得ない。
「アイダの魔術は古代語を使うため読解が難しく、対価を軽くするくらいのメリットしかないと聞きました。」
「っハハハ!!ハナちゃんはなにも知らないんだね!」
「知りません…。私は剣士でしたから。」
「その通りだな。知らなくて当然だ。」
セロン様がもったいぶるように間を置く。
「なんだと言うんですか?アイダの魔術は!」
しびれを切らして強い語気で尋ねた。
「アイダの魔術はね、対価がいらないんだよ。」
「ハ…?」
対価が…いらない…?
今までのリンの魔術を記憶の中から思い起こそうとするけれど、混乱で頭が回らない。
「無償の魔術ーー
俺が追い求める魔術の極致だ。」
「っ…」
「アイダの魔術に対価の理論を取り入れれば、不可能が可能になる。
永続的な強化魔術も、未来視も、転生も…!!
しかし、この歳になっても俺はアイダの魔術を使うことができない。」
「だから転生を?」
「そうだよ。生まれの素質ならアイダの魔術が使える人間として転生すればいい。」
「今のリンは魔術が使えません…。」
「そうだね。魔力は精神的ショックで発現することもあるから、強盗に襲わせり、さらってみたりしたけど、効果ないみたいで…
君を害すれば効果があるかもと思ったんだ。」
「貴様!!」
ロイがすごい形相でセロン様ににじり寄る。
「落ち着け。その前に探し物が見つかったから、それは最終手段にしようと思ったんだ。」
「探し物って…」
「ハナちゃんの剣だよ。
まさか頼りないあの護衛騎士が生きて剣を持っているとは思わなかった。
その剣に魔力を込めればリンネットの遺言が現れる。
遺言で転生魔術の方法が残されているかもしれないだろ?」
なるほど、そういうことか。
今世のリンに転生魔術をやってもらうために魔力を発現させる必要があり、そのカンフル剤として私を害そうとしたわけだ。
しかし、それよりも期待ができる前世のリンの遺言が見つかったから、そちらを入手することにシフトチェンジしたと…
「ずいぶん自分勝手ね。」
「ハナちゃんにどう言われようとなんとも思わないよ。剣を。」
「…」
「剣を寄越せ。すぐそこで寝ているリンネットを殺すことなんて、一言の詠唱でできるぞ。」
「わ、わかったわ!」
私はセロン様に剣を差し出した。
セロン様が受け取ろうと触れた瞬間、火花が弾けるように剣から魔力の光が溢れだした。
「っ、なんだこれは…!」
私とロイだけでなく、セロン様も動揺している。
「"ハナ"」
「リ…ン…」
剣から発せられた光の中にリンの姿が映し出されていた。
「あなたは…前世のリン?」
映像はコクリと頷いた。
会話ができる…!?
「これは私の遺言ですわ。
未来視と刻映の魔術で、未来のあなた方と会話しています。」
「そんな…!アイダの魔術は死後残らないはずじゃ!」
セロン様が映像に向けて叫ぶ。
「"全て操作いたしました。"」
「そ、操作…?」
「"今から私の遺言をお伝えいたします。"」
「…」
「"結論から申します。
セロン先生、あなたが転生することはできません。"」
セロン様はその場に膝をついた。
私は映像の中のリンの薄暗い瞳をただひたすら見つめていた。



