昼休みに廊下を歩いていると騒がしい声に振り向く。
……桐島、隣のクラスだったのか。
昨日あんなに振り回されたのに、今日まで気づかなかったなんて。
廊下から見える窓際の席、淡い茶髪が揺れる。
机に肘をついて、ぼんやり頬杖をついている。
萌え袖の手元が少しだけ動くたびに、なんか目を奪われる。
……ただ、それだけならよかった。
問題は、その周り。

「めあくん、今日もかわいいね〜!」
「髪サラサラ〜!」

何人もの女子が、桐島の周りで騒いでる。
べたべた触って。
顔がかわいいからか、男子まで調子に乗ってやたら距離が近い。

…距離近ぇんだよ。

なんでかわからないけど、見てるだけでムカついてくる。
桐島は何も気にしてないみたいに、ただぼんやりしてるだけ。
……なのに、こっちは最悪な気分だ。
いや、俺には……関係ないはずなんだけど。

無理やりそう思い込もうとして、目を逸らす。
けど、胸の奥がざわざわして、やけに落ち着かない。
……やだな。
なんで、こんな気持ちになるんだろう。

放課後、俺は弓道部の部室の前にいる。
……来てしまった。
たまたま、通りかかった……いや、嘘だ。

見に来た。

弓道部の前。
少しだけ開いた扉の隙間から、中の様子をうかがう。
普段はあんなに無防備で無気力なのに。
なんで、弓を引いてるときだけ、あいつはあんなに生き生きした目をするんだ。
まっすぐに的を見つめる視線。
長いまつ毛がわずかに揺れて、そっと目を伏せる。

──次の瞬間、矢が放たれる。

迷いのない動作。
細くて白い指先が、しなやかに弓を操る。

……すげぇ。

思わず、息をのむ。

なのに───

「めあくん、今日もかっこいい〜!!」
「さすが王子〜!!」

周りの女子がうるさい。
邪魔だ。

いや、別に俺は桐島のことなんか、見てない。
ただ、弓道に興味があるだけで──

……いや、嘘だな。

わかってる。
認めたくないけど、今目が離せなくなってるのは事実で。
桐島は、そんな周りの騒ぎなんて気にせず、また静かに弓を引いた。

……どんな状況でも、あいつはブレないんだな。

「あれ?今日って委員会だっけ?」

桐島が俺に気づいて目の前まで駆け寄ってきた…
あれだけ周りが騒がしいのに、扉の外にいた俺に気づいて、来てくれた。
嬉しいのに、素直になれない。

「……いや、違うけど。」

冷静を装って答える。
たまたま通っただけだって、そう思わせるために。
でも、桐島はじっと俺を見上げたまま、首をかしげる。
……上目遣い、反則。
さっきまで弓道してたからか、いつもより目がしっかりしてる。
ぼんやりしてなくて、ちゃんと俺を見てる。
それがなんか、落ち着かなくて。

「……たまたま、通っただけ。」

本当は、たまたまなんかじゃないくせに。
自分に言い訳するみたいに、そう言い切った。

「じゃあ俺そろそろ帰るから、一緒に帰ろ!」

……は?

思考が追いつかない。

今、こいつ……「一緒に帰ろ」って言ったか?
俺に?

桐島は何でもないみたいに小さく手を振って、更衣室へと早足で向かっていく。
…待っててって、お前……。
ぽつんと残された俺。
周りはまだ「王子〜!」とか騒いでる女子たち。
…いや、帰るなら勝手に帰れよ。
そう思うのに、足が動かない。
待つつもりなんてなかったのに、気づけばそこから動けなくなってる自分が、最悪に情けない。
…なんなんだよ、こいつ。
もう、俺のペースなんて、めちゃくちゃだ。

数分してから「おまたせ」と言って桐島が部室から出てくる。

「……おい、近ぇよ。」

そう言ったのに、桐島は気にする様子もなく、ふにゃっとした笑顔を浮かべたまま俺の腕にしがみついてくる。

……は?なんで腕組んでんの?

制服に着替えても、やっぱりカーディガンは大きめで萌え袖になってる。
さっきまで弓道してた時の鋭い目つきはどこへやら、今はすっかりぼんやりしてる。
……集中切れるの、早すぎだろ。

それにしても。

めっちゃ見られてんだけど……。

弓道部の連中も、さっきまで騒いでた女子たちも、みんなこっち見てる。
なんなら、ひそひそ話まで聞こえてくる。

……いや、お前これ大丈夫なのか?

