〇桃音の家
莉玖
「風邪だと思うよ」
自室のベッドで布団をかぶって横になりながら、ジト目になっている桃音。
そんな桃音を、腕を組みながら困った顔をして見下ろす莉玖。
桃音
「これくらい、別に大丈夫なのに……」
莉玖
「だめ。ももは喉が痛くなると、その後にすぐ熱が出てくるから」
(回想)
朝、桃音を迎えに来た莉玖。
玄関のドアを開けて挨拶をした瞬間に、小さく「コホ」と咳をした桃音。
それを見て、昨日の一件があった事もあってか、莉玖が桃音を部屋の中へと戻してしまったのだった。
(桃音に有無を言わさせずにテキパキと対応する莉玖と、部屋にポイと放り込まれてパジャマに着替えるように言われ、ポカンとする桃音)
(回想終わり)
病は気からじゃないけれど、莉玖にきっぱり「風邪」と宣言されてしまうと、なんだか普段よりも身体がポカポカしているような気になってくる桃音。
莉玖
「学園に連絡は入れたから。ももは西園寺さんにだけ連絡はしといたほうがいいかもね?」
桃音
「あ、うん。早めにしないと撫子ちゃんに心配かけちゃうね」
スマホをポチポチしている桃音。その姿を確認した莉玖は自分の通学カバンを手にした。
莉玖
「ごめんね、もも。今日はどうしても学園に行かないといけなくて。でも午前中で早退してくるから」
桃音の頭をよしよしと撫でる莉玖。猫っぽく気持ちよさそうに目を細める桃音。
桃音
「大丈夫だよ。ただの風邪の引き始めだもん。大人しく寝てます」
莉玖
「ん。いいこ」
いってきます、と言って部屋を出る莉玖を見送る桃音。
1人になった瞬間、体調の悪さを実感しはじめて、桃音はすぐに眠りについたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
〇教室 桃音のクラス
隣の席の桃音が朝のショートホームルームの時間になっても現れず、気になった雪斗。
撫子の席へ向かい、桃音のことを聞きに行く。
雪斗
「――え? 桃音ちゃん、風邪なの?」
撫子
「ええ。普段はあまり体調を崩す事はない子なのだけど……」
大丈夫かしら、と心配そうに溜め息をつく撫子。
昨日の件が原因だと知っている雪斗は、自分が庇いきれなかったという罪悪感もあり、撫子にお願いをする。
雪斗
「あのさ、西園寺さんは桃音ちゃんの家の場所とかって……知ってる?」
雪斗の発言に、え、とやや引いた様子の撫子。
撫子
「……どうして桃音ちゃんの住所を知りたいんですの? 悪用する予定があるのなら、絶対に教えませんけど……」
雪斗
「ちがっ!? そんなつもりは全くないよ!? 実は……」
昨日あった出来事を話す雪斗。
それを聞いて「ふむ」と少し考える撫子。考えながらしゅんとした表情で撫子の返事を待っている雪斗を、まじまじと観察する撫子。
撫子
(まぁ……この人、桃音ちゃんに好意を寄せているのは丸わかりですけどね。でもやましい気持ちはなさそうだし、純粋に心配する気持ちも分からなくはないかしら……)
撫子
「……面倒な番犬がいますけど、それでも行くとおっしゃるなら教えてあげてもいいですわよ」
撫子の提案に、小首を傾げる雪斗。
雪斗
「えっ、いいの!? でも番犬? 桃音ちゃんの家って犬飼ってるの?」
何も知らない雪斗を見上げながら、ニッコリする撫子。
撫子
「あ、もちろん私も一緒に行きますわ。それなら番犬も追い出しはしないと思いますし」
撫子
(それに、2人の仲をもう一歩進展させてくれるかもしれないですしね。恋のスパイスは時に必要でしてよ、高遠様)
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〇桃音の家 自室 ベッドの上
おでこに冷たい物が乗せられた感触がして(莉玖が冷えピタを貼った)桃音が目を覚ます。
莉玖
「あ。起こしちゃった?」
