「記憶を無くしたばかりで混乱すると思うけれど、ゆっくり俺の事や俺達の関係を思い出してくれれば嬉しいな。
──あんなに想い合っていたのに、忘れられたままというのは寂しいからね」
そう言ってルーカスは私の手の甲に軽くキスを落とした。突然の彼の行動に思わず「は、」と低い声を出せば、慌てたマリアが「ルーカス様!」と声を荒げた。
「お、お嬢様はまだ混乱されているのです!過度なスキンシップはお控えくださいませ!」
「過度なスキンシップ…?ああ、ごめんね。記憶を無くす前のエルーシアとはこういうことが当たり前だったから、つい」
悪びれもせずに堂々と言ってのけたルーカスに、マリアが「嘘でしょ…?!」と言った表情で私を見てくる。
(つい、じゃない!一度もしたことない!だからそんな目で見ないで!)
何という嘘をついてくれるんだ、この男は。
しかし、ここで下手な反応すれば私の計画は失敗に終わってしまう。これは試されているのかもしれない、そう思い私は普段のエルーシアであれば絶対しないであろう行動をすることにした。
「まあ!ルーカス様のような素敵な方にこのような事をしていただけるなんて、エルーシア、光栄です!」
キスを落とされた場所を撫でながら、甲高い声でそう叫べばルーカスの目が鋭くなった。
「……本当に記憶がないのか」
納得したようなルーカスの言葉に、内心ガッツポーズをしながら私はにこりと微笑んだ。そして、マリアに目配せをし、用意していた台詞を言ってもらう。
「…えぇと、ご自身のことなどや、私のこともぼんやりと覚えているようなのですが…」
「俺の記憶だけ、全くないと」
「はい。転倒した際に頭を強く打ったのが原因ではないかと…」
少しだけ納得いかないといった表情を浮かべるルーカスに、マリアが「想いが強い相手のことほど、忘れてしまうといいますし」と謎のフォローを入れた。
(ちょっと、余計なことは言わなくていいのよ)
たしかにルーカスの事ばかり考えてはいたが、それは彼の存在が私の頭を悩ませるものだっただけで、決して好意的なものではない。
しかし、私の心配をよそにルーカスはマリアの言葉に気をよくしたのか、柔らかい笑みを浮かべる。
「そうか、そうだよね。……気長に待つよ、エルーシア。君の記憶が戻るまで」
(いや、全く待たなくていいのだけど)
私のことはさっさと忘れて、新しい誰かと婚約関係を結んで欲しいと思ったが、まあ、いいか。ルーカス本人がどう考えようと、この状態の私をアーレンベルク公爵夫妻が良くは思わないはずだ。──今でこそ、あんまりよく思われていないし。
出自の関係もあるため、ルーカスは夫妻に対して強くは出れないだろうし、彼との婚約が解消されるのも時間の問題だろう。ルーカスの反応が少しだけ想像と違っていたが、今はいい。
こうして、私の記憶喪失のふりをして婚約解消してもらおう計画が無事に幕を開けた。