桐島は相変わらず何も気にしてないみたいに、俺の腕に寄りかかったまま歩き出す。

「すい、帰ろ。」

……知らねぇからな。
そう思いながらも、振り払うことはできなくて。
なんかもう色々諦めて、一緒に歩き出した。


……なんでこうなった。
急に降ってきた大雨。
傘なんて持ってなくて、俺も桐島もびしょ濡れで、俺の家がすぐ近くだったから、とりあえず雨宿りがてら入れて……
気づいたら、なぜか泊まる流れになってた。

原因は、俺の母親。

「かわいい男の子ね〜!王子様みたい!!泊まっていったら?」

余計なこと言うから……。
……いや、俺の許可は?
ちらっと桐島を見ると、タオルで髪を拭きながら、相変わらずぼんやりしてる。
さっきまで濡れてぺたんと貼り付いてた淡い茶髪が、少しふわっとしてきて……なんか、無駄にかわいい。
……もう、知らね。
深く考えるのをやめた。
というか、考えたら負けな気がする。

「……風呂、入るか?」

俺はため息混じりにそう聞いた。
桐島は「んー?」と顔を上げて、少し眠そうに微笑んだ。
……なんでこいつはこんなに無防備なんだよ。
この一晩、俺のメンタルがもつ気がしない。

順番にお風呂に入った後、桐島がうとうとしている。

「……おい、髪くらいちゃんと乾かせよ。」

桐島はソファに座って、タオルを頭にのせたままぼんやりしてる。
ほんのり上気した頬、しっとり濡れた淡い茶髪。
いつもいい匂いがするけど、今はうちのシャンプーの香りがして……なんか、妙に落ち着かない。

「んー……めんどくさい……。」

眠そうにそう言って、ふにゃっと俺を見上げる。
髪を乾かすのをめんどくさがるって…
その顔、やめろ。無防備すぎる。)

はぁ、とため息をついて俺はドライヤーを手に取った。

「ほら、座れ。」

「え?」

「乾かしてやる。」

「……え、すいが?」

「文句あんのか?」

「……んふふ、ない。」

桐島は嬉しそうに笑って、大人しく俺の前に座った。
なんでそんなに素直なんだよ……。
ドライヤーをつけて、桐島の髪に手を通す。
ふわふわで思ったより柔らかい。
…なんで俺がこんなことしてんだ?
そう思いながらも、桐島は目を閉じて気持ちよさそうにしてて。
なんか、撫でてるみたいな気分になってきて……
やばい、意識したら負けだ。

俺は無言でただ黙々と桐島の髪を乾かし続けた。

「……はぁ。」

なんでこいつ、こんなに無防備なんだよ。
ドライヤーを止めると桐島は小さく息をついて、そのまま俺の膝に頭をこてんと預けてきた。

「……おい。」

反応なし。
髪を乾かし終わる頃には、完全に寝落ちしてた。
……いや、寝るの早すぎだろ。
ぼんやりした甘い声で「ありがと」って言ったのが最後、今はもうすっかり夢の中。
ほんのり濡れた淡い茶髪、微かに聞こえる寝息。
起こすべきか、このまま寝かせとくべきか……。

…っ、ちょっと待て。なんで俺、膝枕してんの?
いつの間にか、俺の膝の上に完全に頭を乗せられてる。

「……マジで、なんなんだよ、お前。」

そう呟いて、そっと桐島の髪を一撫でしてしまったことは、絶対に誰にも言えない。

そこに母さんが入ってきて、「あらあら、急にかわいい男の子連れてきたと思ったら、そういうこと?手まで握っちゃってー!」と声をかけてくる。

「……は?」

俺の声が思いっきり低くなる。
ニヤニヤ顔の母さん。
その視線の先には、俺の手にすっぽり収まった桐島の手。
……は? 俺、いつの間にこいつの手握ってた?
ガチで記憶にない。
桐島の髪を乾かして、寝たのを確認して……で? いつ? どうして?

「ち、ちが……」

言いかけたけど、母さんの顔がもう「理解ったわ」みたいな感じで、めっちゃ楽しそうにしてる。

「ねえねえ、すい? そういうことならもっと早く言ってくれればいいのに〜! それならちゃんとお泊まりセット用意したのに!」

「違うし。」

「本当に〜? だってさっきからすい、めあくんのこと見つめすぎじゃない?」

「…………見てねえ。」

「はいはい、じゃあ二人ともゆっくりね〜♡」

そう言って、母さんはわざとらしくウインクして部屋を出て行った。

……クソ、めんどくせぇ。

溜め息をついて、まだ手を握ったままだったことに気づく。
……いや、俺、なんでまだ離してない?
慌てて手を放すと、桐島が小さく指をぴくっと動かした。

「ん……すい……」

寝ぼけた声。
やめろ、それは反則。
もう何も考えないことにして、俺は静かに目を閉じた。

「……きりしま。」

しばらくして目が覚めると自分の行動に気づいた瞬間、血の気が引いた。
腕の中にある、華奢な身体。
桐島の細い腰にしっかりと回された俺の腕。
そして……額をすりすりして…俺、正気か??