熱はそんなになさそうだねと、桃音の首元をそっと指先で触れる莉玖。
桃音
「莉玖くん……おかえり、なさい。今って何時……?」
莉玖
「13時過ぎくらいかな。何か口にして風邪薬を飲もうか。お腹は空いてる?」
莉玖にそう問われると、桃音のお腹がきゅう、と可愛く鳴いた。
莉玖
「スポドリ飲みながら、ちょっとだけ待ってて」
莉玖が部屋から出ていくのを見送りながら、桃音はゆっくり起き上がってベッドのヘッドボードに寄りかかった。
ベッド横のサイドテーブルには、いつの間にか体温計やスポーツドリンクが置かれてあった。
莉玖
「お待たせ。卵がゆなんだけど、食べられそう?」
ふんわりと香るおだしの匂いに、食欲がそそられる桃音。
桃音
「うん、すごくおいしそうな匂い。もしかして、莉玖くんが作ってくれたの?」
莉玖
「薫さん(お手伝いさん)にレシピを聞きながらだけどね? 味見はちゃんとしたし、一応上手くできてるとは思うけど」
サイドテーブルに小さな土鍋の乗ったお盆を置くと、莉玖はレンゲで掬ってふぅふぅと冷まし、桃音の口元へ運んだ。
莉玖
「はい。あーん」
桃音
「じ、自分で食べられるよっ……!?」
ブンブンと首を横に振ってお断りする桃音。
莉玖
「ももは熱いの苦手でしょ? いいから大人しくしてなさい」
ほら、と目の前にレンゲを持ったまま動かない莉玖。
恥ずかしい気持ちになりながらも、仕方なく受け入れる桃音。
ぱくっと口に入れると、おだしの旨味と卵とお米の優しい甘さが口の中に広がって、桃音の顔は思わずふにゃりと綻ぶ。
桃音
「お、おいひい……!」
莉玖
「ふふ、よかった」
莉玖も、桃音が素直にあーんを受け入れ、尚且つ自分が作ったお粥を美味しそうに食べている姿を見て、自分の心がほっこりと満たされるのを感じていた。
そうして結局お粥を綺麗に食べきった桃音。食べ終えた食器の片付けをしている莉玖にお礼を告げる。
桃音
「本当にすごく美味しかった。莉玖くんありがとう」
莉玖
「どういたしまして。沢山食べてもらえて嬉しかったよ。……と、あとは薬か」
薬と聞いて、びくっとする桃音。
莉玖
「まだバニラアイスとじゃないと、薬が飲めないんだよね?」
桃音
「……子供っぽいって思ってるでしょ」
莉玖
「ふふ。ももらしくて可愛いと思うよ?」
莉玖はお粥の土鍋を片付けて、今度は薬とアイスとスプーン、それから水の乗ったお盆をテーブルに置いた。
莉玖がスプーンでアイスをすくって、錠剤をその中に1錠隠した。
莉玖
「はい、頑張って? 1回2錠だから、あともう一回ね」
桃音
「う~……」
桃音は目を瞑りながら、意を決してアイスと一緒に薬をごくんと飲み込んだ。
その後に水で流し込む、という動作を繰り返して薬を飲み切った桃音。
そんな桃音の様子を、莉玖は可笑しそうにクスクスと笑いながら見守っていた。
桃音
「ふぅ……」
莉玖
「ちゃんと飲めたか見せて? あーん」
桃音の顎をクイと持ち上げて距離を詰める莉玖。桃音はボッと赤くなる。
桃音
「飲めたから大丈夫ー!」
頬を赤く染めたまま、うわんと半泣きでお断りする桃音。
そんな顔も可愛いと思っている莉玖は、ちょっとした意地悪で「ええ~?」と言いながら桃音の顎にかけた手を離さずにいた。
その時、家のインターホンが鳴る。
インターホンの確認に行って戻って来た莉玖は、苦い顔を浮かべていた。
桃音
「誰が来たの? あ、もしかして撫子ちゃん?」
莉玖
「うん、もものお見舞いにね」
「……余計な奴までオマケでいるけど」(小声)
桃音
「え?」
莉玖
「もも、少しだけリビングのソファーに移動できる?」
桃音
「うん。でもなんで? 撫子ちゃんなら私の部屋でもいいんじゃない?」
莉玖の微笑みが深くなったので、桃音はそれ以上追及できず、薄手の羽織物を手にして大人しくリビングへ移動したのだった。
〇桃音の家 玄関~リビング
