男の体がゆっくりとリン子に近づく。
リン子は反射的に体を避けたが、上手くいかなかった。
もう男はリン子の帽子を掴んでいた。
リン子から冷やせが出る。
周りにいた数人がリン子に近寄った。
男の顔がきらめく。「やっぱり、リン子さんだ！本物だ！！」
リン子は慌てて男からキャップを奪いとると、髪の毛を隠すようにかぶった。
「すみません…ちがいますから！」
リン子はそう叫ぶと、人並みを避けていった。
近くでタクシーを捕まえると、乗りこんだ。
息が荒くなっていた。リン子は走ったせいか騒がれたせいかひどく疲労に見舞われた。
タクシーの揺れに眠気がさしていると、突然意識がもうろうとしてきた。
きっとここ最近の過労のせいだろう。
運転手の叫び声が最後に聞こえた音だった。

◆◇

重たい瞼をゆっくりと開くと、リン子は草原の上にいた。
体を起こして辺りを見渡すと、限りない緑が広がっていた。
ところどころに小屋のようなものが建っている。
意識が戻ったリン子は、先ほどまでのことを思い出した。
(そうだ、あたし、タクシーで意識を失って…)
今どこにいるのか考えている時、どこからか声が聞こえた。
「リンルン様！リンルン様！」
声が近づいてきた。
リン子が声の主を探していると、エプロンを身にまとった女性がこちらに向かってきていた。
茶髪の髪を1つに結いて、三角巾をかぶっていた。
知らない人なのにどこか知っている、不思議な気持ちにリン子は見舞われた。
「あ！ここにいらしたのですね。」
エプロン姿の女性がリン子の側に来て言った。
「あの、ここってどこ？」
リン子は聞いてみた。
エプロン姿の女性は一瞬キョトンとすると、苦笑いした。「何言ってるんですか。寝ぼけているんですか？」
リン子はめげずに尋ねた。「いいえ、目は覚めているわ。ただ…記憶がないの。」
エプロン姿の女性は目をまるくした。それから考え込むように顔をしかめた。
しばらく沈黙が流れた。リン子が居心地そうに草地でモゾモゾと動いていると、エプロン姿の女性が口を開いた。
「記憶喪失というやつですね？」