今から数時間前、母が脳卒中で倒れ、この病院に救急搬送されてきた。

 危険の伴う手術に賭けるか、後遺症を受け入れて確実に生きるか――決断を迫られる私を屋上に呼び出した彼は、こちらに逃げ道がないのを知りながら、とんでもない契約を突きつけてきたというわけだ。

「条件としてはなんの問題もないと思うけど? 俺は浮気をしないし、束縛もしない。経済的にも不自由はさせない。両親も結婚を喜んでくれるだろう。強いてデメリットをあげるなら、愛がないってくらいだ」

 結婚する前から愛さないと断言してしまうあたり、彼の倫理観が欠如しているのは間違いないのだが。

 幸か不幸か、仕事に対する姿勢だけは誠実で、多くの患者の命を救ってきた優秀な医師でもある。

 母の命を預けるなら、彼以上に信頼できる人はいない。

「……わかりました」

 母のため、私自身のため、悩んだ末に身を切る思いで決断する。

 この際、結婚に愛は求めない。夫に幸せにしてもらおうなんて甘い考えは捨てる。私は私で自分を幸せにする、そう強い決意で彼を睨みつける。

「その契約(プロポーズ)、お受けします」

 切り出した瞬間。彼はしてやったりといった表情で口元に笑みを浮かべた。

「君のお母さんは助かるよ」

 未来を予見するかのように断言する。失敗など微塵も考えていない、そんな自信に満ち溢れた言葉。