桃音の家の玄関のインターホンが鳴る。
莉玖が玄関を開けると、そこには撫子と驚いた顔の雪斗がいた。
雪斗
「え? 会長っ!?」
莉玖
「……ももと西園寺さんは、君に言ってなかったんだね。俺とももは幼なじみだから、同じマンションに住んでるの」
2人の様子を、撫子がニマニマしながら眺めている。莉玖が溜息をつく。
莉玖
「とりあえず入って」
莉玖は嫌々ながらもリビングに案内する。
撫子と雪斗がリビングに入ってきて、桃音は驚いた顔をする。
桃音
「撫子ちゃん! それに雪斗くんも来てくれたの……!?」
お見舞いの品として、二人から有名チェーン店のプリンをもらう桃音。
桃音
「わぁ、わざわざありがとう……!」
雪斗
「桃音ちゃんが風邪引いたのって、昨日のせいだよね? 起きてて大丈夫なの?」
桃音
「大丈夫だよ。熱も微熱くらいだし。心配してくれてありがとう」
雪斗
「そっか……よかった」
きょろきょろと部屋を見渡す雪斗。
桃音
「どうしたの?」
雪斗
「いや、西園寺さんが番犬がいるって言ってたから、どこにいるのかなって……」
莉玖
「西園寺さん……?」
莉玖の深い笑みが撫子に向けられる。撫子はそんな視線に目もくれずに、出された紅茶を優雅に飲んでいた。
撫子
「ちょっとしたジョークを交えた比喩表現ですわ」
長居するのもよくないからと言って、撫子と雪斗はお茶を飲んですぐに帰っていった。
〇桃音の家 玄関先
撫子と雪斗の見送りのために、玄関まで来た莉玖 (桃音も見送りしようとしたが、3人に止められた)
帰り際、莉玖へ話しかける雪斗。
雪斗
「あのっ……俺、桃音ちゃんの事、本気ですから……!」
莉玖
「は?」
雪斗の真剣な表情に、莉玖は普段出さないような低い声で威嚇する。
雪斗
「会長がどれだけ邪魔しても俺! 絶対、桃音ちゃんの手作りお菓子食べますから!」
莉玖
「……は?」
思いがけない言葉をかけられ、咄嗟に何も言い返せなかった莉玖。
雪斗はお邪魔しましたっ! と言って廊下を飛び出していった。
撫子
「あら、高遠様が言葉に詰まるなんて珍しいですわね?」
莉玖
「西園寺……お前」(莉玖は撫子と2人でいる時、名字を呼び捨てで呼ぶ)
撫子
「あちらの番犬君の事、私は結構気に入ってるんですのよ。気概が合って、真っすぐな所が桃音ちゃんに似てるからかしら」
クスクスと笑う撫子と、ジトッとした目線を送る莉玖。
撫子
「桃音ちゃんをよろしくお願いいたしますね」
莉玖
「……お前に言われなくとも」
〇桃音の家 リビング
2人を見送って戻って来た莉玖。
莉玖
「桃音の熱が上がったら大変だから、部屋に戻ろうか」
そう言って背を向けた莉玖の服の袖をくいと引っ張る桃音。
莉玖
「うん? どうしたの?」
桃音は、自分がした咄嗟の行動に驚いていた。
桃音
「あ、えと……り、莉玖くんは……? もう、帰っちゃうの……?」
珍しく甘えた様子の桃音に、びっくりして目を見開いた莉玖だったが、すぐに微笑んだ。
莉玖
「っ、帰らないよ。ももが心配だから夕飯もここで食べる。ももが寝てる間はリビングでパソコン作業させてもらおうかなって」
桃音
「じゃあ……このままリビングで横になっててもいい?」
莉玖
「……しょうがないなぁ。ちゃんと寝るんだよ?」
桃音の部屋から掛け布団と枕を運んでくる莉玖。
ダイニングテーブルでパソコンに向き合っている莉玖の姿を、ぼんやりとソファーから眺める桃音。
桃音
(思わず我儘を言って莉玖くんを引き留めちゃった……)
(なんでだろう、具合が悪いから心細くなってるのかな……?)
でも、なんだかそれだけじゃないような気持ちがしている桃音。
桃音
(私、莉玖くんの優しさに甘えすぎてるな……でも、そばにいてほしいって思っちゃったの)
悲しいわけじゃないのに涙が零れそうになって、桃音は無理やり目を閉じたのだった。
