【短編】未亡令嬢の優しい契約結婚

「シュテールハウド家から婚姻の申込み、ですか」
「ああ、嫡男のアイザック殿だ」

 お父様の書斎で聞かされた話に、私は思わず目を瞬かせた。
 シュテールハウドといえば、建国当時から在る由緒正しい伯爵家。その嫡男アイザック様は常識に囚われず柔軟な人物らしく、十代の頃興した商会は国外にも名前が通じる程だと言われている。

「詳しくは会って話したいそうだ。来週いらっしゃるので、準備をしておきなさい」
「はい」

 私室へ戻り、一人にしてもらって着替えもせずベッドへ寝転ぶ。お行儀はよろしくないけれど、とにかく心を落ち着けたかった。


 私、ガートルード・キスリングには婚約者が居た。
 婚約者のエディ……エドワード・マイヤーは領地が隣同士で家格も同じ男爵家。昔から家族ぐるみの付き合いで、いわゆる幼馴染みだ。小さな頃から仲がよかった私たちの婚約が結ばれるのは、ごく自然な流れだった。
 もう二年程前になるだろうか、結婚式を次の月に控えた冬のある日、視察に出ていたエドワードが病気にかかったと知らせが届いた。病状は重篤で、且つ人へ感染する流行病だったため視察先の農村からすぐに動かすことができなかった。そのあと僅か三日で息を引き取ったと連絡が来たときは悪い冗談かと思った。
 ぼんやりとしているうちに葬式や埋葬も終わり、エドワードのいない日々をひとつひとつ確認する作業をしているうちに一年が過ぎていた。当然結婚は白紙になったが、既に家族として一緒に暮らしていたマイヤー家の人々が好きなだけ居ていいと言ってくれた優しさに甘え、ずるずると居付いてしまった。私は迎えに来てくれたお父様とともにキスリングの家に戻った。
 帰ってからもしばらくは部屋に閉じこもり塞ぎ込んでいた。生まれ育った屋敷にも、エドワードとの思い出がたくさんありすぎたのだ。時間をかけて少しずつ、心配をかけてばかりいられないと思えるようになった。そろそろ社交に復帰しないかとお兄様が誘ってくれ、そうして訪れた夜会で【未亡令嬢】と揶揄されていることを知ったのだ。
 婚姻こそしなかったものの、式の直前だったため私たちが幼馴染で婚約者であることは社交界にも知られていた。気落ちしていたとはいえ婚家に長々居座り、いつまでも引きこもり喪に服す私の印象は決して良くなかっただろう。私自身、エドワードのことを忘れることなんてできるわけなかった。

 そもそも私のような瑕疵のある女にまともな縁談が来るとは思っていなかったのに、まさかのシュテールハウドから、しかもお相手は嫡男のアイザック様とは。私の【未亡令嬢】という噂を先方が知らないわけがない。あまりにも釣り合いがとれないのではないだろうか。
 こんな私を見捨てず見守ってくれた両親のためにも、このあとはどこか都合の良い所へ後妻として嫁ぐか、領地の端にでも住まわせてもらい奉仕活動をして過ごすのだと思っていた。想像していた今後へのあまりの違いに気持ちが重くなる。

 ……ああ、でも。もうエドワードはいないのだ。
 エドワードでないなら、私にとってどんな未来でも同じだ。


◇◆◇


「このドレスも久々ね。
 ……ちょっと明るすぎない?」
「そんなことありません、とても可愛らしいです!」

 私の支度を手伝ってくれているメイドのレナが緊張を解すように笑った。この二年、どちらかというと落ち着いた色のドレスばかり選んでいた。鏡に映る私は硬い表情ではあるけれど、ドレスの色とレナの化粧のおかげで顔色は悪くない。ように見える。

「アイザック様はどんな方かしら」
「私はお会いしたことはありませんが、平民である父にも気さくに接してくださったそうですよ」

 レナは裕福な商家のお嬢さんなので、父親がアイザック様と話す機会があったようだ。少なくとも身分を笠に着て威張り散らすような人ではないらしい。
 支度を終えると、顔を出すように言われていたのでお父様の書斎へ向かった。書斎の中にはお母様とお兄様もいて、私の外向きの装いを見るとホッとしたように表情を緩めた。こういう時心配をかけたな、と申し訳なく思う。

「アイザック殿のことだがこちらでも調べてみた。
 とはいえ、社交界での評判と大差はない。噂通り人格者であるという」
「そうね、私も聞いたのは似たようなものだわ。
 穏やかで優しい方らしいわね」

 お父様の言葉にお母様も頷く。

「アイザック様は学院の先輩にあたるが、当時は既に立ち上げた商会が話題になっていたな」

 お兄様のように家を継ぐ跡取りの方は、王都の学院に通うのが義務となっている。爵位の関係も有り直接的な接点はなくとも有名だったようだ。
 そういえば、と思い出したようにお兄様が続けた。

「在学中、婚約者の話を聞いた記憶がある。
 アイザック様が約者の方へ贈ったものについて、学友が話していたような……」
「ふむ……社交の場でも見たことがないな。
 パートナーが必要な場合、アイザック殿はいつも親戚を伴っていたはずだ」
「身体が弱いなど、同伴できない理由でも合ったのでしょうか?」
「かもしれないな。
 まあ、現時点で婚約者がいないのは間違いない」

 お父様は、私の顔をじっと見つめた。

「ガーティ」
「はい」
「シュテールハウドとの繋がりは確かに貴族としては魅力的だが、ガーティに無理をさせたいわけじゃない。
 あちらからは、もし合わなければ断っても問題ないとも伺っている。
 今日お話ししてみて、ガーティ自身で受けるかどうか決めなさい」
「……ありがとうございます、お父様」





