桂花の香りは千里先まで

あっという間に、文化祭を迎えた。
千里先輩とは、あれから会ってない。
大会議室には、できるだけ、行かないようにした。
たかが数日だったけど、あのいっときの時間を2人だけで共有しているかのような日々を、懐かしく思う。
気持ちを心に閉ざした今、その時の思い出が、何よりも変え難い、輝きとして心を照らしていた。
この気持ちは、私だけ知っていればいい。
先輩に伝える必要は、ない。
今日の夜は、後夜祭がある。
後夜祭で、千里先輩はきっと楓を誘って、感謝と、そして、告白をするんだろう。
後夜祭の最後の花火を一緒に見た2人組は、幸せになれる、そんなジンクスを信じた訳じゃない。
でも、彼らにはジンクスなんて必要のないくらいの運命がある。
それが、ジンクスより辛かった。

「三島さーん。次のシフト、私と変われる?急に誘われて!」
「ああそうなの?実行委員の仕事、ちょうど無いから、大丈夫だよ。」
「ほんとに!?ありがとう!ペアは、村上さんだから!」
村上、とは、楓の苗字だ。
あれ以来、楓とは勝手に気まずくなっている。
楓は普通に話しかけてくれるのだけれど、まだ気持ちの整理がついてないのか、どうしても目が合わせられない。
ここは、2人で回さなきゃ行けないんだから、そんなこと気にしてられない。
「…楓ー!シフト、私に変わったから。」
「おお!桂花となら、ちょっと安心。頑張ろーね。」
楓は、衣装として用意された、青と白のストライプ柄のアメリカっぽいコスチュームを着ていた。
彼女は、サイドの高い位置で髪をゆって、毛先をくるんと巻いている。
ふわっと広がった袖と、フリルのついたスカートに、よく似合っている。
それ比べて、私は。
楓と色違いの赤と白のストライプのコスチューム。
髪を巻き下ろして、メイクも衣装と合うように、赤みの強いオレンジのアイシャドウをのせて、いつもより派手にしているはずなのに。
楓と並ぶと、楓の方に視線が吸い寄せられる。
やっぱり、可愛くない私が努力しても、彼女らみたいな、ひと握りには勝てっこないんだ。
千里先輩だって、これから好きになっていく人だって、こうやって奪われていくのだろうか。
どす黒い感情を押し殺して、無理に笑った。
「楓、衣装とっても似合うね。」
「えぇ、そう?私には少し可愛すぎて、ちょっと浮いてるよ。桂花の方が、よく似合っている。」
「あはは、そんなことない……」
楓より私が似合うなんて、天地がひっくり返りでもしないかぎり、有り得ない。
お世辞でも、喜べない。
「……きっと、可愛いって言ってくれるよ!桂花の好きな人も!」
「いやいや、ありえないよー。」
「てか、後夜祭誘った!?」
「まだ、だけど。」
「もー他の子に先越されたらどうするの!」
「……あ、でも私もう、」
「ん?……あいらっしゃいませー!」
『諦めたから。』そう言おうとしたのに、ちょうど客が来て遮られた。
遮られたことに少しほっとした自分がいたのがいやだ。
楓に伝えないことで、まだ自分の中で続けようとしているずる賢い自分に嫌気がさした。
お客さんと話す楓は、いつも通り可愛くて明るい笑顔だったけど、なんだか、なにかを諦めきった弱々しいものだった。
お昼時というのもあって、客がどんどんとなだれ込んできた。
気になって仕方なかったけど、今は、接客に集中しなければ。
「…あ、いらっしゃいませー、何名です…って千里先輩?」
「桂花ちゃん!ちょうど俺らのクラスの舞台終わったところだから来てみた。」
「そうなんですか?ええ、見たかったなあ。……あ、こちらへどうぞ。」
ぼーっと立っていたところに、千里先輩が、数人友達を引き連れて遊びに来た。
彼は私の元へかけより、私は数日ぶりの笑顔に照らされた。
先輩の少し後ろに立っていた友達たちは、みんな一点を見つめて、「かわいくね?あの子。」と小声で話して、ニヤニヤと笑った。
そちらに目を向けると、接客中の楓がいた。
ああ、楓はずるい。
羨ましい。
少し視界に入っただけでも、その視線を惹き付けて離さないんだ。
そんな容姿、私にも欲しかった。
あったら、千里先輩の心だって奪えたかもしれないのに。
「…おい、やめろ。あの人、俺の友達。」
千里先輩も彼の友達の目線に気づいて、さって腕を上げ、楓の姿を彼らの視線から隠した。
まるで、彼だけで彼女を独り占めしているみたいに。
彼らは「なんだよ、かっこつけちゃってー。」と少し冷やかした。
千里先輩は彼らをなだめて、案内した席に座らせた。
彼らは席に着いても、相変わらず、わいわいと盛り上がっている。
教室にいる人が、うるさいと言わんばかりに彼らのことを睨んでも、お構い無しだ。
この神経の図太さは、さすが、文系だ。
「桂花ちゃん!これ、ください。」
「少々お待ちください。」
先輩は、細長い指で、メニューを指した。
ぺこりとお辞儀をして、くるりと向きを変えた。
調理係に伝え、出来上がったものを運ぼうとした時、
「…あ、三島さんいた!少しいいかな。食材の衛生チェックについてなんだけど。」
と、文化祭実行委員の委員長が話しかけてきた。
「ああ、はい!えっと……、楓!これ届けておいて。」
「おっけい、任せて。」
そう言って彼女は、私の手にあった『アメリカンパフェ』をとって、彼らの方へ向かった。