「……んん、すい?」

桐島がぼんやりと目を開ける。

「……っ!!!」

瞬間、俺は飛び退いた。

「ち、違う、今のは、その、寝ぼけてただけで……!」

「んー? 何が?」

桐島はまだ半分寝ているみたいで、ぽけーっとした顔で俺を見上げてくる。
いや、その顔が問題なんだって!!

「すい、あったかい……」

「なっ……!!」

桐島はそんなことを呟くと、またふにゃっと笑って、俺の袖をぎゅっと握った。
ちょっ、お前……無自覚すぎるだろ……!!!

そこへ、タイミング悪く(いや、良く?)母さんの声。

「はーい、ご飯できたわよー!」

「あ、行こ……」

桐島は何も気づいていない様子でのんびりと立ち上がる。
…助かった。
俺は小さく息を吐いて、桐島から目を逸らした。
……マジで、心臓に悪い。

「ん、おいしいです!!」

テーブルにつくといつもより夜ご飯豪華な気がするけど…桐島は口に頬張ってもぐもぐしている…目が輝いてる…弓道してるときとは違う感じだけど…
母さんは「めあくんほんとにかわいいわねー!すいもいい子見つけたのね!」と嬉しそうに桐島に声をかけている。

「違うし。」

俺は即座に否定するが母さんはニヤニヤしたまま聞く耳を持たない。

「はいはい、そういうことにしておいてあげるわ〜」

「だから違ぇって……」

「ふふ、すいのママ、面白いね。」

桐島がクスクスと笑いながら、またご飯を口に運ぶ。
……めっちゃ食うな、こいつ。

「めあくん、おかわりあるわよ!」

「あ、いいんですか! いただきます!」

桐島は嬉しそうに両手を合わせる。
その姿を見た母さんがさらに目を輝かせた。

「ねえねえ、めあくん、すいのどこが好きなの?」

「ぶっっ!!?」
俺は思わず噎せた。

「んー?」
桐島は俺を見て首を傾げる。

「好き……?」

「そうそう! すいのどういうところが好き?」

「いや、だから違うって言ってんだろ!!」

「……んー。」

桐島はスプーンをくるくる回しながら少し考える素振りを見せる。

ちょ、考えるな!!

「……やさしいとこ?」

「は!?」

「あと、ちょっと口悪いけど、なんだかんだ言って世話してくれるとこ?」

「…………」

「すい、いい匂いするし、落ち着くし……あと……」

「もういい!!! もう喋んな!!」

俺は思わず桐島の口を手で塞いだ。
母さんは「きゃ〜♡」とか言いながら、さらにニヤニヤして俺を見てくる。

マジで最悪……!!!!

