急いでグラウンドに戻った芽衣たち。
 目に飛び込んできたのは、『Dear Prince』の拓也たちが冬真抜きで歌をパフォーマンスしている姿だった。

「どうしよう、始まっちゃってる……!」

 芽衣は顔を青ざめさせる。
 自分が冬真に心配をかけてしまったから。冬真の歌を楽しみにしていた観客や、『Dear Prince』のメンバーに迷惑をかけてしまったのだ。
 泣きそうになる芽衣の肩に、冬真がそっと手を置いた。

「大丈夫、まだ間に合うよ。抜けた分は取り戻せばいいんだ」
「冬真くん……」

 自信に満ちた目で言う冬真に、芽衣は息を呑む。意志の強そうな瞳は、まるで光を孕んでいるかのようだった。彼のその表情は、普段見知っている冬真ではなく、それこそテレビや雑誌で見る『Honey Blue』として活動するプロの歌い手のものだった。
 芽衣は、冬真の内面から滲み出る力強い雰囲気に圧倒される。けれども自分は冬真の恋人だ。ここで誰よりも彼のことを応援できなくてどうするのだ。
 芽衣は両手の拳を握る。

「頑張ってね、冬真くん! 私、応援してるね!」
「……冬真」

 ――へ?

 冬真が、なんだかふてくされたような、それでいて照れくさそうにぽつりと言う。
 芽衣は首を傾げる。冬真はやきもきした様子で、耳もとを赤くしながら芽衣をまっすぐに見つめた。

「だから、冬真。俺のことは、冬真でいいから」
「えっと、それって……」

 ――つまり、呼び捨てで呼んでもいいっていうこと?

 なんだか急激に冬真との距離が近づいた気がして、芽衣は顔を真っ赤にする。
 けれどそれは、それだけ冬真に気を許してもらえているということで――なんだかとても嬉しくて、くすぐったくて幸せな気持ちだった。
 芽衣は一度深呼吸をする。冬真が好きだという気持ちが伝わるように、満面の笑顔を彼に向けた。

「あの、冬真、ずっとずっと見てるからね……! ずっと、一番近くて冬真のこと応援してるから!」

 必死に気持ちを込める。感情が昂って、視界が涙で滲んだ。目の前の冬真に腕をつかまれ、ぐいと引き寄せられる。え、と目を見開いたのもつかの間、薄く開いた唇に、冬真が軽く触れるだけのキスを落とした。
 思わず口もとを押さえて真っ赤になって固まる芽衣。彼女の額に自分のそれを当てて冬真が呟く。

「――じゃあ、行ってくる」

 至近距離に冬真の綺麗な顔立ちがある。
 テレビや雑誌で見て憧れることしかできなかったはずの彼が、今は、こんな近くにいて自分だけを見てくれているのだ。
 心臓がびっくりするほど大きく鼓動して、息が止まりそうだった。
 うん……、と掠れた声で頷くことが精いっぱいだ。それしか答えられなかったけれど、冬真はそんな芽衣に少年のように砕けた笑顔を向ける。そのまま軽く手を振って野外ステージへと駆けだしていった。
 芽衣はその背中を見送ると、隣にいる美香の手をにぎる。

「小林さん、行こう!」

 状況が呑みこめないながらも頷く美香の手をとって、芽衣は冬真が用意してくれた最前列の特等席へと躍り出た。もう客席の生徒たちは入り乱れているので、美香の分のスペースも充分にある。
 芽衣は隣の美香と目を合わせると、ステージに立つ『Dear Prince』たちを見上げた。
 まだ冬真の姿はない。きっとステージ脇の控室から合流するつもりなのだろう。
 冬真抜きで拓也たちが必死にマイクを握ってパフォーマンスを続け、曲が長い間奏に入った。拓也たちは、冬真の姿を探してどこか不安そうにきょろきょろしている。おそらく、冬真が戻ったことに気づいていないのだ。

 そのとき、野外ステージの照明を担当している生徒が、ステージ脇の袖の部分にまばゆいほどのライトを集中させた。
 なにごとか、と観客席の生徒たちも、ステージ上の拓也たちでさえも戸惑った様子でそちらを見る。そして、それを見計らったかのようにマイクを片手に持った冬真が舞台袖からステージへと飛びだしたのだった。

「みなさんっ、遅くなりました―――っ!」

 冬真がステージ中央に走り寄りながら言った途端、わあああああっ、と客席から歓声がわきおこった。
 芽衣の隣や後ろに立つ女の子たちから、「鳴海く―――んっ!」と口々に大声があがる。
 ステージに立って観客席に向かって手を振る冬真は、まっすぐに見つめられないほどに眩しくて。
 あまりにも格好よくて、素敵で、誇らしくて――芽衣は感動して涙の滲む目元を押さえた。
 そんな芽衣に、隣の美香がそっとハンドタオルを差しだす。そうしてどこかいたずらっ子のように片目を瞑った。

「かっこいいね、戸田さんの彼氏!」
「こ、小林さん、からかわないでってば!」

 顔を赤くして答えた先、いよいよ間奏が終わりに近づいて冬真が口もとにマイクを近づける。冬真が息を吸い、歌い始めようとしたそのとき――突如として、彼とは違う複数の男の子たちの歌声が、音楽に合わせて野外ステージに響き渡った。
 冬真が歌っているわけではない、拓也たちが歌っているわけでもない。

 ――それでもすごく聞き覚えのある、この声は―――……!

 まさかの予感に芽衣が目を見開いたとき。周囲から狂喜とも思える絶叫や歓声が周囲をつんざいた。なんと左右の舞台袖から、ボーカルユニット『Honey Blue』に所属する本物のメンバーたちがマイクを片手にステージに躍り出たのだ。

「ちょっ、嘘っ、すごいっ、本物……!?」

 隣の美香も、夢でも見ているかのように目を輝かせてステージ上に目を奪われている。

「おまえら、なんでっ……」

 当の冬真本人も知らなかったらしく、度胆を抜かれた様子でびっくりしている。
 問いかけた冬真に、一番近くにいた『Honey Blue』のメンバーが端正な顔でにやりと笑んだ。

「まあ、特別出演ってやつ? そこの、進藤くんに頼まれて」
「拓也?」

 振り返ると、拓也はしたり顔をした。

「そ! おまえの高校の思い出を最高にしてやろうと思ってさ! 『Honey Blue』のメンバーと、クラスメイトのおれたちと一緒に歌えるなんて最高だろ?」
「最高すぎるだろ……! 泣けるんですけど!」

 冬真が目尻を拭っている。観客席から自然と拍手が沸き起こった。
 暖かい雰囲気の中で、拓也が冬真の背中を押す。

「ほら、歌おうぜ、みんなで!」

 冬真は感動で涙ぐんでいるのか、顔をうつむかせて小刻みに肩を震わせていた。

 ――冬真くん、よかったね……!

 普通の高校生として日常を送りたいと言っていた冬真。最初はなかなかクラスメイトに馴染めなくて困っていた彼を自分が教室から連れだして――いつしか彼と両想いになって、付き合うことになって。
 そうして彼はいま、高校の友達やボーカルユニットの仲間たちとステージに立つくらいに溶け込めたのだ。
 自分も、今日のこのステージのことは一生忘れない。
 最愛の彼の最高の姿を、この目と胸に刻んでおこう。
 冬真と自分の大切な思い出として。

 クラスメイトの男子4人、ボーカルユニットの男子4人、その中心に冬真が立ち、彼らの生き生きとした歌声が後夜祭を最高に盛り上げる。観客席からの拍手はいつまでも鳴り止まなかった。