 シュテールハウド家の馬車が到着し、我が家唯一の応接室でアイザック様と顔を合わせた。

「キスリング家当主のギルバートです。
 こちらが妻のアイギスと、娘のガートルードです」
「シュテールハウド家が嫡男、アイザックです。
 本日は訪問の無理を聞いていただきありがとうございます」

 アイザック様をこんなに近くで拝見したのは初めてのことだ。柔らかな亜麻色の髪は後ろで一つにまとめられ、ペリドットのようだという瞳は眼鏡の奥に隠れてよく見えない。簡単な挨拶を済ませたあと、私はアイザック様に庭を案内することになった。

「これは素晴らしい。
 さすが花の名産地ですね」
「ありがとうございます、自慢の庭なので嬉しいです」

 我が家の庭は、花を扱う領地としてかなり力をいれている。大貴族の屋敷などには及ばないかもしれないが、様々な種類の花や植物がそれぞれ美しく見えるように整えられている。女主人であるお母様だけでなく、他の家族が采配する専用の区画もある。
 アイザック様と私はガゼボまでやってきた。レナによってお茶の用意が整えられ、こちらが見える程度のところまでさがっていった。

「早速で申し訳ないのですが、キスリング嬢」
「はい」
「貴女に婚姻を申し込んだのは、社交界での噂を聞いたからなのです」
「その、【未亡令嬢】という、あの噂でしょうか」

 アイザック様は頷く。やはりそれらを承知した上での縁談だったのだ。それに関して特に気にしている様子はない。

「辛いことを思い出させるようで申し訳ありませんが、正直に答えてください。
 貴女は、亡くなった婚約者の方を愛しておられる。本心では、他の誰とも婚姻を望んでいないのでは?」

 正直に答えるのは、アイザック様にかなり失礼なことだろう。それでも、その瞳の真剣さに圧されて心のままに伝えた。

「……はい、その通りです。
 私は、婚約者だったエドワードを愛しています。それは生涯変わることはないと、思います」

 私の言葉に、何故かアイザック様の表情が和らいだ気がした。

「……実は、私も昨年流行病で婚約者を亡くしたのです」
「! それは……」
「婚約者のエレノアは生まれつき身体が弱かったのです。
 流行病は、彼女を神の御許へと連れて行ってしまいました」

 アイザック様はお茶で喉を潤すと、話を続けた。

「私は、エレノアを愛しています。彼女以外と結婚することなど考えていなかった。
 しかし、私の立場がそれを許しません。喪が開け、父からも次の縁談の話が出るようになりました。いずれ必要になることも承知していますが、今はまだとても考えられない。
 ……キスリング嬢、これは契約結婚の提案です。
 貴女と結婚すれば、私はまだ彼女の死を悼むことを許されるのではないかと、そう思ったのです」

 アイザック様は、私の反応を見るようにじっと見据える。

「……いくつか質問させてください」
「もちろんです」
「跡取りについてはどうお考えでしょう」
「強制するつもりはありません。
 将来親戚筋から養子をとることもできます」
「当主様は、男爵家の私に婚姻を申し込むことに反対なさっていませんか?」
「特にないですね。
 体裁が整うなら良しということでしょう」
「……婚姻後の社交に不安があるのですが」
「マナーの教師なども手配します。
 また、参加するのは必要最低限でも構いません」

 スラスラよどみなく答えが返ってくる。予め色々考えていたのだろう。
 養子をとることについては、婚約者のお身体が弱いため以前から考えられていたことらしい。シュテールハウドは歴史ある家のため親戚家はたくさんある。アイザック様には妹や弟もいらっしゃるそうなので、場合によってはその子どもたちの中からとのことだ。
 同じ悲しみを持つものとしてお互いに事情がわかっており、取り繕う必要もない。表向きに装えていれば、エドワードを想う心を封印せずに過ごしていい、と。そういうことらしい。

「……わかりました。
 私でよろしければ、お願いいたします」
「ありがとうございます、キスリング嬢。
 詳しいことは、また後日書面にしましょう」

 口約束でなく、しっかりと契約書として残すことにしたいらしい。これは身分の低い私に不利益がないようにという配慮なのだろう。
 格上の伯爵家なのだから、有無を言わさず婚約を取りまとめてしまっても良いのに、わざわざ私に選択肢を与えてくださった。噂通り優しく、そして誠実な方のようだ。


◇◆◇


 アイザック様との婚約を結び、シュテールハウド側での顔合わせの際にこっそりと契約の書面を交わした。
 この国では、通常婚姻まで一年間婚約期間をおく。アイザック様は早速必要な教師を手配してくださり、学院に通っていない私は学びの機会を得たことに感謝した。
 アイザック様は、社交の場でパートナーとして出席する際はもちろん、日常の場でも私のことを尊重してくださった。
 シュテールハウド家の庭の一角をもらい、ハーブ畑も作った。キスリング家の庭で私の区画はハーブ畑となっていて、エドワードと結婚したらマイヤー家でも作る予定だったのだ。エドワードが私のハーブ知識を褒めてくれたので、これからも関わっていたかった。

 アイザック様との私的な逢瀬をする際は、お互いの元婚約者の思い出話も多くした。私はマイヤー家でエドワードの死を悲しみ共有することができたけれど、アイザック様は話す場も無かったそうだ。私といることで気兼ねなく話すことができる、と感謝してくださった。

 そうして婚姻の日まで、私は忙しくも心穏やかな日々を送ることができたのだった。