「……と、こんな感じで、問題なかったら、項目ごとに丸つけてくれればいいから。」
「了解です!やっておきますね。」
委員長からの説明が終わって、ふと彼らの方を見た。
千里先輩と、楓が、なにやら楽しそうに会話をする姿が映った。
「……。楓、あのさ、後夜祭……」
教室の声にかき消されて最後まで聞き取れなかったけど、楓にそう言っていた。
それを聞いた楓は、少し笑って何かを言った。
そして、先輩は頬を紅潮させて、少し怒ったように話していた。
(お似合い……。)
艶のある巻いた髪を揺らし、笑う楓。
暖かく照らすお日様のような、千里先輩。
なんて、画になるんだろう。
物語のお姫様と王子様みたいだ。
1人の観客として、それを観ているようだった。
私が入る隙なんてない、2人で完結している物語みたいな。
なのに、私が出る幕なんてないのに、それでも、千里先輩への気持ちが止まらない。
楓に笑いかけている顔でさえ、惹き付けられる。
馬鹿みたい。
私に向けられた笑顔じゃないのに、こんなにも好きでたまらない。
楓は、魔法をかけられたような横顔だった。
視界に入ったら、目を奪われ逸らせない、そんな魔法。
ああ、この顔、知っている。
いやだ、信じたくない。
そして、気づいたら、教室の扉へ向かって走っていた。
スカートで走って、周りの目が気になったけど、そんなことよりも、教室から逃げ出したかった。
遠く遠く、彼らから見えないところまで。
人気のない西校舎に飛び込んで、大会議室の扉を思い切り開けた。
文化祭当日だから、やっぱり人は居なくて、安心した。
先輩の席に腰を下ろして、机に伏せた。
大きく膨らんだ袖に顔を埋めて目を瞑ると、さっきの楓の顔がまぶたに張り付いた。
知ってる、あの横顔。
先輩と同じく、相手を愛おしく見つめる優しい顔だ。
ああ、楓も千里先輩が好きなんだ。
2人は、ずっと想い合っていたんだ。
信じたくなかった。
だって、楓なら、諦めが着いてしまうから。
しがみつきたくても、するりと解けてしまいそうだったから。
なのに、解けるどころか、よりきつく締められた。
「……わかんないよ。」
目頭が熱くなった。
留めた思いが、破裂するように、目からこぼれそうになった。
楓には、いつも助けて貰っていた。
悩み事があったら、1番に楓に相談したし、助言をもらった。
だからこそ、取り合いたくない。
傷つけたくない。
傷つけられたくない。
ああもう、分からない。
どうすればいいの。
この気持ちをどこにやればいい?


「……━━━桂花!」


この人は、どれだけ私を救えば気が済むんだ。
顔あげると、そこには、見慣れたあの顔があった。