食べ終わった後、俺の部屋でそれぞれスマホを見ていると背中にぬくもりを感じる…

「……おい、なんでお前俺のベッドにいるんだよ。」

桐島はスマホをいじりながら、ぼんやりと俺を見た。

「んー? だって、ふかふか。」

「布団もふかふかだろ、下に敷いてやったんだからそっち行け。」

「やだ。」

即答。

「……は?」

「すいのベッド、あったかいし、すいの匂いするし……んー、落ち着く。」

「……」

「……だめ?」

「……っ」

上目遣いで見てくるな。萌え袖で布団ぎゅっと掴むな。声甘くするな。

「……好きにしろ。」

「やったー。」

俺の隣で桐島はにこっと微笑んで、スマホをぽいっと枕元に置く。
そしてそのまま俺のベッドの布団にくるまった。

「んー……すい、電気消して。」

「……」

俺は深いため息をついて、部屋の電気を消した。

暗闇の中、桐島が気持ちよさそうに息をつくのが聞こえる。

……なんでこうなったんだろうな、マジで。
寝返りを打つと、すぐ隣に桐島の寝顔。
……近い。
雨のせいで最悪な一日になるはずだったのに——

「……すい、」

「……なんだよ。」

「おやすみ。」

「……おやすみ。」

……なんか、悪くない気がするのが、一番最悪かもしれない。

桐島は俺の服をぎゅっと掴んだまま、小さく寝息を立てている。
たまに微かに「ん……」とか声を漏らして、無意識に俺の方に寄ってくる。

……は? なんなんだよ、こいつ。
…寝れねえ。
こうなったら、ちょっと意地悪してやるか。
俺はそっと、桐島の耳元に顔を近づけて——

「桐島、起きろ。もうちょい寄って。」

わざと低めの声で囁く。

「んぅ……や……」

なんか、やばい反応が返ってきたんだけど。

「桐島?」

もう一度名前を呼ぶと、桐島は眉を寄せて、小さく首を振った。

「やだ……ねる……」
俺の服を掴む手にぎゅっと力が入る。

……え、無理、かわいい。

「……意地悪するつもりだったのに、逆効果なんだけど。」

俺は頭を抱えた。

…やっぱ、こいつには勝てねえわ。

…いや、マジで無理。
桐島の寝息は相変わらず静かで、たまに小さく動くたびに俺の服を掴む指が強くなる。
試しに、もう一回だけ耳元で囁いてみる。

「桐島。」

「……っ、ん……」

ピクリと肩が震えて、掴んでた手がぎゅっと縮こまる。
耳元、やっぱ弱いのか? いや、これもう確定だろ。
試すんじゃなかった、なんだよこの破壊力……。
俺はゆっくりと深呼吸して、落ち着こうとする。
耐えろ……耐えろ俺……!
目を閉じて、ひたすら考えないようにする。

——なのに、

「……すい、……ん。」

だからその声は反則なんだって……!!
もうほんとに無理。
明日、まともに顔見れない気がする。

外が明るくなってきた───
一睡もできなかった…

……俺はダメかもしれない。
桐島は昨日のことなんて何も気にしてない顔で、のそのそと俺のベッドの中でもぞいている。
ぼんやり開いた口、寝起きで無防備な表情。
いや、なんでそんな顔できんの? 無意識? それともわざと?

「……おはよ。」

なんとか平静を装って返すけど、内心はもう無理すぎる。

「すい、ねむそ。」

「……誰のせいだよ。」

「?」

桐島は首をコテンと傾げて、ぽやぽやした顔で俺を見上げる。
あ─もう、こいつほんと無意識であざとい……。

「……早く起きろ、朝飯食うぞ。」

布団をめくって無理やり起こす。
このままじゃマジで、俺の理性がもたねえ。

……意識しないようにしようとすればするほど、逆に意識してしまうんだが?
桐島は相変わらずぽやぽやした顔で、目を細めながらトーストをもぐもぐしている。
ただの朝飯なのに、なんでこんなに幸せそうに食ってんだよ。

「すいの朝ごはん、好き。」

「……それ、ただのトーストだけど?」

「うん、おいしー。」

…なんなんだよ、もう。
俺の服を適当に貸したからやっぱり少し大きめで、肩がちょっと出てる。
着崩れた服、白い肌、無防備すぎる表情……。
くそ、また意識してしまう……!

「……桐島、肩。」

「んー?」

「出てる。」

「あー……まあ、いっか。」

「よくねえよ。」

俺は無言で桐島のパジャマの襟を引っ張り上げる。
すると、桐島はちょっと驚いた顔をした後、ふにゃっと微笑んで、

「すい、やさしーね。」

なんて言うから、俺はもう、それ以上何も言えなかった。

その日はそのまま俺の家から一緒に登校した。
教室に入ると友達が声をかけてくる…

「すい?王子…あ、桐島と付き合ってんの?ほら、あいつ顔かわいいから、男子も狙ってるらしいし…」

……なんだよ、それ。

俺は適当に聞き流すふりをしながらも、内心かなりムカついていた。
桐島のことを「顔がかわいいから」って理由で狙ってるとか、ふざけんな。
あいつのこと、なんだと思ってんだよ。

「いや、別に付き合ってねえし。」

「ほんとかよー?でもさ、お前、昨日も一緒に帰ってたし、今朝も一緒に登校してたよな?」

「……たまたま。」

「ふーん、たまたまねぇ。」

友達は俺をからかうような目で見てくる。
適当にあしらってその場を離れたけど、正直、ずっとモヤモヤが消えない。
……あいつが男に狙われてる、とか。
そんなこと、本人は絶対に気にしてないんだろうな。
無防備で、ぼんやりしてて、気づいたら隣にいるようなやつだから。
……俺が、ちゃんと見張っといた方がいいのか?
……いやいや、何言ってんだ俺。
別に、そんなの俺には関係ないはずなのに。