咲夜はカフェオレのカップを両手で包みながら、少しだけ息を吐いた。


カップから立ちのぼる湯気が、静かな夜の空気に溶けていく。


「すご……正直、調べてくれると思わなかった」


その声は落ち着いているようで、驚きと緊張が少し混ざっていた。


「本当に、病気なんですか?」
紺が静かに問いかける。


「そうだよ」


咲夜はまっすぐ紺を見つめて答えた。
その目はどこか透き通っていて、嘘の入り込む余地がなかった。


「なんで俺に、このこと……」


紺が言葉を選ぶように口にすると、
咲夜は「んー」と小さく唸って、カフェオレをひとくち飲んだ。


「家族と、学校の先生以外に話したことなくてね。
 誰かに聞いてほしかったのかも」


「でも、だからって――」


「もう会わないかもしれなかったでしょ? 気楽だったのかもね」


「ノリってことですか」
紺はそう言ってプリンをひと口食べる。


「そうかも」


咲夜は肩をすくめて笑った。


一瞬、ふたりの間に沈黙が落ちた。


「あの――」


紺が静かに口を開いた。


「ん?」


咲夜が顔を上げる。


「桜って……どんなふうに見えてるんですか?」


咲夜は一瞬きょとんとしたあと、思わず吹き出した。


それは心の底からの笑いだった。


「気になるの、そこなんだ」


「はい」


紺は真剣な顔のまま答える。


その表情に、咲夜はさらにおかしくなって笑い涙を指でぬぐった。


「……話したのが紺くんで、よかったよ」


咲夜の声から、いつの間にか緊張が消えていた。
そして、スプーンで大きめにプリンをすくって頬張る。


カラメルのほろ苦い香りが、二人の間に静かに広がった。


「なんて言ったらいいんだろう……」


咲夜はカフェオレをスプーンでゆっくりかき混ぜながら考え込む。


表面の泡が渦を描き、淡く揺れている。


「よくある夜桜のライトアップとはちょっと違うんだよね」


そう言って、ふっと顔を上げる。
いい表現を思いついたみたいに、目がわずかに輝いた。


「桜のイルミネーション、みたいな感じ!」


「桜のイルミネーション……?」


紺は首をかしげる。どうにもピンと来ない。


「あれ? 伝わらない?」


咲夜は小さく笑って、スプーンをカップの縁にコトンと置いた。


「桜自体が光ってる感じ。イルミネーションみたいにキラキラして見えるんだよね」


彼女の声には、少し夢を見るような響きがあった。


「たぶん、紺くんが見たことある夜桜より、ずっと綺麗だと思うよ」


紺は、あの日の夜を思い出す。


「だから、あんな暗いところに――」


「私、毎年あそこで桜見てるんだよ」


咲夜が言葉を重ねる。


「一年の中で、唯一の楽しみ」


「唯一って……」


「それ以外、この病気でいいことなんてないでしょ?」


咲夜の笑いは、どこか自嘲に近かった。


「確かに……でも、今までよく無事でしたよね」
紺は不安げに眉をひそめる。


「あそこ、人来ないもん。あんなの初めてだったよ」


「マジすか?」


「紺くんだって、あの道通ってて危なかったことないでしょ?」


「まぁ……確かに」


咲夜は少し遠くを見るような目をして、言った。


「――あの桜の木は、本当に神様に守られてると思うんだよね。それに」


「それに?」


紺が促す。


「あのおじさん? 悪い人には見えなかったんだよね」


「いやいや、あんなの変質者以外のなんでもないじゃないすか」


「まぁ、そうなんだけどね……」


咲夜は紺の言葉を優しく受け流すように、カフェオレを見つめて微笑んだ。